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私は33歳の時、人生に迷って2回目の歩き遍路に出ました。室戸海岸を3日近く歩きながら、自分が見ている海岸の大岩はごつごつして大きくて、まるで自分の大きな悩みと同じだなあと,始めのうちは思っていました。しかし、雄大な太平洋を眺めながら2日間歩いているうちに、大岩は太平洋に比べれば実に小さい存在だと思うようになりました。そう思うと、自分にとってはとてつもなく大きく思えていた自分の悩みが、いかにも小さく思えました。そして少し心が大きくなったような気がしました。さらに歩いて、高知の桂浜で、将来の自分の道も開けました。
前回に引き続き、Y君の語りは続きます。
―― 僕は首尾よく合格したのですが、入学後間もなく「いじめ」のようなことがが始まったのです。それが普通のいじめとはちょっと違うのです。
僕の中学校は田舎の小規模校だったので、子供の頃からほとんどが顔なじみで学校全体が家族的雰囲気でした。ところが高校に入ってからはそれががらっと変りました。お互い知らない同士なので、子どものときのように、僕は会話の輪に入っていけなかったのです。
同級生たちは十日もすると段々に親しい仲間が出来ていきました。そんな中で自分だけが取り残されてしまったのです。
一ヶ月くらいたったある日、昼休みになって弁当を食べようとするとすっかり空になっていたんです。気の弱い僕はそれを明るみに出せませんでした。仕方なしに校内の売店でパンを買って来て済ませました。ところが一向に止まないんです。
お母さんに「朝食を早く食べて学校へ行くので、お昼までにおなかがすくから、弁当の他におにぎりも作ってほしい」とうそを言って作ってもらいました。ところがおにぎりまでも食べられてしまったのです。それで数を増やしてもらったのです。さすがにお母さんも変だと思ったらしくて、理由を追及してきました。やむなく状況をを話すと、おにぎりの数を増やしてくれました。
「このやり方ではかえって逆効果になったんじゃないの?」と、私がいぶかしがると、
―― その通りです。かえってエスカレートして、ついに5個にまでなってしまったんです。お母さんは「先生にお話しなさいよ」と言うのですが、誰がやっているのか全くシッポを出しません。先生はホームルームのときにみんなの前で話をしてくれたのですが、そんなことでは収まる連中じゃないですよね。
僕が教室を空ける時に決まってやるんです。しばらくしてからわかったのですが、入念にビニール袋に入れてゴミ箱に捨てていたのです。清掃当番のときに、ごみ箱から中身をごみ袋に移す時にわかったのです。ビニール袋まで入念に用意して来ていたんですかね~。さすがと言うしかないですね。
普段は表面立って意地悪するわけではないし、シカトするとか、嫌味を言ったりすることもないんです。もちろん暴力なんてのは皆無です。僕は、都会の頭の良い奴らは却って陰湿で悪質だなと、頭に来ていました。蛇の生殺しのようなやり方ですよね。
数か月すると、もう学校に来るのが嫌になってきました。その内〈なんで勉強するのだろうか、なぜ学校に来なければならないのか……〉と、逃避的な考えをするようなって学校を休みがちになりました。ついに秋になると完全に不登校になりました。そして一学年の一月に中退したのです。
ここまでの話を聞いて、私はいじめている連中に理屈抜きに無性に腹が立った。自分が教師時代に、いじめをしている生徒に「お前に他人の一生を台無しにする権利があるのか!」と怒りを爆発させたこと。そしてその生徒と何度も話し合ったこと。心を通わせた結果、いじめをしなくなったことを思い出した。そのことをY君に話した。もっと話したかったが、この場はまず彼の話を聞いてやることが大切なので、ほどほどでやめにした。
Y君に自分のことを話させることで、こころを整理させることだと思ったからだ。そして冷静に客観的に自分を見つめさせることだと思った。
何せ彼とは一期一会になりそうだから、「一夜の語り合い」を有効に行わなければならない。
明日の遍路道が平坦ならば、話しながらお付き合いという方法もあるが、
逆に12番焼山寺までの最難関の山道(『遍路ころがし』)だ。絶対に単独で乗り切らせたい―― 。
とにかく彼に、
明日の遍路ころがしに挑戦する気にさせなければならない。
それには今晩中にけりをつけなければならない。
ぜひ彼にこれからの人生に明るいともしびを灯してやりたい。
明日の強行軍に備えて睡眠もとらせてあげなければならない。そうでなくても彼の重い体重ではかなりひどいのは明らかだ。わたしにとって時間との戦いでもある。厳しい局面だった。
もちろん他人事だと逃げる気はさらさらなかった。 (続 く)
12番焼山寺への遍路ころがしを乗り切ると、たいていの人がその後の遍路に対する自信が湧くようです。
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ひきこもり青年の歩き遍路
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わたしが、心からうなずき、相槌を打ちながら熱心に聴いているので、Y君の話は次第に熱を帯びていった。
「 僕は、赤ん坊の時から自己主張のあまりない子どもで、激しく泣くということはほとんどなく、とても扱いやすい子どもだったそうです。そうした性格のためか、子供の頃から周囲の人に対して自分をうまく表現できませんでした」
「でも今は、そんなことはないよ」というわたしの褒め言葉にお構いなしに話を続けた。
「一人でいる時や考えている時には、話したいこ、とやりたいことがいろいろ思い浮かぶんですが、それを人に伝えようとすると、緊張と不安でいっぱいになって言葉にならなかったのです。焦ればあせるほどますます頭が真っ白になって、無理に言葉を発しようとするとどもってしまいます。自分で自分にいらいらしていました。だから「おどもり」とあだ名をつけられました。おまけに根が不器用なので遊びも上手にこなせなかったのです。そんなわけで同級生や近所の子どもたちから何かにつけて馬鹿にされ、人と話すことをあまりしなくなってしまいました」
「こんな僕ですが、中学校になると成績だけは学年トップになり、生徒会の役員なども任されて一目置かれる存在になっていました。勉強などでもクラスメートから頼りにされ、次第に人の輪にも入れるようになって来たのです」
「なんでそんな君が高校で不登校になったのだろうね…」
「高校受験の志望校を決める段階でつまずきが始まったのです。父親には、おまえはやりたい方向へ進んだらいい、と小学生の時から言われていたんです。ところが、特にやりたいことも、なりたいものもありませんでした。受験段階になって改めて考えてみたんですが、やはり思いつきませんでした。自分の将来はいったいどうなるのだろうと、漠然とした不安がよぎりました」
「う〜ん。進路で悩むこと自体は悪いことではないんだけど…。それで?」
「〈将来の見通しが付かなければ、進学先なんか決められない〉と思い込むようになりました。決まらない理由はもうひとつあったのです。父は口にこそ出さないが息子にも自分の出身高校に入ってほしいと思っていたようです。そのことは僕にもわかっていました。だが父の出身校A高は県下随一の公立進学校で、田舎でトップの僕では、合格の可能性は五分五分だったのです。A高に次ぐM高という選択肢もあったのですが…。僕にとっては、要するにレベルの問題ではなかったのです。他の人はなんの躊躇もなくあっさりと志望校を決めていく。僕はますます焦りました。ついに心に何も決まらないまま最終面談を迎えてしまいました。母親と一緒でした。結局、母親の『お父さんと同じA高校にしたら? 将来のことは入学後に考えたら,いいんじゃない…』という一言で志望校が決定しました」
わたしは途中で言いたいこともあったのだが、一切自分の意見は言わず聞くことに専念した。
次第に核心に確信に触れてきた。Y君が高校になってどのような経緯で不登校になっていったのかなんとなく想像がついたが、もちろん彼にはそのことは話さなかった。 (続 く)
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二人の間にほんの少し沈黙の時間が流れた。
私は相手の出方をうかがいながら、彼の様子を観察していた。わたしとしては、彼に自ら切り出してほしかった。
Y君も、なぜ自分がお遍路に来たのかをわたしが知りたがっていることは察しているにようだ。わたしが自分のことを訊いてくれると予想していたが、あてが外れてしまったのではないだろうか。
彼は、――今度はいよいよ自分が思い切って話さなければならないときが来たのかな…。でもやっぱり抵抗がある。どのように話を切り出したらいいんだろう…。だが、この壁を壊さなければ、今まで自分をがんじがらめにして閉じ込めておいた化け物のような殻を突き破れないだろう。そうしないとお遍路に来たことも無駄になる。この人なら話をよく聞いてくれる。だから思い切って話そう……と葛藤しているように見えた。
さらに沈黙が流れた。
ついにY君がは怖いもの見たさに恐る恐るふすまを開けるように、
「実は、僕は***なんです」
と、浴室の頃に戻ったかのような小さな声で、ぼそっと言った。少し耳の遠いわたしはよく聞き取れず、思わず「えっ?」と聞き返した。すると彼は今度は勇気を振り絞って、
「ひきこもりを治すためにお遍路にやって来たんです」
と、はっきり答えた。
わたしは、Y君には何か普通でない事情があるなと思ってはいたが、まさか「ひきこもり」という言葉が飛び出すとはまったく予想すらしなかった。衝撃的だった。むしろショッキングだった。「ひきこもり」という言葉は、わたしにとっては教員時代もっとも手ごわい相手だった。克服したい言葉ではあったが、何度も跳ね返され、苦渋を味わされた言葉だった。ところが、やっと開放された言葉のはずだったが、自分でも不思議なほど、気持も体も即座に反応していた。
「実は、私は現役の教員時代にひきこもりや不登校の生徒とたくさん関わったんですよ。家 ( うち )の兄が長いこと精神を病んでいるということもあってね。とても他人事とは思えないんですよ。何とかその生徒たちを立ち直らせてろうと思ってね……、精神科のお医者さんや専門家と協力しながら一生懸命取り組んだんだけれども……、たいていの場合は、在学中には治らなくて、結局退学してしまった生徒が多かったですね。退職後の仕事にカウンセラーを選ぼうと真剣に考えた時期もあったんだけれども、何人かのカウンセラーから、『あなたは熱心すぎて、その中にのめりこんでしまうので、きっと自分のほうがまいってしまうから、カウンセラーには向かないと思いますよ』って、言われたんです。それで、やめたんですよ。でも、いまだに関心があるんですよ。君と話していて、何で君がお遍路に来たんだろうって、すごく興味があったんですよ。ひきこもりと聞いてよけいに話を聞きたくなったんだけど、よかったら話してみてくれる?」
その誘いの言葉を聴いたとたん、Y君は堰を切ったように自らの内面を始めた。
(続く)
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吉野川河川敷の菜の花畑 Y君もこの菜の花で心癒されたことだろう
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「生徒たちは気づいていたんですか?」とY君は興味深そうに尋ねた。
「幸い、まったく気づいていなかったようですよ。毎年、卒業する生徒たちに授業の感想を聞くんですが、『先生は、楽しそうに授業をやっている』と言っていましたから…」
「それなら後悔しなくてもよかったんじゃないですか?」
「教師の道を選んだことはまったく後悔していないんです。それは確信しているんです。しかしねえ、自分の能力をもっと発揮できる道というか、分野というか、そういったものは他にあるはずだ…、本当に好きなことをやってみたいって、ずうっと思い続けて来たんです。自分は、「仮の人生」を送っているという気持が強かったですね。だから、退職後には「ほんとうの人生」を送りたいと思い続けていたんです。不本意な過去の延長じゃなくて、新しい人生を歩んでみたかったんです。リセットというのはそういう意味なんです。
化学とは無関係な新しいことに挑戦して、―― 納得のゆく人生を送りなおそう――いつもそう考えていましたね。それで、四十すぎから、俗に言う『自分探し』を始めたんです。いろいろなことに取り組みましたね。そうしながら辿りついたのが、好きな旅をしてそれを文章にして、旅行作家を目指そうということだったんです」
「旅の皮切りがこの遍路なんです。私は遍路も好きなんですが、もっと憧れを持っているのがシルクロードなのです。小学5年生の時マルコポーロを知ってから、大人になったらは絶対シルクロードを旅するぞと決めていいたのです。いつもシルクロードと聞くと胸がわくわくしましたね。8月下旬からスタートします。今回は9人で2ヶ月の旅ですが、次は必ず長期間一人旅をしようと思っています」
「だから明るいのもわかったでしょう!?」
「遍路は今回で3度目なんです。1度目は20歳のとき。初めは旅行の延長線のつもりで歩き始めたんだけれど、だんだんと気持ちが変わってきてね…」
「話の途中ですが、どう変わったんですか」と、Y君が少し身を乗り出した。その様子にわたしはいくぶん安堵感を覚えた。正直のところ、彼はあまり遍路に乗り気でないことを感じ取っていたからだ。
「単に遍路の真似事をやろうという僕にみなさんが丁重に頭を下げてくださる。こんないい加減な気持ちで遍路していたんでは申し訳ないと初日から感じたんですよ。何せ40年前ですからね。今よりもさらにお遍路さんを大切にしてくれる時代でしたから…。それで本気で遍路やろうと思ったんです」
それに対して彼は何も言わずにうなずいた。
「明日登る焼山寺の遍路ころがしを越えた時には、自分もいっぱしのお遍路さんになった気分でしたね~」
私はここで明日は難関であることをにおわせて、彼にそれなりの覚悟をさせようと思った。それに対して彼は何の反応も示さなかった。彼は迷っているのだろう。わたしは少し心配になったが、彼に不安を与えないように明るく振舞った。
「33歳の遍路はさっき話したように、その後の人生をきめる遍路だったと言ってよいでしょうね。決心する場をわざわざ桂浜に選んだのは、坂本竜馬が28歳で脱藩するとき、この浜で、大志を持って日本のために役立つと誓ったと言われているからなんですよ」
わたしはここまで言い終えると、無意識に「ふーっ」と大きな息をついた。まさに溜まっていたものを一気に吐き出したという感じだった。
「Sさんもずいぶんいろいろなこと経験したんですね」
「しかし、ものは考えようでね。嫌いな化学を四十年以上も頑張り続けてきたからこそ、『新しいことに挑戦しよう』という強い気持ちが生まれた……と思うんですよ。それは絶対間違いないですね。不本意な四十年間をバネにして飛躍したいと思ってね…。そう考えると、化学を続けてきたことはむしろ良かったんじゃないかと思えるようになったんです。苦しみが長かったからこそ、今の喜びが、いっそう強いのだと思いますね。新しいことにチャレンジすることが、今までの自分自身に対する罪償いだと思っているんです」
「そのようなものなのでしょうか」
と、Y君は十分には納得しかねているようだった。
「だから、今はまだお遍路三日目ですが、『四十年来の悔い』が、あっけないほど簡単に消え去ってしまった――という感じがしています。まあこんなところですね…」
と言って、わたしは話を一段落させた。
わたしはノルマを果たしたのだから、今度はいよいよY君の番だと思った。ただどのように切り出したらよいのだろうかと、話しながらも思案していた。 (続 く)
一番霊山寺から2番極楽寺に向かう道の両側には桃が見事な花を咲かせていた。
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青年と出会う4日前、このみごとな水仙を見ながら希望に胸ふくらませて四国へ向かいました。
[ひきこもり青年の歩き遍路前回までの記事]
Y君は自分がお遍路に来た経緯をわたしに話したいという気持ちがあるのだが、自分から話し出す勇気がないのではないだろうかとわたしは見て取った。
Ý君は、自分が私のことを訊ねれば、逆にわたしが彼のことを訊いてくるだろうと考えているのだろう、と思った。それだけのこと読める利発な青年だと私は確信していた。
逆にわたしも、彼がわたしのことを訊いてくれるのを待っていた。自分のことをY君に話すことで、彼の内面に触れ易くなるだろうと思った。
「話せば長いことながら…なんて言うと、いかにももったいぶったようなんだけど……」と前置きして、わたしは語り出した。
「私には四十年以上もずっと引きずってきた『後悔の想い』があって、それを吹き飛ばすために遍路に来たんですよ。ひとつの人生の区切りと言ってもいいし、今流に言えば人生のリセットというんだろうね。前の2回お遍路と違って、今回はそれを意識して来たんですよ」
「すみません…、後悔の想いというのは…、どういうことですか?」と、Y君は真剣な目を向けた。
「実は、私は子どものころから医者になりたかったんです。ずっと医学部を目指して勉強を続けましたねえ……。ところが、大学受験の直前になって、親父が保証人をしていた二つの会社が、立て続けに倒産してしまったんです。そのために、私の家は莫大な借金を背負い込んでしまったんですよ。親父は畳に手をついて涙ながらに謝りました…。親父もつらかったと思いますよ。こういった訳で医学部はあきらめざるを得なくなったんです」
「そうですか……、あなたもかなりつらかったでしょうね」
「一生のうちで一番泣いたと思いますよ。とにかく泣くだけ泣きましたね。そう言ってばかりいられなかったので、急いで願書を出し直したんです。受験科目の関係で、好きでない『化学』を選んで工学部へ進学したというわけです。俗に言う不本意入学ってやつです。進学した以上は、自分の選択が間違いでなかったと思えるようにしたくて、必死でしたよ。だから、とにかく化学を必死に勉強しましたね。化学も深めればきっと好きになるだろうと思いながら、夢中で勉強しました。そうしている内に、気がついてみたら、なんとまあ……大学院を修了していました。そして、卒業してからは会社の研究所で働いて、挙句の果てには大学の教員にまでなっていたというわけですよ。はじめは想像しなかったですね。何年も何年も化学に係わっていたもんだから、さすがに化学に関心は持てるようにはなったのですが……。しかしねえ…、とうとう好きにはならなかったですねえ。私にとっては、化学は…、あくまでも仕事の手段――それ以外の何ものでもなかったんですよ。大学の教員になって七,八年経った頃ころからそれがわかってきましてね…、二,三年悩んだり、将来のことを考えたりしていたんです。そうしているうちに嫌なものをやっているという意識が強くなって、うつ状態になってしまったんです。それで、これ以上化学を深めたって、自分に苦痛を与えるだけで、もう何の意味もないと悟ったんです。もう限界だってわかったんです」
「それでどうしたんですか?」
「それで、学生時代にやった歩き遍路をまたやってみようと思ったのです。ゆったりと歩きながら考えればいい考えが浮かぶと思ってね」
「どうなりました?」
「室戸海岸の90キロの海岸線を太平洋を眺めながら歩き続けているうちに次第に心が落ち着いてきたのですよ。そして、坂本竜馬で有名な桂浜でとにかく化学者の道から足を洗おうと、完全に決心がついたのです」
「何か参考になった気がします」
「それからは具体的方策を考えたんです。しかし……。いろいろな制約が絡んで…、子どもたちも幼稚園に入っていたし、経済的な面もあってね、一からやりなおすわけには行かなかったんですよ」
「そうでしょうね」
「結局、教えたり人の面倒を見るのが好きだったんで、工業高校の工業化学の先生になったというわけです。だから、残念ながら、化学からは離れることができなかったんです。ちょっとつらかったのは、『化学好きの顔』を装って授業をやっていたということなんです。時々、生徒たちに後ろめたい気持ちになることもありましたね…。そんなこともあって、化学を選んだことを、ずっと「悔い」として引きずって来たんです」
「それで第二の人生では、全く違った別なことをやってみようと思ったのです。さっきリセットと言ったのはそう意味だったのです」 (続 く)
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