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運河沿いに西へ向かうと、大きな漁船が大量のがれきの上に乗り上げているのが目に入って来た。
海から1キロ以上離れているこの住宅地まで流されて来るのだから、
津波のすさまじさは推して知るべしである。
津波は本当に恐ろしい―― 。心からそう思った。
ここは子どものころの楽しい遊び場だった。
だが、懐かしむどころではない。
ただただむなしさいっぱいだった。悔しかった。
この光景に見入っているうちに、
これまで金華山、鮎川、女川、石巻、東松島…で目の当たりにしてきた、忌まわ
しい光景が次から次へと思い浮かんで来きた。
急激に感情が高まった。
〈むごたらし過ぎる。 もうこんな光景は二度と見たくない〉。
〈いやだ。いやだ〉と、
心の底から叫んだ。
その瞬間、今まで抑え込んでいた感情が、
叫びに押し出されるように噴き出した。
私は誰ひとりいない昔の遊び場で、泣いた。泣いた。
がれきにも自分にもはばからず思いきり泣いた。
懐かしさが打ち砕かれた悔しさだったのだろうか。
幼な馴染みの顔も浮かんで来て安否が案じられた。
自分が震災後涙もろくなったのはこの時以来かもしない。
泣くだけ泣くと、実に吹っ切れた気持ちになった。
我を取り戻して再びこの光景を見やった時、
〈人間の築き上げた文明社会も、大自然の前には為す術なくやられてしまった。
何だこのざまは〉と心から感じた。
痛烈に思い知らされたのである。
私は四国の山や海や田園の中を歩きながら遍路し、
「自分は自然に生かされている。自然は偉大だ」と思えるようになった。
四万十川の清流
「所詮人間なんて自然に比べればちっぽけな存在だ」と、いつも実感させられて
いた。
自然にいだかれている自分、自然をいつくしむ自分、それが渾然一体になって、
自分が知らず知らずに自然の中に溶け込んでいくような気がする。 こんなとき、〈自分もこの自然の中に生きる一つの生物なんだ。 自分は自然に生かされているんだ〉と気づかされる。 毎日々々自然の中を歩いていると、「自然は偉大だ」と思えてくるようになった。 所詮人間なんて自然に比べればちっぽけな存在だ。 それが実感としてわかってくる。 大昔の人びとは、朝起きれば太陽に向かって祈りをささげ、自然にひれ伏し、 自然の恵みに心から感謝していた。 このことがよくわかっていたのだろう。 それがいつの間にか、「自然によって生かされている」ということを忘れ、
「自然は利用するものだ」といった傲慢さが芽生え、破壊さえするようになった。 恐ろしいことだ。 だが、こうして自然の中を歩き続けていると、自分の――いや人間の傲慢さを打ち砕いてくれる。 そして人間の小ささが見えてくる。 (続 く)
東日本大震災「祈り・伝承・防災・復興」みちのく巡礼
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無題
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