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77窟の天井にはたくさんの飛天が描かれていた。
東西2キロに連なる石窟群のほぼ中央に、唐代に造営された77窟がある。
かつて、この窟の入口には、巨大な大仏像が立っていたという。
「ここの砂を掘ってみてください」とガイドに言われて砂をどけると、確かに大仏のくるぶしらしきものが出てきた。
「大仏は、バーミヤンの大仏のように破壊されたのでしょうか? それとも自然崩壊したのでしょうか?」というわたしの質問に、漢人のガイドは「さ〜、どうなんでしょうね?」とさらりとかわした。回教徒(イスラム教徒)の多い新疆ウイグル自治区では、デリケートな問題のでしょうね…。
窟内に入ってまず目を奪われたのは、釈迦涅槃像あったと思われる奥壁の天井画だった。天界の音楽を奏で舞い踊る多くの伎楽天と舞楽天が描かれていた。
執金剛神
天井は10個n長方形に区切られ、その中に、さま座月な楽器を奏でる伎楽天がいる。
東と西の両端に合掌する天人配されている。その内側を東からひとつずつライトを当てていくと、3つまでははっきりとわかるが、それから西に向かって4つの長方形は全く破壊されて不明だ。いったいどのような楽器が描かれていたのであろうか?
もしかすると、当時の亀茲音楽を演奏する上で最も重要な楽器が描かれていたのかもしれない。―― そんなことを想像しながら見るのも楽しかった。
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シルクロードの旅2004
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7つの一般窟を見学した後、希望者は入場料以外の特別有料窟(100元)の38窟の見学をすることになった。
有料は、表向きは文化遺産保護のためと言っているが、価値のある芸術遺産で儲けようと言う腹は見えみえである。どこも中国の貨幣価値からすれば、かなりの高額だが、これまでも炳霊寺、楡林窟、莫高窟で有料窟は経験があるので、今回も抵抗はあまりなかった。最初の炳霊寺ではなんと入場料以外に890元も払ったが、見る価値はあったと、無理に自分を納得させた。
音楽洞と呼ばれた38窟
38窟は17窟の真下にあった。 石窟の形も大きさも、壁画の構成も17窟と似ている。壁画の保存状態はきわめてよい。
四世紀に作られた窟で、「楽天窟」あるいは「音楽窟」と呼ばれている。
中へ入って振り返ると、入口の上の半円型の壁には交脚弥勒菩薩が描かれている。
上を見上げると、天井は、菱形文様で区切られ、その中には釈迦の前生物語が、びっしりと描き込まれている。
入口天井に描かれた月と太陽が相対して描かれている天象図 奥へ向かうと、左右の壁面にはいずれも、弥勒兜率天説法図やたくさんの本生故事図が描かれていた。
楽器を持った菩薩や天女たち
ガイドが「よく見てください」と言ってライトを当てると、楽器を持った数体の菩薩が浮かんだ。なるほど、これで音楽窟と呼ばれるのかと合点した。 楽器は、横笛、阮咸(げんかん)、篳篥(ひちりき)、そして琵琶であった。
まさに東方のビーナスと呼ばれる妖艶な伎楽天もある
后室には弟子に取り囲まれた釈迦の涅槃図が描かれていた。
38窟は西域の香りに満ち溢れて、かつての絢爛豪華な仏教画の世界を偲ばせてくれる窟であった。
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最も高いところに掘られた17窟 下を見るのが怖いくらいだ
石窟の大きさは、高さ、間口、奥行とも約4mで、ほぼ直方体だ。
壁 画 入り口上の半円型の壁画は、浄瓶(じょうびん)を持った交脚弥勒菩薩で、多くの脇侍菩薩を従えている。弥勒菩薩は、首や肩に豪華な装身具をまとっている。往時の亀茲国の繁栄を象徴するかのようだ。.
天井画
天井には、キジル千仏洞独特の菱形の文様が無数に描かれている。この菱形文様は、西域色の強いもので、バーミヤンの影響だとのことである。 。
17窟 弥蘭本生
各菱形の枠内にジャータカが描かれる
一般窟の15、10、4、32、34窟の見学を終えた次は、
希望者は有料(100元)の38窟の見学になった。もちろん私は参加した。
有料窟はあちこちで経験があるので、慣れっこになっていた。
38窟は17窟の真下にあった。音楽洞と呼ばれている。
石窟の形も大きさも、壁画の構成も17窟と似ている。壁画の保存状態はきわめてよかった。
記事は、次回に!
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ガイドの説明によると、荒れるままになっていたキジル千仏洞の修復や窟内の復元はあるキトク奇特な日本人の寄付によって行われたという。
今回見学したのは、8、17、15、10、4、32、34、38、27、谷西である。
天井画や壁画はきれいな状態で残されている窟も結構あった。
これを撮影できないのは心残りだ.が、記憶に残そうとかえってじっくりと観察できた。
正倉院の五弦琵琶と同じ型の琵琶が描かれた第8窟
見学は、キジル千仏洞の最西端8窟から始まった。この窟は5〜6世紀につくられた。日本では大和時代である。
窟内の高さは6mはあろう。比較的大きな窟だった。窟の中は暗くて冷たい。入口上の半円型の壁を懐中電灯で照らすと、壁にが描かれた小さな菩薩たちが浮かび上がった。
写真はいずれもキジル千仏洞の売店で購入した写真集『克孜尔石窟』からのものです。
壁画は、高い天井付近を除いてほとんどの仏も菩薩も目が削り取られていた。「イスラム教徒たちが削り取りました.敦煌の莫高窟へ行かれましたか? あそこも同じです。目だけ削り取られたのはまだいい方で、首から上を削り取られたものの方が多いです」とため息交じりに言う。
ガイドが高さ5mほどのところを照らすと、たくさんのは飛天が、衣をまとい首飾りをゆらめかせ、空を飛びながら楽器を奏でている。
その中の一点にスポットが当てられた。「みなさんもライトを当ててください」とのガイド声で、我々も懐中電灯を一斉にあてると、一体の琵琶が浮がくっきりと見えた。よく見ると絃を張る糸巻が5つある。間違いなく五弦の琵琶だ。みんな興味津々食い入るようにして見ている。正倉院に伝わる、国宝の「螺鈿紫檀五弦琵琶」と同じだった。
インドから、雪深いパミールの山々を越え,死のタクラマカン砂漠を横切り、海を渡って日本にたどり着いた五絃の琵琶がキジル千仏洞のほの暗い天井にひっそりとたたずんでいるのを見た時は震えるほどのロマンを感じた。
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気品ある鳩摩羅什像
ライラックの匂う小道に導かれるようにして歩いて行くと、衣の線の美しい気品のある僧の銅像が迎えてくれました。鳩摩羅什(クマラジウ)の像です。
彼はこの地の出身で、われわれもおなじみの「法華経」「阿弥陀経」などを、サンスクリット語から漢語に訳しました。「色即是空」「空即是色」と言えば途端に親しみがわくはずです。鳩摩羅什は玄奘三蔵と並ぶ名僧なのです。
「クマラジュウさま」と親しげに呼んで現地ガイドは手を合わせた。私も後ろでそれに合わせて手を合わせました。四国遍路へ行くと地元のお年寄りは弘法大師のことを親しみを込めて「大師様」とか「大師さん」と呼びます。そんな感覚なのでしょう。
団体が多いのでガイド待ちになりました。日本ではそんなことはまずないのですが…、その間ゆっくりと周辺の撮影をしました。
鳩摩羅什像
色々な場所で、カメラとアングルを変えてじっくりと鳩摩羅什の像と向き合いました。観れば見るほど、悲劇の名僧の雰囲気が伝わってきます。
鳩摩羅什が女性と交わった破戒僧と言われたことに、私は人間味と親しみを感じています。
仏教の伝来 〜鳩摩羅什と玄奘三蔵のゆかりの寺〜(詳しくはこちら)
30分ほど待ってやっと石窟見学です。鳩摩羅什の座像の前を行くと小屋の入口があり、窟内は写真撮影禁止のため、ここで カメラを預けました。遺跡によっては、撮影料金を出すとOKと言うところもありますが、ここは厳格でした。
キジル石窟千仏洞
キジル石窟千仏洞は目の前にそびえています。
後漢(3世紀)から宋代(10世紀)にかけて掘られた石窟なのです。
急な階段に手すり、幾重にも連なる洞穴、そのすべてに鉄の扉がつき、厳重に鍵がかけられています。鍵を管理する女性が現れて、「ガシャッ」と音を立てて開けてくれるのです。
1973年に発見された新1号窟を含めて237の屈があり、70窟余りは保存状態がよくて貴重な壁画が残されていますが、残念ながら塑像は新1号靴を除くと、破壊されたり持ち去られてしまったのです。 仏像があったとおぼしき正面あたりがどの窟も抉り取られています。焼打ちにあったり、イスラム教徒に破壊されてしまったのだといいます。土色の肌があらわになった窟は痛々しく、天井から壁面の上部にかけて残る絵が色彩の美しさを際立たせています。茶と緑と青と白……。派手な色彩ではないだけにかえって心に残るのです。
ラピスラズリ――― すなわち青は、人々にとって幸せの色であり、家の扉なども青く塗られています。この色は、イランではよくモスクで見かけました。
キジル石窟洞の壁画はとりあえず今日は1枚紹介します。
次回は、壁画を何点か紹介します。
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