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祈りの場を寺院に創設する意義
みちのく巡礼の「祈りの場」の核は「東日本大震災物故者慰霊」です。
同時に「伝承の場」でもあります。巡礼者が祈ると共に、慰霊碑や伝承碑に書かれた災害の記憶や教訓をしっかりと心に刻み、後世の人々にぜひ語り継いでもらいたいと強く願っています。それが未来の尊い命を守ることにつながると確信いたします。
大津波の教訓を後世に伝えるために、先人たちが「津波石」や「津波記念碑」などに込めた思いは、残念ながら現代の人々に届くことなく、東日本大震災では多くの尊い命が犠牲となりました。震災後私は、各地の被災地を訪れましたが、何の碑かわからないほど苔むしたり朽ち果てた津波石や津波記念碑を目にして、とても残念な思いでした。
こうした実態から、きっちり伝承の役割を果たすには、伝承碑や慰霊碑等を立てる場所は維持管理がしっかりしていて、忘れ去られない場所であることが重要だと、強く実感した次第です。
寺院では住職が代々継承されるので、慰霊碑や伝承碑がしっかりと守られるはずです。しかも寺院は各地域にまんべんなくあり、地域との密着も強く、墓参や法事、祭り等の行事で人が集まるので伝承や啓発の機会が多くあります。また、災害の犠牲になった檀信徒を持つ寺院が多いので慰霊に対する思い入れが強いことも大きな要因です。納経は巡礼する人々に達成感を持たせることができます。寺院同士は仏教という共通性・系統性を持っているので連携が可能で、巡礼地を結ぶ巡礼の道を創る点でも有利です。
こうした点を考えて、巡礼地創設は寺院を中心に行うことにしました。
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みちのく巡礼〜東日本大震災慰霊
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同級生の皆様
Sです
Tさん、Tさん、Nさん幹事ご苦労様です。よろしくお願いいたします。
私の脳梗塞リハビリも7か月過ぎましたので、そろそろ維持期に入って一進一退なのですが、それでも薄皮をはぐように回復しています。
まあ、年単位の長期戦ですね。一時死を予測され、生きても寝たきりを予想されたのですから、足を引きずってでも歩けるようになっただけでも上出来ですが、これからもあきらめずに頑張りたいと思います。
まず当面は、来年4月の同期同級会参加を目標にして、リハビリ頑張ります。
歩きはまだまだですが、気力だけは衰えないのが幸いです。
東日本大震災等の「自然災害犠牲者を慰霊し、災害の教訓を伝える祈りの場」を創る「みちのく巡礼」の活動は、
文字通り「苦節3年」、2,3度挫折しそうになった時周囲から強い励ましをいただき、多くの方々のご支援をいただきながら、お陰様で少しづつ軌道に乗ってきました。
「祈る」「語る」「結ぶ」を通して東日本大震災の記憶と教訓を伝えてゆきたいと思います。
東日本大震災の時に、震源地に最も近い島金華山で3度も命拾いし、脳梗塞でも医者も死を予測したところを助かったのですから、
私利私欲を捨てて、やり抜くしかないと思います。
入院当初からのことを思い出して書いてみようと思います。よろしかったら、お付き合いください。
入院後どんどん病状が悪化し、3日後には意識も薄れて、死後硬直のように右半身が全く動かなくなり、話すことも出来なくなってしまいました。わたしを覗き込む医師の表情を見ると、死を予測しているのがよくわかりました。(病状が大分回復した時点で、医師もそう話していました)。そして、私は病床で《自分も父と同じ病で死ぬのかなあ》と淡々と思いました。命をとりとめても寝たきりか、少なくとも重度の後遺症での介護生活を覚悟しました。しかし意外にまるで他人ごとのように冷静にそれらを受け入れていました。客観的に考えられたのは、あまりにも活動に無理をしすぎてストレスを貯めすぎたからだな〜と、その時自己分析出来たからだと思います。これまでの人生、無理を重ねてきた結果だと観念していました。このまま死を迎えるにしろ、寝たきりになるにしろ、ゆっくり休めるな〜という気がしました。だからこの病気にかかったことは、天の思し召しであり、自分に長期休養を与えてくれたとさえ思えました。そして、何かに行く末をゆだねるといった落ち着いた心境だったような気がいたします。
実は、私の父親は脳梗塞で死亡したのですが、入院する直前まで卓球をしておりました。そして「休養だと思ってちょっと出掛けてくるよ」と言って、午後3時ころに車で送られて行ったそうです。ところがその晩、容態が急に悪化して意識不明になり、あっという間に死に至ったそうです。54歳というあまりにも若い死でした。
私の場合に話を戻しますが、4月11日の東日本大震災の月命日に、必死に指を動かそうとすると微かに動き始めたのです。光明を見た気がいたしました。そしてどこからともなく「おまえにはまだやることがある!」という声が聞こえて来ました。その時、「俺はみちのく巡礼を絶対完成させなくちゃ」と、すごいパワーが満ち溢れるのを感じました。天がエネルギーを与えてくれて応援しているように思えました、これがその後の回復に良い影響をもたらしたものと思います。第二の人生の仕事の選択肢の一つとしてスポーツトレーナーになることも考えておりましたので、リハビリにも大変興味があり、意欲的に楽しく取り組むことができました。だから、他の患者さんよりリハビリ成果が上がったのだと思いました。入院中読んだ『脳梗塞』という本に、「リハビリ効果は患者の意欲で天と地ほどの差が出る」と書いてあったことが、なるほどと納得できました。
実は私自身不思議に思うのですが、3月11日・東日本大震災4年後の祥月命日のことです。いつもは静かに犠牲者の方々を慰霊していたのですが、その日に限って《みちのく巡礼を完成するまでは私を生かしておいてください》と祈っていたのです。その時にはいたって健康でした。その事をみちのく巡礼のメンバーにその日の内にメールで知らせました。1ヶ月後にその事が実現したとしか思えません。それは天か、神か、仏か、はたまた大自然のいずれによるものかわかりませんが、金華山で3度命を救われたときと同じように、目に見えない大きなものに守られたような気がいたしました。この文を書いている今もそれを思い出して熱いものがこみ上げてまいります。
みちのく巡礼はきっと天命であり、私の宿命なのだと思えて仕方がありません。この大事業は誰かがやりとげなければならない重要なことだと確信しています。それを何の因果かはわかりせんが、天は選りによって、非力な私にその役割を命じられたのです。だから、目に見えない大きな力で私を後押ししてくれるのだと思います。私が小学2年生の時、祖母がよく当たると評判の高い拝み屋に5人の孫たちのことを占ってもらいました。そうすると、私に関してはただ一言「この子は将来多くの人に助けられて大きなことを成し遂げる」と言われたそうです。おまけに、生まれてからこれまで7度も死に遭遇しております。その都度助けられたことになります。だとすれば「私利私欲を捨てて命がけでみちのく巡礼をやり遂げるしかない」と強く決意いたしております。
みちのく巡礼の活動は、責任者としてストレスが大きく、脳梗塞の再発のリスクが大きいのですが、必ずやりとげるという強い決意と信念で取り組んで参ります。もしこのために早く亡くなったときには、天は「ご苦労様でした。ゆっくりお休みなさい」と言ってあの世へ召してくれるのだと思います。ですから自分の命は天にお預けして自分のできることに全力を傾けるだけだと思っております。
「夢や使命は強く願えばかなうもの」と信じて頑張って行きたいと思います。
千年遺すものを創り上げるつもりで取り組んでおりますので、気持ちは強く持ちながらも、あくまでも焦らずに、せっかく救っていただいた命を大切にすることを心がけながら、四国歩き遍路のように「一歩一歩あゆみを進めていれば何時かは着くさ」の気持ちでじっくり取り組みたいと思います。
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今日は東日本大震災4年8か月の月命日です。
5時に起きてお祈りさせていただきました。
タオライアーも心を込めて弾きました。
私が東日本大震災犠牲者慰霊のためのタオライアーりの響きを初めて聴いたのは、震災2年半後でした。この日の慰霊には、みちのく巡礼の活動の応援者の女性がタオライアーを持って初めて参加しました。
仙台空港、名取市閖上の日和山で祈った後、仙台の荒浜海岸にある慰霊碑へ到着しました。以前は、地元有志によって建てられた木製の慰霊搭が一本立っていただけでしたが、その近くに黒御影石製の石碑や観音様が建立され、慰霊塔もその傍にされていました。
以前の慰霊塔
母の悼み
この慰霊塔にお祈りした後、わが子を亡くしたという若いお母さんに出会いました。彼女は、
「仏壇の前で自分の子を悼むだけでなく、犠牲になった他のお子さんたちにも祈りをささげてあげたかったのです。そして、私と同じようにお子さんを亡くしたお母さんたちを想いました。哀しい気持ちを共有でたような気がして心が少し和みました。けれど、この慰霊塔は海のすぐ前にあるので、子供が自分の目の前で津波にのまれた時のことがはっきりと思い浮かんで来るのです。だから、つらくなるし、怖いのです。私は向こうにある浄土寺の慰霊碑の前の方がとても心が休まるのです。よかったらあなたも行って見てください。」
と,仮設のお寺を指さしました。回想するようにとつとつと話すこのお母さんの語りが、痛いほど胸に迫って来ました
タオライアーの祈り
わたしたちは、内陸側へ300mほど入ったっ所にある浄土寺を訪れました。このお寺は津波で流出してしまい、仮設のプレハブのお寺でした。
わたしは、いつも通り慰霊碑の前で合掌して読経しました。
応援の女性はは坐ってタオライアーを弾き始めました
慰霊の場で初めて聴く祈りの響き―― 癒しの音色でした。東日本大震災で亡くなった方をタオライアーで慰霊するのは、その方が初めてに違いありません。
はじめ高音部からやわらかい音色が響いてきました。心にも体身体にもにじわ〜っと、自然に入り込んできました。わたしが想像していたのとほぼ同じイメージでした。この音色を聴きながら、津波で亡くなった方々の魂も安らぎをおぼえるだろうな〜と感じました。低音部からの音は津波の音を私に思い起こさせました。津波に巻き込まれながら、苦しみもがいている人々の顔が浮かびました。そしてその人に御霊(みたま)に、“安らかにお眠りください”と声をかけました。そうすることで自分自身も安らいでゆくのを感じました。その時も、自分が奏でる姿をなんとなくイメージしていました。
でもその時はまだ、ライアーは、ドイツの楽器というイメージがあり、自分にとって少し遠い存在でした。その後、タオライアーの慰霊の響きを聴く機会が何度かあり、次第に身近に感じるようになってきましたので、我々のみちのく巡礼のメンバーが山形県米沢市を訪れた時にも来ていただいて演奏してもらい、タオライアーをメンバーにも紹介しました。
その後、私もタオライアーオーナーになりましたので、早速震災3年3か月の6月11日の月命日にはタオライアーを持って荒浜の浄土寺を訪れました。
初のタオライアー慰霊を行おうとして弾き始めたとたん、手が止まりました。何分にも発演奏です。心を落ち着けて慰霊に心を傾けることが出来ないとすぐに感じました。これでは却って犠牲者の方々に失礼になると思いました。
もっとタオライアーに魂を込めるようになってから慰霊しようと思いました。そして、いつも通り心を込めて読経しました。
しかし、そのことを応援女性に話したところ、“音色はその人の心を響かせるのです。上手下手ではないのですよ。あなたから出る音はあなたそのものなのです。あなたの気持ちをそのまま伝えればよいのです”と、諭されました。それからは、心を込めることだけを考えて打ち込んでいます。
慰霊の後、いつも通り慰霊碑の碑文を読みました。この碑文の内容を想像するだけでなく自分自身の震災の日のことが鮮明に思い出されました。このような碑文は、東日本大震災の記憶や教訓を残すためにはぜひ必要だと、改めて強く感じました。
みちのく巡礼の祈りの場が完成したら、自作のタオライアー「イノライアー」をお供にして東日本大震災などの自然災害犠牲者の方がたの慰霊を行いたいと思います。
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亡くなった方々や被災した方々のために自分ができることは何か?を被災地でボランティアをしながら真剣に模索
東日本大震災に遭遇し、建物崩壊の危機、崖崩れの中の高台避難、さらには高台にまで迫った巨大津波から逃れて三度命拾いをしました。その時思ったのは、「自分は何か大きな力によって生かされたのではないか」ということでした。同時に浮かんだのは、四国遍路でお接待をしてくれたおばあちゃんが言った「人のために役立ちなさいと生かされています」という毅然とした言葉でした。この言葉に背中を押されるように、「これからは被災された方々の役に立つ事を実行しながら生きていこう」と決心いたしました。―― このことはすでに何度か書かせていただきました。
「亡くなった方々や被災した方々のために自分ができることは何か?」
震災後まもなくから、いても立ってもいられなくて、とにかく被災地に行って見ようと思い立ち、ボランティアや慰霊のためにひんぱんに被災地を訪れました。特に東日本大震災が起こった3月11日を祥月命日、毎月11日を月命日と心に定めて慰霊に出向いていました。私は北は青森県八戸からから南は福島県南相馬市までほぼ全ての市町村の被災地を尋ねました。
始めのうちは只々、被災した人たちを助けたい、亡くなった人々の魂を安らげたいとの純粋で強い思いだけで、がれき片づけ、泥さらい、流出した墓石の運搬などを若い人たちと一緒にに励んでいましたが、その内、避難所での避難者名簿の作成、支援物資の整理や配給など年齢にふさわしい軽作業やを頼まれて携わるようになりました。
しかしこうしたボランティアに励みながらも、常に「亡くなった方々や被災した方々のためにもっと他に役立てることはないのか? 本当に役立つことは何か? 自分が本当に役立てることは何か?」という思いはいつも持ち続けていました。
私は、阪神・淡路大震災約1年後、四国歩き遍路で身内を亡くした多くの人々との出会い、四国霊場が祈りと癒しの場として大きな役割りを果たしていることを意識していました。また、東日本大震災の折に牡鹿半島の鮎川で避難所生活を送っていた時、何もない浜辺でひたすら祈る母子の姿見て号泣し、祈りの場を創ってあげたいと強く思いました。さらには、大震災で小中高の同級生が数十人も亡くなりました。
このような事実を思い浮かべる度に、<祈りの場を創りたい>という思いは強く込み上げて来るのです。
しかし、私個人には手に余ることに、どのようにして取り組むのか思い付きませんでした。
こうした思いを持ち続ながら、災地で身内や知人を亡くした人々と出会うたびごとに、身近な場所に祈りの場を望んでいることがひしひしと心に刺さるように伝わっ来るのです。
震災後しばらく経ってからでさえも仮設住宅などを訪れると、多くの遺族の方々から祈りの場が欲しいという訴えがありました。
そして、私がやるべきことは「東日本大震災で命を落とされた方々を慰霊し、自らも心が癒されるような祈りの場や心の拠り所を創設する」ことだという思いを深めていきました。
ある時、祈りの場を創りたい思いを一緒にボランティア作業をした若い和尚さんに打ち明けました。いろいろな体験をお聞きした後で、そのすると「素晴らしいことです。力になりたいです。しかし現実はは厳しいですよ」と語りました。
そして和尚さんはじめ、いろいろな宗教者の方に紹介してくれました。
その後も色々な宗教の方々といっしょにボランティアをする機会がありましたが、和尚さん、神主さん、牧師さんなどなど、仏教、神道、キリスト教などの宗教、宗派にかかわらず力をを合わせて支援や復興に励んでおりました。一つの目的に向かって協力し合う姿に人間の根源を見るようで大きな感動を受けました。それを見て、祈りの場を創るときに宗教や宗派によるハードルが思ったよりも高くないと感じられて少し安心いたしました。 とにかく行動に移してみよう
まず始めたことは、月命日に被災地を訪れて慰霊したり、お寺さんや神社を回っていろいろお話を伺おうということでした。しかし、あちこち歩いているうちにすぐに気づきました。流出したり、仮に残ってもつても人が住める状態ではないのです。もちろん人影が全くないのです。地元の人にお聞きして仮設住宅を訊ねると、予想した答えが返ってきました。つまり、慰霊の場を創りたいが、自分の住む場所もない状態ではどうしようもないということです。本当に祈りの場を必要としているところは、まだまだ創るどころではないのです。
すぐに祈りの場づくりの行動を起こすのは無理だと思わざるを技えませんでした。
ただ簡単にあきらめるわけにはいきません。ですから、それまで通りボランティアと慰霊をしながら、情報を掴む努力を続けました。 |

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みちのく巡礼の主旨
「みちのく巡礼」の主旨は次の3つです。
⑴ 東日本大震災犠牲者を悼み、自らも癒される場、心の拠り所となる場の創設
⑵ 災害の記憶や教訓の「伝承」
⑶「自らの命は自ら守る防災意識」の啓発
犠牲者を悼む人々が、祈る行為と慰霊文や伝承文など読むことで、災害の
記憶や教訓をしっかりと心に刻み、後世の人々にぜひ語り伝えてもらいたい
と切に願っています。それが未来の尊い命を守ることにつながると確信しま
す。
祈りの場は津波被災地が中心となりますが、みちのく巡礼の主旨がより多くの人々に反映されるように内陸部にも創設します。巡礼地の数は四国霊場に倣って八十八ヶ所程度を目安としとし、巡礼地を結び四国遍路のような「みちのく巡礼の道」を創設いたいと考えています。
活動は大きく分けて、
① 被災地を訪れていただくための活動
② 東日本大震災を伝える活動
③ 災害時のネットワークづくりのための交流
以上の3つです。
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