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鶯に 夢さまされし 朝げかな  
                    良寛

(うぐいすに ゆめさまされし あさげかな)

意味・・短い春の夜は明けやすく、見続けていた夢も
    美しい鶯の声によって覚まされた。名残り惜
    しい夢ではあったが、鶯のさえずる夜明けは、
    まことに素晴らしいことだ。

 注・・朝げ=朝明け。夜明け。

作者・・良寛=1758〜1831。新潟県出雲町に
    左門泰雄の長子として生ま れた。幼名は栄蔵。

出典・・谷川敏朗著「良寛全句集」。

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大原寂光院


ほとどぎす 治承寿永の おん国母 三十にして 
経よます寺       
                 与謝野晶子

(ほとどぎす ちしょうじゅえいの おんこくも さんじゅう
 にして きょうよますてら)

意味・・ほとどぎすの声が聞こえる。ここは大原寂光院
    の一室。治承寿永の戦乱に、数奇な運命をたど
    られた、安徳天皇の生みの母建礼門院の君が、
    まだ三十の若い御身体で、黒髪を切って出家し
    心静かにお経をお読みになった寺である。

    平家物語の名高い悲劇を踏まえて詠んだ歌です。
    壇ノ浦の戦いで平家滅亡の際、平清盛の娘であ
    り安徳天皇の生母である建礼門院は、安徳帝と
    ともに入水した。帝は幼い生命を果てたが門院
    は救われて京都にもどり出家して大原の寂光院
    に入り過ごした。この時三十歳であった。

    敗者の悲劇とその心情の哀れさに寄せる思いを
    詠んでいます。    

 注・・治承寿永=治承は高倉天皇の代で1177〜1181。
     寿永は安徳天皇の代で1182〜1185。平家滅
     亡に至る、動乱の数年。
    おん国母(こくも)=天皇の母の尊称。建礼門院
     は安徳天皇の母。平清盛の次女で壇ノ浦の戦
     いに負けて入水するが、救われて京に戻り大
     原寂光院に隠棲した。この時30歳であった。
    経よます寺=京都の大原の寂光院。天台宗の尼
     寺。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878〜1942。
    鉄幹と結婚。「明星」で活躍。婦人・教育の
    問題に取り組む。歌集「みだれ髪」など。

出典・・歌集「恋衣」。 
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杜鵑・池上秀畝画


ほとどぎす われは待たでぞ こころみる 思ふことのみ
たがふ身なれば       
                    慶範法師

(ほとどぎす われはまたでぞ こころみる おもうこと
 のみ たがうみなれば)

意味・・思うことが万事反する私だから、(待つ時は
    さだめし鳴くまい)ほとどぎすよ。私は期待
    しないで鳴くかどうかためしてみよう。(待
    たないでいたら、ひよっとして鳴くかもしれ
    ないから)

    自分がなす事は思い通りにならないので、
    思うことの反対の事をしたら、自分の思い
    通りになるだろう、という気持ちです。
    (例えば株を買ったら下がり売ったら上がる)

 注・・待たでぞこころみる=鳴くのを期待しないで
      鳴くかどうか試(ため)してみよう。


作者・・慶範法師=けいはんほうし。生没年未詳。

出典・・後拾遺和歌集・179。
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窓ちかく 吾友とみる くれ竹に 色そへてなく
鶯のこえ
                後西天皇
           
(まどちかく わがともとみる くれたけに いろそえて
 なく うぐいすのこえ)

意味・・窓近くに生えて、我が友として見ている呉竹の
    その色に、音色という色を添えて鶯が鳴いてい
    る。

    清々しく思っている竹園、しかも鶯が来て鳴い
    ている心地よさを詠んでいます。

 注・・くれ竹=呉竹。はちくの異名。直径3〜10cm、
     高さ10〜15m。

作者・・後西天皇=ごさいてんのう。1637〜1685。

出典・・万治御点・まんじおてん(小学館「近世和歌集」)
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1 さそはれぬ 心のほどは つらけれど ひとり見るべき
  花のいろかは              
                    小侍従

2 風をいとふ 花のあたりは いかがとて よそながらこそ
  思ひやりつれ             
                    建礼門院右京大夫

1 詞書・・公卿、殿上人達が連れ立って花見をする時に
      身体の具合が悪いと同行しなかったので、桜
      の枝に、書いて結んでお届けしました。
2 詞書・・風邪気味で行かれなかったので、お返事を次
      のように書きました。

1 意味・・私たちの誘いに乗らない、あなたのお気持ち
       は残念でしたけれども、私たちだけで見るに
       は惜しいほどの花の美しさなので、このよう
       にお目にかけます。

2 意味・・満開の桜には花を散らす風は禁物ですから、
      風邪気味の私が花のあたりに近寄るのもいか
      がと思いまして、よそながら美しい花を思い
      やっていました。

  注・・さそはれぬ=誘うはれぬ。誘えない、誘えに
      のらない。
     心のほど=気持ち。「ほど」はようす、あり
      さまの意。
     かは=反語の意味を表す。・・であろうか、
       いや・・ではない。
     公卿=関白・大臣・大、中納言・参議をいう。
      位は三位以上。
     殿上人=昇殿を許された人。四位・五位の人。

 作者・・小侍従=生没年未詳。1121年頃の生まれ。高倉
             天皇に仕える。
     建礼門院右京大夫=けんれいもんいんのうきょ
       のだいぶ。1157頃〜1227頃。高倉天皇の中宮
       平徳子(建礼門院)に仕える。

 出典・・風雅和歌集。
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