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アジアの歴史認識

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曽野綾子さんの「集団自決の真実」を教科書に!!!という記事に頂いたコメントに、次のようなものがありました。


曽野綾子の「誤読」から始まった。大江健三郎の『沖縄ノート』裁判をめぐる悲喜劇。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118/p1

大江健三郎は集団自決をどう記述したか?
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p1

誰も読んでいない『沖縄ノート』の記述
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071111/p1

「沖縄ノート」と「ある神話の背景」読んでない人は
いちおこのサイトも目を通した方がいいと思う。

2007/11/23(金) 午前 1:24

ねこきち

たしかに。

曽野綾子さんの「集団自決の真実」の中の引用でしか「沖縄ノート」を読んだことがありませんでした。

言われてるの事は尤もだったので、↑のリンク先に飛んで記事を読んだのです。
   
「文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』 」というブログ。

そこに書かれてるのは、

曽野綾子さんが池田信夫氏との対談の中でこう語っている、と。
決定的だったのは、大江健三郎氏がこの年刊行された著書『沖縄ノート』で、赤松隊長は「あまりに巨きい罪の巨魁」だと表現なさったんです。私は小さい時、不幸な家庭に育ったものですから、人を憎んだりする気持ちは結構知っていましたが、人を「罪の巨魁」と思ったことはない。だから罪の巨魁という人がいるのなら絶対見に行かなきゃいけないと思ったのです。

(「SAPIO」2007/11/28)

たしかに。

曽野さんの本の中では「罪の巨塊」と間違わずに引用されていますが、これを「極悪人」と解釈しているということは、誤読だと言われても仕方がないかもしれません。

先日の裁判で、大江健三郎は、「罪の巨塊」(物)という表現を、曽野綾子の誤読に基づいて、≪「罪の巨塊」(物)イクオール「極悪人」≫と勘違いしている原告の一人に対して、「極悪人なんて書いたことはない。それは曽野綾子の誤読に基づく解釈だ。」と反論したのである。ちなみに、大江健三郎自身は、「罪の巨塊」という表現で、集団自決した人たちの「死体の山」とでも言いたかったらしい。要するに、曽野綾子は、「巨塊」(物)を「巨魁」(人間)と誤読しているのである。

文芸評論と言うよりは、曽野綾子攻撃に終始しているのがどうかと思うのですが、

読まずに反論も出来ないと思い、「沖縄ノート」をなんとかネットで読めないものかと探して見たのです。

だって、あんな本買いたくないじゃないですか(藁)

で、ありがたい方がおられました。

ダイジェスト版ですが、さらっと読んだだけで気分が悪くなりました。

以下は問題の記述部分。

15年戦争資料 @wiki 「沖縄ノート」"IX-「本土」は実在しない"より
慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに稀薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変にカをつくす。いや、それはそのようではなかったと、一九四五年の事実に立って反論する声は、実際誰もが沖縄でのそのような罪を忘れたがっている本土での、市民的日常生活においてかれに届かない。一九四五年の感情、倫理感に立とうとする声は、沈黙にむかってしだいに傾斜するのみである。誰もかれもが、一九四五年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう。

本土においてすでに、 おり はきたのだ。かれは沖縄において、いつ、その おり がくるかと虎視眈々、狙いをつけている。かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、一九四五年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。かれにむかって、いやあれはおまえの主張するような生やさしいものではなかった。それは具体的に追いつめられた親が生木を折りとって自分の幼児を殴り殺すことであったのだ。おまえたち本土からの武装した守傭隊は血を流すかわりに容易に投降し、そして戦争責任の追及の手が二十七度線からさかのぼって届いてはゆかぬ場所へと帰って行き、善良な市民となったのだ、という声は、すでに沖縄でもおこり得ないのではないかとかれが夢想する。しかもそこまで幻想が進むとき、かれは二十五年ぷりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう。このようなエゴサントリクな希求につらぬかれた幻想にはとめどがない。 おりがきたら 、かれはそのような時を待ちうけ、そしていまこそ、その おり がきたとみなしたのだ。

「おりがきた」というフレーズが呪文のようにリフレインされてますね。

見てもいないのにあたかも神であるかのような視点。

妄想と断じてもいいレベルの文章だと私には思えます。


確かにたった一文字の誤読であっても捨て置けないものだと言うのも説得力はあります。

しかし、「自決の責任者」とされる人間を、ここまで追い詰める文面こそが訴えられているのだと言うことはいかがしましょう?

「罪の巨塊」が極悪人の意味ではないとしても、こういう文章を読めば「集団自決の責任者」のことを、

何も知らない読者は一人残らず「極悪人」のレッテルを貼らずにはいられないでしょう。


文筆家としては大江の方が技量が上なのかもしれませんが、「そんなのカンケーねー!」 




【正論】集団自決と検定 作家・曽野綾子 それでも「命令」の実証なし - MSN産経ニュース

 1970年、終戦から25年経った時、赤松隊の生き残りや遺族が、島の人たちの招きで慰霊のために島を訪れようとして、赤松元隊長だけは抗議団によって追い返されたのだが、その時、私は初めてこの事件に無責任な興味を持った。赤松元隊長は、人には死を要求して、自分の身の安全を計った、という記述もあった。作家の大江健三郎氏は、その年の9月に出版した『沖縄ノート』の中で、赤松元隊長の行為を「罪の巨塊」と書いていることもますます私の関心を引きつけた。

 作家になるくらいだから、私は女々しい性格で、人を怨みもし憎みもした。しかし「罪の巨塊」だと思えた人物には会ったことがなかった。人を罪と断定できるのはすべて隠れたことを知っている神だけが可能な認識だからである。それでも私は、それほど悪い人がいるなら、この世で会っておきたいと思ったのである。たとえは悪いが戦前のサーカスには「さぁ、珍しい人魚だよ。生きている人魚だよ!」という呼び込み屋がいた。半分嘘(うそ)と知りつつも子供は好奇心にかられて見たかったのである。それと同じ気持ちだった。

・・・やはりちょっと誤読っぽいですね・・・

しかし、誤読だとして、それが集団自決の命令が日本軍により出されたと言う根拠にはなりませんワナ。

鬼の首を取ったかのように大江支持派は騒いでますが、

まさかこれで「沖縄ノート」は真実を描いてるとでも言うつもりでしょうか?!

あくまでも裁判での争点はこの一点のみだと私は思います



「自決命令の実証は有りや?!」




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「『沖縄ノート』はやっぱり有罪!」と思う方はクリック願います!

転載元転載元: あした

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今朝の産経新聞【正論】欄の秦郁彦の大江健三郎非難は非常に分かり易くて良かった。





【正論】再論・沖縄集団自決 現代史家・秦郁彦
産経新聞【正論】2007.11.21

 ■「大江裁判」の本人尋問を傍聴して

 ≪2年超の裁判に初出廷≫

 秋晴れの好日となった11月9日、大阪地裁の「沖縄集団自決訴訟」(出版停止等請求)を傍聴してきた。
 午前中は原告で座間味島の守備隊長だった梅沢裕元少佐(90歳)、午後は渡嘉敷島の守備隊長、赤松嘉次元少佐の遺族と、被告の作家、大江健三郎氏が出廷して証言した。別名を大江裁判と呼ばれているように、この日のハイライトは2年を超える裁判で初めて法廷に姿を見せた大江氏への尋問シーンだった。
 1945年3月の米軍侵攻に際し、沖縄本島沖の周囲十数キロメートルしかない2つの離島で起きた住民400余人の集団自決が守備隊長の命令(軍命)によるのか、米軍の無差別砲撃を浴びパニック状態となった住民が自死を選んだのかが裁判の主要な争点となっている。
 大江氏は著書『沖縄ノート』(初版は1970年、現在は第50刷)で、沖縄タイムス社が1950年に刊行した『鉄の暴風』などに依拠して、守備隊長が出した軍命によって集団自決が起きたと断じ、「イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべき」と論じた。アイヒマンとは、アウシュビッツで200万人のユダヤ人を殺害した責任者として絞首刑に処せられた男だが、守備隊長を「屠殺(とさつ)者」と呼んだ著者は同様の刑を望んだのであろう。
 しかし渡嘉敷で現地調査した結果をふまえて書かれた曽野綾子『ある神話の背景』(1973年)で、自決命令がなかったどころか、隊長は島民に「自決するな」と制止していたこと、座間味でも同様だった事実が明らかになるにつれ、『鉄の暴風』に依拠して書かれた『沖縄県史』も家永三郎『太平洋戦争』も、改訂版で軍命説を取り消す。沖縄戦の専門家である林博史教授さえ著書の『沖縄戦と民衆』(2001年)で「赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていない」と、座間味でも「島の指導者たちが…忠魂碑の前で玉砕するので弾薬をくださいと頼んだが、部隊長(梅沢)は断った」と記述するようになった。


 ≪自説撤回の期待裏切る≫

 このように、軍命がなかったことはかなり前から専門家の間では定説となっていた。文部科学省が今年春の検定意見で軍命説を排し、教科書会社や執筆者も抗議ひとつせず従ったのもそのためだが、2人の「名誉回復」が遅れたのには秘められた事情があった。
 軍命があった形にすれば厚生省の援護法が適用され、自決者の遺族に年金(1人200万円)が支給されるので、村当局に頼み込まれた2人の隊長は世間の悪罵(あくば)に耐え沈黙を守ってきた。だが死の直前に名誉回復を訴えた赤松氏の遺志もあり、今回の訴訟となったのである。事情を知る両島の村民たちが、貧しい村の経済を助けてくれた2人の隊長を「恩人」として遇しているのも当然といえよう。
 こうした「美談」を知る大江氏が法廷で自説を撤回、原告の2人に謝罪するハプニングを私は予期しないでもなかったのだが、淡い期待は裏切られた。


 ≪まるで「異界人」の説話≫

 大江氏は提訴直後の朝日新聞紙上で「私自身、証言に立ち…その際、私は中学生たちにもよく理解してもらえる語り方を工夫するつもり」と述べていたが、当日の尋問の相当部分は日本語の語義解説に費やされた。「ペテンとは」と聞かれて「人をだますことです」とか、「罪の巨塊」とは「英語のミステリーから借用したが、語源は他殺死体のこと。ラテン語では…(聴きとれず)」といったぐあいで、私の知力を総動員しても理解不能に終わった。
 反対尋問での要点を翌日の新聞の見出しから拾うと「訂正の必要ない」(朝日)、「軍の構造体の命令」(毎日)、「論点すり替え」(読売、産経)といったところ。「構造体」とは大本営−第32軍−守備隊というタテの系列を指し、その中で「すでに装置された時限爆弾としての〈命令〉」が実行されたのだという。
 さらに「隊長の持っていたはずの夢想、幻想を、私の想像力をつうじて描く小説の手法」だとか、曽野氏以下の大江批判はすべて「誤読」に起因する、と言い張ったときには国語の通じない「異界」の人から説話されている気がした。
 もしこうした語り口が法廷戦術の一環だとしても、これほど非常識で不誠実、一片の良心も感じとれない長広舌に接した経験は私にはない。
 梅沢氏は「死ぬなと言ったのに集団自決が起きた責任は米軍にある」と述べた。やや舌足らずではあるが、その通りだと私も思う。(はた いくひこ)




朝日と大江健三郎(岩波書店)の反日・売国を許すな!【中編】2/3(11月14日)











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転載元転載元: 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現

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沖縄の集団自決に関する歴史教科書の記述が問題になっています。ことの発端は、今春3月30日に文部科学省が公表した2006年度の教科書検定内容。沖縄戦時に発生した住民の「集団自決」について、「日本軍に強制された」という申請図書の内容に検定意見ついた事実が判明したことでした。

沖縄・渡嘉敷島の集団自決については、曽野綾子さんの労作『ある神話の背景−沖縄・渡嘉敷島の集団自決』(文芸春秋・1973年)等により日本軍の強制がなかったことは明らかになっており、沖縄全体を取っても住民の集団自決が日本軍の強制に起因することを示す証拠は皆無であることから「日本軍による強制と集団自決との間に因果関係」を認める記述に対して検定意見が付されたのは当然だったと思います。

しかるに、去る9月29日、沖縄県宜野湾市で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」などの抗議を受けた福田内閣と文科省は教科書記述の再修正を是認する姿勢を示す。すなわち、渡海文科相は10月1日、「沖縄の人たちの気持ちも考え、何をするべきか、何をできるかを考える必要がある」と述べ、同日、町村官房長官も「沖縄の皆さん方の気持ちを受け止めて、修正できるかどうか、関係者の工夫と努力と知恵があり得るのかも知れない」と語った。

この「県民集会」なるものの参加者が主催者側発表の11万人などではなくせいぜい4万人前後だったことが産経新聞等により広く報じられたこと、あるいは、「県民集会」の要求は政治的圧力以外の何ものでもなく、そのような政治的圧力に誘発された教科書記述の再修正など許されるべきではないという正論が、漸次、国民各層の中から澎湃と湧き上がるに従い、官房長官も「文科相に対して教科書再修正の指示を出した事実はない」と述べ、他方、文科相も「政治介入はできないとして検定意見撤回を否定」(沖縄タイムス:10月3日)するなど、福田政権も記述再修正の是認方針を微妙に変えつつある。

正直、今次の騒動とこの件に関する福田政権の評価は、現在、複数の教科書会社が検討している「訂正申請」の手続きを通して具体的に「集団自決と軍の強制」の記述がどうなるかを見なければ何も言えない。よって、本稿では、歴史教科書の記述の本来のあり方に引きつけて、沖縄の県民集会によって歴史教科書の記述が左右された日本の歴史教育の現在の問題状況を照射したいと思います。


◆事実の確認
検定意見によって「集団自決と軍の強制」の記述内容はどう変わったのか。議論を生産的にするためにこの点を確認しておきます。実際、2007年9月29日という僅か10日前のことでも、宜野湾市の県民集会に何人が参加したのかさえ容易に確定できないのが<歴史>なのですから。以下、URL参照。

・2006年の教科書検定における「沖縄集団自決」に関する記述の変更
 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/historytext.html


◆歴史教科書の記述はどうあるべきか
11万人が参加したのか4万人だったのかは別にして県民集会があったから教科書の記述が変わるなどということは、数学や英語の教科書についてはまず起こらないタイプの事象でしょう。県民集会で「台形とひし形の定義の変更」や「時間や条件を表す副詞節の中でも述語動詞は未来時制でよい」とか決議したとしても文科省だけでなく誰も相手にするはずもない。では、なぜ歴史の教科書の記述に関しては再修正を求める政治的圧力の前に、文科省も「沖縄県民の気持ちへの配慮」を口走るような事態になったのか。それは、歴史学の軽視と歴史教科書の目的の理解不足である。而して、私は、今般の事態が炙り出した問題を具体的には次の2点に要約しています。


(甲)「日本軍の強制に起因する集団自決」という確認されない事実を歴史教科書に盛り込むことの是非

(乙)「集団自決への日本軍の関与なるもの」が確認された事実であったとしても、そのような事実を歴史教科書で言及することの是非



●嘘を歴史教科書に盛り込むことの是非
「嘘でもそれが社会の役に立つなら教科書に書き込んでもよい」という主張は、(実は、そう簡単に否定されるものではないのですが)おそらく多くの方が容認しないと思います。アメリカでは進化論だけを教えるのに反対するキリスト教原理主義の運動も盛なのですが、今時、「それでも地球は動いている」と呟いたガリレオの時代でもあるまいに、県民集会の政治的圧力によって「教科書では地動説ではなく天動説を教えろ」という主張が認められる国は少ないでしょうから。

よって、沖縄県民や大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する朝日新聞等が「日本軍の強制により集団自決は起こった」と強弁したいのなら、個々の日本軍兵士の行動を超えた<日本軍の強制>が集団自決の主要な原因であったことを事実に基づいて立証する責任がその論者にはあると私は考えます。


●「強制 Vs 関与」or「エピソード」
第二の論点。「日本軍の強制」ではなく「日本軍の関与」を集団自決の原因とする見解をどう考えればよいか。これについて私は「「関与」があったと主張する論者は、まず、その「関与」なるものの定義を明らかにせよ」などという大人気ないことを述べようとは思いません。実際、公理主義的に数学を再構築したヒルベルトの言葉「点, 線, 面の記号をやめて、それぞれをコップ, テーブル, スプーンに置き換えても幾何学には何の変更も生じないだろう」を踏まえるならば、かつ、分析哲学と現代解釈学を自己の思索の基盤とする身としてはどのような概念も言葉も究極的には定義不可能なものであると骨身に沁みているからです。

蓋し、「強制」や「関与」という字句を穴が開くほど睨んでも、あるいは、広辞苑や大辞林のページをどれほど捲っても、1945年の沖縄で生起した集団自決と日本軍の行動の関係が「関与」であったのか「強制」であったのかを決めることなどできはしない。而して、その関係を定めうるものがあるとすれば、畢竟、それはその両者の間に妥当な因果関係があったかどうかだと私は考えます。

すなわち、「強制」や「関与」をあるタイプの因果関係と再定義しようとするとき、(イ)ある事象と他の事象との間に「前者がなければ後者は生じなかった」という関係が見出せること、かつ、(ロ)ある結果に因として作用する多くの事象の中で特に重要なものについてのみ因果関係があった(よって、「強制」や「関与」がありえた)と言いうる。なぜならば、(イ)だけで因果関係の有無を確定することは無意味だからです。例えば、「自決者の自死に自決者の曾祖母の祖母が関与した」(その曾祖母の祖母が存在しなかったなら自決者はこの世に存在せず、存在しない人間が自決などできないから)という命題は1945年の沖縄の集団自決を巡る因果関係を考える上ではそう大きな意味は持たないだろうからです。

而して、 逆に、(ロ)の「ある結果に対して特に重要な原因であるか否か」を判断する指標が、個別、「沖縄の集団自決と日本軍の行動の関係」においては「強制」と「関与」の辞書的な意味である。蓋し、「関与」と「強制」は(イ)の物理的な因果関係を備えた関係の中でもある特殊なタイプのカテゴリーを形成している(この手法は、所謂定義論の常套手段、関係の経験分析と語義の経験分析の併用に他なりません)。畢竟、「他者の行動の選択肢を暴力・威力を用いて意図的に限定すること」があった場合には、日本軍の行動は「強制」という集団自決の重要な原因であり、そうでないならば日本軍の行動は「関与」という重要な原因であるか「関与」でさえない現象のいずれかになる。尚、「関与」でさえない事象とは集団自決との間に因果の関係が存在しない単なる同所で起きた同時並行的な現象のことです。

この点、1945年の沖縄・渡嘉敷島で「強制」がなかったことは事実であり、かつ、沖縄全体を見ても、個々の日本軍兵士の行動を超える<日本軍>が住民に自死を「強制」したなどと言える事実は見出されていない。ならば、自決者個々の曾祖母の祖母の存在からなにから沖縄の集団自決との間で物理的な因果関係のある数多の事象の中から「関与」があったとして、特に「日本軍の行動」を分離する根拠は何なのか。歴史教科書に「沖縄の集団自決に日本軍が関与した」と書き込むことを主張する論者にはこの根拠を提示する責務があるのではないでしょうか。

数多の事実のなかから「関与」があったとして日本軍の行動を他から切り分ける根拠。正直、私はその根拠としては「沖縄県民を守る日本軍の責任」以外思いつきません。而して、そのような責任が正に最前線で戦っている軍隊に適用される根拠を(蓋し、それは沖縄の集団自決に日本軍の関与を認める根拠の根拠でしょうが、そのような根拠の根拠を)実定法からも実定道徳からも見出すことはおよそ不可能であろうと思います。畢竟、「どの法も「炎の中に自分の腕を突っ込んではならない」と定めることはしない」というイエーリングの言葉の裏面として有名ですが、「法は何人にも不可能を強いることはできない」のです。

蓋し、集団自決と同所同時に行われた日本軍の行動が確認される事実であったとしても、それは「強制」でも「関与」でもない。而して、集団自決と日本軍の行動の関係には因果関係を認めることはできない。畢竟、沖縄戦とそこで起こった悲劇の原因として日本軍の行動を教科書に記すことは歴史学的に誤りである。

けれども、「集団自決への日本軍の関与と称される事実」(=集団自決と同所同時の日本軍の行動)は歴史を彩るエピソードの一つとしては教科書に記述されるに値する可能性は残る。而して、どのような事実を「主要項目と同時代のエピソード」として歴史教科書で言及すべきか、すなわち、歴史教科書の限られた紙面を(特に、ゆとり教育路線の中で益々薄くなった教科書の限られたスペースを)どんなエピソードに割くべきかは歴史教科書の目的に沿って判断されるべきことでしょう。

明確なことは、嘘を書くことは論外としても、歴史に限らず教科書は広範にわたる当該科学の最新の成果を遍く掲載するメディアでは必ずしもないということ。更に、歴史教科書は沖縄県の県民感情や特定アジアの国民を慰撫するためのツールでもないということです。

畢竟、歴史教科書は、この国のメンバーとしてのプライドとアイデンティティーを涵養するための通史としての歴史認識を子供達に提供するためにある。ならば、このエピソードの点でも、沖縄戦を巡る記事としては、集団自決の際の日本軍の行動などよりも、沖縄に向けて戦艦特攻を敢行し撃沈した戦艦大和とその散華された乗員の英霊に関する記述が遥かに望ましい。私はそう考えています。


【転載歓迎】

転載元転載元: 松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG

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