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『1Q84』
姉が貸してくれたこの本。
すっかり借りっぱなしになっていて申し訳ないとこの場を借りて詫びておきます。
村上春樹は海辺のカフカを読んで以来。出だしから一気に引き込まれる。
日本文学に精通してるなんてとてもとても言えないくらい読んでないのでこんな表現はおかしいのかもしれないけど、村上春樹からは欧米文学の匂いがするなと改めて思う。描く世界が、というよりはその表現の仕方、知識のはさみ方が日本人作家っぽくない感じ。そしてこの1Q84が一番似ているなと感じたのは、カラマーゾフの兄弟。そのくらい面白い。特に序盤は。
青豆と天吾という2人の視線で話はすすんでいく。冒頭のタクシーの運転手は、海辺のカフカの誰だったかを思わす。丁寧でいてどこか禍々しい。そう、話はどんどん禍々しい方向へ向かってゆく。オウム真理教を明らかに意識しているだろう宗教団体が一つの重要なキーになっている。当然、不穏な存在で、そしてそこから逃げてきたフカエリによって「空気さなぎ」という不思議な物語が描かれる。リトルピープルが山羊の口から生まれてくるという摩訶不思議な物語…
文庫の4巻あたりまでは、ぐいぐい読まさせられた。そのあたりから、ちょうど、青豆と天吾がお互い惹かれ合う存在だということがはっきりしたあたりから、この話が何を描こうとしているのかが気になり始める。吸引力が力をよわめたせいだろうか。まさか、惹かれあう愛の物語とは言わないだろう。もちろん2人の強い思慕は大事な要素だろうけど。
青豆は天吾を愛してる。小学生のあの手を強く握った瞬間から。それは違和感はない話。十分ありえると思う。でもそのあたりから急速に青豆は神性を帯びてくる気がする。(処女)懐胎を確信するあたりはもう狂気と神性が綯い交ぜになっているような、もはや元の青豆とは違うとしか言いようがない。
青豆も天吾も非常に魅力的に描かれている。途中までは。ところが青豆の妊娠とともに、そして天吾に近づけば近づくほど青豆は元の青豆ではなく狂気の人のそれであり、天吾にいたっては「青豆の愛した男」としての記号のような存在になりさがる。すべてのストーリーは青豆が母になることに飲み込まれてゆく。タマルも牛河も面白い人物だがもはやどうでもいい存在なのだ。フカエリすらどうでもよくなってしまう。
嫌な予感はした。青豆が神に祈ったときから。神とは?母として愛のため青豆はすべてを飛び越えてゆく。身ごもった母は神のようなものなのだろうか。その姿はどこかグロテスクで、後味はとても苦い。
苦いストーリーは嫌いじゃない。読むと疲れるけれど。この作品を好きにはなれないけど途方もなく面白かったとは思う。
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