東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

私の3.11あの日あの時

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船で避難した仲間も無事だった 
 船が出発してからずっと金華山の山肌を見続けた。見れば見るほど、高台へ避難した時の恐ろしさが込み上げた。自分たちがさらされた昨日の状況がいかに厳しいものだったのかを改めて実感させられたのである。あんな大きながけ崩れの道をよく逃げおおせたものだな〜つくづく思い、涙をこらえきれなかった。みんなも食い入るように見続けていた。どんな思いが去来していたのだろうか。
 
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             がけ崩れの跡が生々しい金華山の山肌


 それだけに船で避難した仲間のことがことさら心配になった。出発してから乗務員はずっと動きずくめだった。津波が来る前に、我々を無事鮎川港に届けることで精いっぱいだったのだろう。それでもちょっと落ち着きを取り戻したころを見計らって、遠慮しながらも乗り員に安否を尋ねると、
―― 地震が来る直前に二人だけが乗船してきた。ところが乗船してきたとたんにあの大地震が起こった。そのためとっさに沖へ向かってとにかく船を走らせた。初めのうちはただひたすら沖へ向けて船を走らせた。しかし、島にはまだ11人の仲間がいるので、助けてほしいと二人が言うので、いったん島の方へもどって声をかけたが、誰も桟橋まで戻る気配がないので、そのままま再び沖へ向かった。
 沖に出て間もなく津波がやって来た。
船は昨夜一晩中沖を航行し続けて、今日になって津波の心配があまりなくなったころを見計らって、午前10時ころ無事鮎川に送り届けた。二人には石巻市牡鹿総合支所の避難所行くとよいでしょうとアドバイスして別た。現在はに避難しているはずである。二人を下してから海の状況を見計らって迎えに来た―― と話してくれた。

これで13名全員の無事が確認されたのである。みんなで手を取り合って喜び合った。

我々を乗せた船は太平洋の大海原に出た。海の色は皮肉にも津波前よりもずっときれいな青みを帯びている。何だか暴れ放題暴れてとりすましているようで、いつもは海が大好きなのだが、その時は憎らしさを感じた。きれいな海面のいたるところに、がれきや仰向けになった船が波に漂っており、牡鹿半島の岸はおびただしい量のがれきで埋まっている。津波の被害がいかに大きかったかを改めて痛感させられた。昨夜ラジオで「牡鹿半島は壊滅状態」と聞いていただけに、想像以上の悲惨な状況に遭遇するのが目に見えるようで恐ろしい気がした。

 
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             海のあちこちに、たくさんの船が船底を見せて浮いている。
 

 港近くになると、港内に入れない船が、流出防止のフェンスで周囲を囲んで停泊していた。
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 鮎川が見えてきた。
金華山で聞いていたラジオ放送では、鮎川は壊滅的被害と報道されていたが、遠くから見た限りでは、そのようには見えなかった。思ったほどではないのかなと、少し安堵した。

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無事だった船で避難した仲間  
それだけに船で避難した仲間のことがことさら心配になり、出発してまもなく乗組員に安否を尋ねると―― 、彼らが乗った船は昨夜一晩中沖を走り続けて今日の午前中に無事鮎川に上陸した。現在は石巻市牡鹿総合支所に避難しているはずだ。二人を下してから海の状況を見計らって迎えに来たとのことだった。これで⒔名全員の無事が確認されたのである。みんなで手を取り合って喜び合った。太平洋の大海原に出ると、海の色は津波前よりもずっときれいな青みを帯びている。だがこの海面のいたるところにがれきや仰向けになった船があちこちで波に漂っており、牡鹿半島の岸はおびただしい量のがれきで埋まっている。津波の被害がいかに大きかったかを改めて痛感させられた。昨夜ラジオで「牡鹿半島は壊滅状態」と聞いていただけに、想像以上の悲惨な状況に遭遇するのが目に見えるようで恐ろしい気がした。

鮎川港へ上陸 
 我々の船は1キロほど沖でエンジンを停止させた。そこから岸壁までは金華山出発時と同様、ボートでのピストン輸送だ。
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  遠方から見ると桟橋付近にはコンクリートの建物がいくつか見える。被害はラジオで報道されたほどひどくないのではないかと思えた。だが上陸してみると、残っていたのは鉄筋コンクリートの建物の外壁だけで、内部はすべて破壊されてがれきで埋まっていた。ひどい建物は鉄骨しか残っていない。前日歓迎してくれた鯨のマスコットは辛うじて残っていたがビニールや紙が絡み付き、それが風に揺れるさまはまるで幽霊が取り付いているようで不気味だった。鯨の町のシンボルが残っただけでもいいじゃないかと、無理に自分に言いきかせながらもむなしさいっぱいで、とぼとぼと桟橋から街の方向へ歩き出した。

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予期せぬ救出船
 水運びが終わって境内に散らばっている落下物を片づけていると「みなさんお昼にしてくださ〜い」と、巫女さんから声がかかり食堂に降りてゆくと、カレーの匂いが 心地よく鼻を突いた。「うわ〜贅沢だな〜」と思いながらも、思わず腹の虫がグーッと鳴いた。おまけにゆで卵までついている。これは、停電のなせる業だ。、蓄えてある食料を大切に食べなければならないので、停電でなければ、仮にカレーでも、肉なんかを探すのは至難の業だったにちがいない。
 
 我々は長期滞在を覚悟はしていたが、あきらめたわけではない。交代で高台から海を見張っていた。
 午後2時ごろ、船着場の様子を見張っていた仲間が、
 「迎の船が来るぞ!」と叫んで、息せき切って神社まで駆け上がってきた。
 全く予期しないことだった。拍子抜けするほど早いと、うれしさが込み上げて来た。
 後で聞いたところによると、この船は黄金山神社に工事に来ていた人々を迎えに来た船なのだそうだ。建設会社が船をチャーターして危険を冒して従業員を迎えに来たとのことだ。我々は実に幸運だったのです。

 地震が来ればすぐに避難できる身づくろいが出来ているので、とっさに行動が出来た。
 神社の方々は、「鮎川へ行ってもろくに食べるものがありませんよ。ここにいた方が無難ですよ」と言ってくれたが、我々は一時でも早く陸地にたどり着きたかった。
 せっかくのご厚意ではあったが、何はともあれ神社の方々に厚くお礼を言って、りュックを背負って一目散に船着き場へと向かった。ちょっと申し訳ない気分だったが仕方がない。千載一遇のチャンスを逃すものか、といった気分だった。
 岩や倒木を乗り越えながら、そして躓かないように気を付けながら、そして海へ転落しないように気を配りながら苦心惨憺して坂を下った。

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船からは、
 「津波が来る可能性がありますので急いでくださ〜い!」
「明日以降は、お迎えに来れませ〜ン!」
と、ハンドスピーカーで叫んでいる。
千載一遇のチャンスを逃してなるものかと、必死だった。
 遠くにまさしく船が見えた。
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 しかし沖に停まったままだ。
道理でそのはず。
  桟橋付近には大量の流木や流された車やいろいろなものが沈んでいるので、近づけないのだ。
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 桟橋で待っていると小さなモーターボートがやって来て、3人ずつ観光船までピストン輸送してくれた。

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鮎川へ向かう
 建築会社の方々5名と我々11名合計16名を乗せた船は、小さなモーターボートを曳航しながら、鮎川へと向かった。
 予想よりかなり早く帰宅できるのではないかという安堵の気持はあったが、一方、いつ来るかわからない余震による津波を心配して、船の乗員3名も我
々乗客も緊張していた。

    
 
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 船から金華山の山肌を見ると、がけ崩れの跡が明確だった。あんな大きながけ崩れの道をよく逃げおおせたものだと思うと、ぐっとこみ上げた。
 
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                           がけ崩れの跡が生々しい金華山の山肌

後から聞いたところ、沖に逃げた仲間は船からがけ崩れの様子を見ながら、ほぼ全員がけ崩れで命を落としてしまったと思っていたそうだ。



  ご恩返しの勤労

 黄金山神社の禰宜さんと被害調査を終えて神社に戻ると、社務所の人たちや巫女さんたちが焚き火をしている。
  避難している16名(我々以外に5名の方がお世話になっていた)が、暖を取れるようにとの配慮である。私たちも、境内の木製の落下物や、周辺の倒木やなどを集めてきた。我々が交代で火の番をすることになった。

  “何でもいいですから、やれることがありましたら申し付けてください”と申し出ると、 「それでは、水汲みを手伝っていただけませんか」と頼まれた。
 神社から300メートルほど離れた「金光水」という湧きがある。そこから20リットルポリ容器やペットボトルなどで飲料水や洗い水などを運ぶ仕事である。

私たちは長期の避難生活を覚悟していたので、神社の一員という気持ちで積極的に仕事を買って出た。水の運搬の他、復旧作業、落下物の焼却などに精を出した。少しでもご神社の役に立てるかと思うと気分がよかった。
働いた後の昼食のカレーライスはことのほかおいしかった。

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  何回も往復しているうちに、汗ばむほどであった。
  ただ御世話になっているよりも、ず〜っと気分がよかった。

交代で救出のための見張り
 しかし一方では、救援をあきらめてわけではない。
 二人一組になって沖を走る船を30分交代で見張っていた。
そんな時はまるでロビンソンクルーソーになったような気分だった。
もちろん大きな期待は持ていなかったが、わずかな可能性を期待してやれるだけのことはやろうと思ったのである。
 






 

 大地震と大津波の恐怖の余韻がいまだ冷めやらぬ翌12日朝、未だ時々余震が来ているが、比較的穏やかな朝を迎えた。昨夜はすっかり疲れ果て、早めに床に就いたせいか、いち早く目が覚めた。仲間たちはまだ眠っている様子だ。

 昨夜何度か目が覚めたが、その都度、,船の発着所付近や高台まで避難した道がどうなったのか気になって仕方がなかったので、起きて早々に調べに出かけた。
 薄暗い境内は、昨日降った雪で薄っすらと覆われていた。まだ人の気配はない。
何事もなかったかのように静まり返っている。ただ、倒れた灯篭はそのままの惨めな姿を残し、あちこちの木の枝が折れ、倒れた木もあった。崩れた岩がところどころにに散らばっていた。

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 昨日、津波を避けて避難した高台から海を眺めると、完全に波が静まったわけではなく、まだ高波の様相を呈していた。
 ここまで来てはみたものの、団体行動なので勝手な行動は、慎まなければならないと思い直して神社に戻りかけると、ちょうど神社の禰宜さんががやって来て、これから被害状況を調べに行くという。「一緒に行ってもいいですか?」と尋ねると、
いいですよ、と言ってくれたので同行させてもらうことした。

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 高台から船着き場への道
 
神社から桟橋までの道は、津波避難の時よりもさらに破壊が進み、岩や木が積み重なるようにして道を覆っていた。改めて〈よく命があったなあ〉と思いながら岩や木を乗り越えた。幸運と適切な判断だけではなく、何か目に見えない大きなものに守られたのではないかとしみじみ感じた。
ここまで下ってくると、がけ崩れの痕がはっきりとしていた。大抵のところは落下してきた岩や松の木などで道がふさがれた状態だ。改めてすごかったのだと実感させられどおしだった。
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 道路は著しく亀裂が入り、半分は崩れて海に落下していた。

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                      塘路や石柱はことごとく倒れていた
 
  こうして歩いてみると、崩れてくる岩にも、倒木にもれず当たらずによくぞ逃げおうせたものだなあと思う。特に直前に大7つもの大岩に襲われた地点では、改めて身がすくんだ。3度も命が助かったのは、単に幸運や判断だけでなく、目に見えない大きなものに守られたのではないかと、しみじみと思った。

惨憺たる船着場周辺

 桟橋付近の三つの建物はいずれも鉄骨やコンクリートの柱だけが残り、それにがれきやビニールなどが取り付いていて、水の怖さをまざまざと見せ付けられた。待合室の屋根やお土産屋の二階に上がらなくてよかったとつくづく思った
 
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  船の待合所は鉄骨だけが残り、惨憺たる状態でした。
 
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 私が自身のとき身を守った場所には、どこから押し流されてきたのか、軽ワゴンが鎮座していた。
 この建物の屋根に上らず、がけ崩れの危険を冒してでも、高台に逃げたことがやはり適切な判断だったと思う。
 
 
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  船着場のすぐ後ろのモルタル造りのお土産屋の建物も骨だけになっていた。 実はこの建物の屋上も一周浮かんだ避難候補だった。もしもこの建物の屋上に避難したら…と思うと、ぞっとした。

  振り返ってみると、これまでの人生には生死にかかわる大きな出来事が7回あったが、今回の災難は、間違いなく、その最大であろう。


 

黄金山神社を頼る〜神は見捨てない

 津波は第4波までやってきたが次第に弱まりを見せてきた。

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           津波が弱まって再び姿を現した岸壁

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津波が収まると、それまでそれぞれ個々に行動していた仲間が三々五々リーダーのもとに集まって来た。どの顔も疲労がにじんでいたが、一様に、命拾いをした安堵感があった。リーダーがまず確認したのは、13名全員がそろっているかどうかだった。A君とM君が見当たらない。誰かが、「あいつらは船に乗ったぞ」と言う。全員一斉に海の方を見やった。「船は無事かな?」と誰かが口に出した。津波の時には船は沖に避難するのが常套手段だと、ここにいる誰もが知っていたはずだが、誰もその経験はないだろう。みんな心配げに顔を見合わせた。

リーダーは「大丈夫だと思うしかないよ」と言ったきり黙り込んだ。明らかに心配そうな顔で、どこか無力感さえ漂っていた。誰もそれ以上話題にしようとしかなかった。考えてもどうにもしようがないことと思っていたのに違いない。私ももちろんそんな気持ちだった。ただ、ひたすら無事を祈っていた。
私が天井崩落寸前に待合室から逃げ出た時に沖へ向かって猛スピードで去って行った、午後3時発予定の船に乗っていたのだ。結果論だが船に乗り損ねた我々の方が正解だと思った。

命が助かった我々だが、次は孤立状態になったこの島でどのように対応していくかという問題に直面した。何日間も野宿というわけにはいかない。食料もわずかしかない。
リーダーは「とにかく神社を頼ってみようや」と言うと、他の仲間が「神様だから見捨てないよな。きっと」と、場を和ませるような調子で続けた。リーダーは俺について来いと言わんばかりに毅然と歩きだした。そんなところが彼がメンバーから頼られるゆえんである。

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何はともあれ、みんなも後について黄金山神社へ向かった。参道の灯篭はことごとく倒れ、建物の石垣も崩落しているている。
神社たどり着くと、参殿の大きな石鳥居は根元から折れて倒れていた。そこには鹿が一匹おびえるようにたたずんでいた。

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神社の方々は、盛んに復旧に追われていたにもかかわらず温かく迎え入れた。
「せっかく金華山にいらしていただいたのに申し訳ありませ。とんだ目にお遭いになりましたね」と、風格のありそうな方がねぎらってくれた」。
続いて巫女さんが「ご覧のとおりこんな状態なのでろくなことはできませんが、何とか寒さをしのげる建物だけは残りましたので、ご利用いただけると思います」と言って、祈祷者待合所に案内してくれた。
待合所の内部は、割れたガラスが廊下一面に散乱し、壊れた祭壇や落下した掲額などが部屋中を覆っていた。
それを指さしながら巫女さんは「大変申し訳ございませんが、片付けを手伝っていただけませんでしょうか」すまなそうに言う。
リーダーが、「もちろんですとも、お役に立てることがあったら、何でも言いつけてください」と言うと、全員がさっそく作業に取り掛かった。危険なので全員登山用の靴のままだった。まずは片付けから始まり、拭き掃除をしてどうにか暗くなる前に避難所づくりを終わらせることができた。

神社は宿泊施設.にもなっているので、宿泊者用の立派な寝具がある。ありがたくもそれを使わせていただけることになった。さっそく各自布団置き場から寝具を運んで自分の寝床を作った。

心づくしのお茶をいただいた後、みんな布団に潜り込んで心身の疲れをいやした。私は特に疲れていたと見えて、すっかり寝込んでしまった。仲間からは「櫻井さんは度胸がいいですね。高いびきで寝ていましたよ」と言われたが、私だけが3回も死に直面したのだから無理もないかもしれない。

夕食もおにぎり2個に豚汁という、避難所としては破格の厚遇であった。まさに地獄に仏であった。感謝に堪えない。後で聞くと最近島に食料が運ばれて来たばかりだったということだった。その点は幸運だった。停電のため冷蔵庫が作動しないので、肉は早く消費する必要があった。翌日の昼はカレーライスだった。

夜になっても震度5〜6程度の余震が何度も起きた。地面から沸き上がる唸りのような音や、瓦が激しくぶつかり合うガラガラ…というあたりを揺るがすような音が暗黒の建物中に響き渡り、強い揺れ以上に恐怖だった。まだまだ予断の許されない状況だった。
我々11名は比較的安全な状態におかれると、船で沖に出た二人の仲間のことを心配し合った。
がけ崩れ最中の津波避難だったが、我々は正しい判断をしたと全員で語り合った。誰かが、「櫻井さんの四国歩き遍路のご利益でみんなも助かったのですね」と、冗談とも本気ともつか.ないことを言われた。実際、私に関しては3度も命が助かったのは、何か神がかり的なことを感じていたことは、事実であった。

神社の配慮で終始ラジオがついていたので、不安の中みんな一晩中耳を傾けていた。しかし、牡鹿半島の「お」の字も出て来なかった。ましてここ金華山は外界との交信はまったく途絶えているので、完全に孤立状態であった。この島に救助の手が差し伸べられるのはかなり先のことであろうと、長期逗留を覚悟した。

震源地に最も近い金華山だけに妻ははどんなにか心配しているだろと考えると、たまらなく心が傷んだ。金華山に来ているのでより一層心配しているに相違ない。自分が無事なことを早く知らせてやりたいと、思わず涙がたまっていた。
連絡が閉ざされていることが何よりもどかしかった。
しかし妻とは、家にいて地震が来た時の対策は打ち合わせていたので、その通りやれば多分大丈夫だだろうと、幾分気が休まった。

夜中にトイレにおきた時、天上を見上げると、皮肉なほどに見事なほど星空が広がっていた。
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全て停電のため空はまさに暗黒が広がり、そこにはいつもの何倍もの星が光り輝いていた。それはまるでシルクロードの砂漠の星空を想わせた。

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              シルクロードの砂漠の星空

自然はいつもは誠にありがたいものだが、時にはこんなにも過酷なものだ。
人間は 所詮自然の前にはちっぽけな存在だととよく感じながら見事な星を独り眺め入っていた。打ちのめされた気持だった。

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