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シルクロードのテーマ
あこがれのタクラマカン砂漠
コルラから国道312号を西へ
左手にタクラマカン砂漠、右手に雪をたたえた天山山脈を見ながら走る。
砂漠にはところどころに紅葉したタマリスクが見られる。9月初旬だが、早くも秋の気配。
170キロほど走り、塔里木(タリム)沙漠公路の入口に到着。
塔里木沙漠航路をケリア(ニア)付近まで南下
道路の両側には胡楊の木がたくさん生えている。枯れているものも少なくない。
頼れる添乗員二村忍さん 食堂「戈壁天堂快饗」 公路の中間付近の食堂にて昼食
食堂「戈壁天堂快饗」にて昼食 食堂の主人は陽気で気さく
羊の肉を乾燥させてカレーでまぶしたもの 昼食のメニュー カレーを振りかけてたたいてやわらかくする 典型的なウイグルのおじいさん いよいよ憧れのタクラマカン砂漠
初めて砂漠らしい砂漠を見ました。大感激です。
砂の移動を防ぐために「よし」で作った筵のようなものがところどころに埋め込まれている。(写真右上)
もう少し砂漠の中まで入りこむと風紋砂丘がきれいな模様や曲線を描いている。
夕日に染まった砂漠は深みが増して… まさに絶景ですね〜
次回では、再び北上して塔里木沙漠公路の入口に近いところまで戻って、クチャまでラクダでミニ砂漠旅行を楽しみます。 |
シルクロードの旅2004
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このシリーズでは、西安からイスタンブールまでをダイジェスト版で駆け足で紹介しています。
詳しい記事はこのダイジェストシリーズが終わったらアップしますのでお楽しみに!
●2004シリーズの主な訪問先 民族舞踊鑑賞
トルファン1泊目の夜、ホテルの中庭で民族舞踊を鑑賞しました。
幻想的な雰囲気での踊りは最高でしたね。
最後は観客も誘われます。一緒に踊って盛り上がりました。
トルファンからウルムチへ1日往復旅行
ウルムチ博物館で楼蘭の美女とご対面
撮影禁止なので展示写真をごらんください。
カメラが不調のため、予備にウルムチのデパートで安いコニカ製カメラを購入
トルファンに戻って民家にて夕食
トルファンからコルラへ
上海から4000キロの表示
コルラ
石油開発の中心都市で、新疆の上海と言われ漢民族が80%ととのこと。
ホテルの屋上から見ると、集合住宅の屋上には、ソーラーシステムが設置されている。10年近く前にしては進んでいる。
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トルファンの朝
私はシルクロード旅行中、ほとんど毎日、朝晩の散策(取材)を欠かしません。
その朝も6時30分にホテルを出発ました。
あたりはまだ真っ暗です。
日中は40度を超す9月初旬のトルファンも、朝は少し肌寒く感じます。
20分くらいうろうろしたころやっと薄明るくなりました。
人民解放軍が歩行訓練をしていました。通りはぶどう棚になっていますが、採ると罰金ものとのこと。
交河故城
中国でただ一つ残る漢代からの都市遺跡です。世界最大、最古級とのことです。
まず、陳列館へ。航空写真(パネル)で見ると、かなり大きいことがわかります。
それに、中々攻められない構造になっています。
まるで巨大な航空母艦を思わせるような交河故城
南北1650m、東西最大幅300m ラクダで見学する人もいましたが、我々は徒歩で回りました。結構歩きがいがあります。
仏塔だそうです 観光用カレーズ
トルファンには観光用カレーズが二つありますが古い方を見学しました。
カレーズの水路
商売っ気たっぷり、お土産も売っています。
一緒にカメラに収まると100元 なかなか良い商売だな〜
でもなんだかヒマそうだった。
トルファンバザール
どこの町でもバザールは活気に満ちています。人々の生活が見えて楽しさいっぱいです。
ブドウの乾燥剤として硫黄粉末が堂々と売られていました
ウイグルの子供たちは写真がとても好きです。カメラを見つけると我先にと近づいてきます。
トルファン郊外にて
オアシス
オアシスのポプラ並木のトンネルを涼やかな風が吹き抜けていきます。ゆったりと時が流れます。こころが和みます。
ブドウの乾燥室
日光を当てずに熱風で乾燥させると緑色に仕上がるとのことです。
砂漠の道
蜃気楼
まるで湖のようです。昔の旅人がこれに惑わされたのもわかりますね
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灼熱のトルファン
ハミからトルファンへ向かうバスの中、私はウキウキしていた。
私にとっては、トルファンは玄奘三蔵にゆかりの深い土地だからだ。西遊記で有名な火焔山や、玄奘三蔵(三蔵法師)が長く滞在した高昌故城などをこの目で見るのが楽しみにしていた。トルファン地区には、このほかにもたくさんの有名な遺跡や名所がある。
ハミからトルファンに向かう途中には、ところどころに、狼煙台が見られた。玄奘三蔵も烽火が上がるのを見たかもしれない。
バスの左手に、あこがれの火焔山が見えてきたが、その日の最後に近くまで行くことにして、まずベゼクリフ千仏洞へ向かう。
ベセクリク千仏洞
火焔山の一角の断崖に、5世紀から14世紀にまでに彫られた仏教石窟である。
83の石窟あり、40窟に壁画がある。この内6つを見学。
壁画
仏教壁画の宝庫と言われたが、イスラム教による破壊や、外国の探検隊による持ち去りで、大分荒らされていた。見ていて心が痛んだ。
はがされた壁画 こちらは、龍谷大学の『龍谷ミュージアム』館内に再現されたベゼクリク石窟寺院の壁画回廊です。京都へ出向いた折に、特別展示をしていたので見学しました。
写真集により紹介します。
可愛らしいガイド嬢 アスターナ古墳
高昌国時代、唐西州時代(237年から778年)の墓地群です。
古墳入口 |
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敦煌周辺の遺跡めぐり
玉門関と漢代長城
玉門関
。
玉門関という名前は――
西域のホータン国で採取される「崑崙の玉」がラクダの背に積まれ、漢の領土に輸入されたことに由来しています。その玉と絹との交易を盗賊に妨害されないように、漢代の長城線は敦煌よりも西の場所まで延びていたとのことですです。つまりここが国家の力が及ぶ最西端で、ここかえら先が本当の意味での西域への旅立ちでした。 関址は、まるで巨大な土の箱です。もちろん上層部が壊れているので、天井はなく、西と北の壁に入口が二つ設けられています。どんな建物だったのかこれを見ているだけでは見当が付きません 砂漠の旅は、暑い昼を避けて夕方から歩き始めたと言われています。このような光景の中、長い別れを惜しんで夕日の方向へ向かって、西へ西へと歩き出したのかもしれませんね。すごくロマンをくすぐられました。
漢代長城
漢代長城は、土の層と藁の層をいく層にも積み重ねる「版築工法」で作られてます。この技法によって藁が発酵しより強固な壁とります。
元来は5,6mありましたが、崩壊したり砂に埋もれているため現在の高さは2メートル弱でした。
陽関
南西約70kmにあり、漢代に建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つです。
陽関までの移動は電気カートです。 中国の観光地には、近年は電気カートが多いですよ。馬でやって来るロマン派もいますよ。
陽関博物館(敦煌故城)
ここは映画「敦煌」で使用されました。
再現された関所に入ると先ず、漢の関所役人と兵士が、重々しく旅人(観光客)を監査を受けた。名を告げると、通行手形に名前を書いてくれる。問題がなければ通行手形に印を押して、仰々しく手渡された。
敦煌からハミへ
砂漠の道はどこまでもまっすぐに続く。
今回の旅の中では、初めてラクダにお目にかかった。
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