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縄文大好き 宮地令子
最近また縄文が流行り出した、戦争や環境汚染など不安の多い世の中だからかもしれない。
テレビで海外の学者が言っていた。縄文の人々の暮らしはとても文化的で洗練され、平和な時代だった。同じ文明が一万年以上続く、他の文明と比べると、その長さは驚異的だそうだ。
私も子供の頃から縄文が好きだった。日がな一日、ヘンテコな器や土偶を作り、木の実を拾ったり漁や狩りをして焚火を囲む。教科書の挿絵を眺めては学校や時間に縛られない自由な世界を妄想した。
去年は上野の国立博物館で「縄文 一万年の美の鼓動」展が開催されたので、私も見学に駆け付けた。全国から集まった選りすぐりの縄文作品が集結し、会場には沢山の人々が押し寄せた。会場は驚きや興奮に満ちていた。それらは予想以上にバラエティーに富んでいた。ピカソのような美術的表現もあれば、ポケモンのキャラクターのような物が壺に張り付いていたり。ある土偶の身体には、ナスカの地上絵に似た文様が刻まれ、顔は三角、首の後にプラグのような穴が開いていた。未来的で、想像の域を超えたユーモラスなカタチをしている。地域で特徴もかなり違っていて、メソポタミア風な土器もあった。海を渡ってきたばかりの人種の個性がはっきりと出ているのかも?と想像した。芸術家が沢山いたのだろう、岡本太郎の言う通りだった。普段の美術鑑賞で味わったことのないギョッ!となる驚き。身体の奥底、細胞から湧き出る喜びを感じた。ある大きな壺の縁はうねって、飛び出して、土が生きているように見える。こんな使いづらい物で煮炊きするなんて、労働に明け暮れたり、戦が有ったら、自由に創造することも、使いづらい物で煮炊きすることも出来ないだろう〜やっぱり平和だったんだなぁ〜。そして自然が循環する原生の森には、そこいら中にウサギなどが跳ねまわり、何種類もの鳥が群れで羽ばたく。川や海でも、手を入れたら貝などが、ごっそり取れて、子供でも遊びながら食料にありつけただろう。冬は家族で温泉場に移動して暮らしていたとも言う。澄み渡る空には沢山の星が瞬き他には何もない、今よりずっと宇宙を近くに感じていたに違いない。空に土偶を掲げて宇宙からメッセージを受け取っていたかもしれない。また、土偶は精霊だという説もある。私も白神の原生林を眺め、不思議な空気に圧倒されたことがある。
毎年、娘と白神山地の真下の海でシュノーケルをしている。初めてそこで泳いだ時に、大きな鷲が二羽旋回したので、上を見上げた。背景には白神山地の山々がそびえたっている。山と海の間は狭く民家は少ない。森から不思議な空気が立ち上がっているのを感じ、ゾクッと鳥肌が立った。当時はブナ等の原生林の呼吸だと思っていたが最近、違った考えが浮かんだ。一昨年前、メダカを飼う為に良い泥を探していた。泥の中に沢山の生物がいると、菌が分解され、水を変えなくても腐らないと言うのだ。近所の田んぼの脇に水が沸いているのか、そこだけ綺麗な水草が揺らいでいた。根元の泥をすくうと、大小、色んな貝がゴロゴロ取れた。狭い所にヤゴやドジョウなど様々な生き物が詰まっていた。姿は見えずとも蠢いている。
湿った原初の森には恐ろしいほどの生物がいる。動物以外にも土中や水中、そこかしこ、目に見えない菌類までも、生れて一斉に呼吸している。生命の息吹が立ち上がっていたのかも・・・。精霊とはそういうモノではないだろうか。
友人の陶芸家は、手に抱いて祈るための土偶を作りたいと、暗中模索している所だ。そんな土偶を手に入れて縄文の神に祈りたい。何時までも平和でありますように。水がきれいでありますように。沢山の生き物が生きられますように・・・と。
【鳴海記念陶房館勤務:弘前市在住】 |

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