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私は超読書好きで、1年に軽く100冊は読んでいるのですが(仕事上のブラッシュアップという必要性もあるので)
いちいち買ってたら、とてもじゃないけれどお金が続かないので、もっぱら図書館を利用しています。
もともと、本を所有したいという欲は皆無に近くて、蔵書を増やすことにはまったくと言っていいほど興味がないこともあって、持っている本は驚くほど少ないです。
だけど、ごくたまに欲しい本があるので、買いに行きます。(たいてい、図書カードをもらったときなんかですけれども^^;)
今日買った本は。。。
○ オモチャ箱・狂人遺書 坂口 安吾 (講談社文芸文庫) 歴史に名を遺す作家の名作ですが、メジャーな『代表作』ではありません。
安吾なら『堕落論』、川端なら『雪国』や『伊豆の踊子』だったら、安価な『文庫本』で手に入るし、新装本も出版されています。
だけど、
なので、講談社文芸文庫のように、そういう作品を編纂して出版してくれるのはたいへんありがたいのですが。
ただ、『文庫』といってもサイズがそうであるだけで、お値段は単行本と変わらないくらいするんですよねー(ーー;
ちなみに、『オモチャ・・・』は1,400円、『水晶・・・』は1,050円します><;
それでも、出版不況のさなか、このシリーズだっていつ絶版状態になるかしれません。
それから、名作の文庫本は、例えば私が大好きな川端の『掌の小説』なんかは、でっかい本屋さんだとまだ棚に並んで見かけることもありますが、アマゾンではもう新品では売ってなくて、マーケットプレイスで状態が良い中古だとプレミアがついているんですよね。(定価は700円くらいなんだけど、1,000円以上になってますね)
過去の名作がほんと、手に入りにくい時代になってきています。(後世に残りそうもない本は平積みされているのにね)
著作権が切れた作品は、ネットでは青空文庫とかで読めますけど、やっぱりきちんと電子化して残していってほしいですね。
本で読めなくなるのは寂しいけれど、電子化しないと後世に残らなくて消えていっちゃいますからね。
図書館でも、新しい本がどんどん増えて、過去の良質な名作ほど倉庫の中に『保管』されちゃうんですよねー。
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読書
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という超有名な冒頭文で始まる、ノーベル文学賞作家・川端康成の代表作「雪国」。
高校生のころにぱらぱらと読んだ記憶はあるが、そのときはなんせ幼すぎて、主人公たちの心のすれ違いも「いいオトナが何やってんだか」って感じで、ちーっともおもしろいとは思わなかったのだが。
その後、川端の作品に興味が出てきて、「掌の小説」や「浅草紅団」などが好きになったのだけれども、あまりに有名な「雪国」だけはなんか再び読む気になれなかった。
だけど、http://blogs.yahoo.co.jp/sakuraran_jp/60378437.html を観るにあたり、もう一度読んでみたいと思って、改めて読んでみると。。
あらー! 「雪国」ってこんなこと書いてたの!!
川端の作品が清廉な文体にもかかわらず、その中に非常に性的な含蓄があるのには、重々承知してはいたが、いや〜さすが代表作!(笑)
『オトナの読み方』として、いくつか引用したいと思う。(なお、川端の生原稿では旧字・旧仮名遣いであるが、読みづらいので、新字・新仮名遣いの岩波文庫版を用いる)
一応、職業柄断っておくが、「雪国」は入試問題や模擬テスト問題としてもよく用いられるけれども、決して出題されることはないだろうなぁという部分ばかりである。
「ぜーったいに、試験には出ませんよ」(爆)
まず、主人公の島村が、越後の温泉芸者・駒子と半年ぶりに再会する直前の、汽車の中での様子を描いた文章。
まぁ、堀辰雄(代表作「風立ちぬ」)の作品に出てくるような、自意識は過剰でもやたらとプライドは高い男であれば、たとえ
川端の書く男は違う。
駒子と再会した島村はいきなり。。
このときの駒子は20歳そこそこなので初々しさも見られるが、そこは芸者なので、ただ恥じらうだけじゃなく、ちゃんと男心を「分っている」のだ。
その駒子には17歳のときから世話になっている、歳の離れた「旦那」がいた。
島村にだって東京に妻子がいた。(ちなみに彼は、ときどきは舞踏関係の文章などを書く「文筆業」であるが、基本的には親譲りの財産を喰いつぶして暮らしている)
島村と駒子の逢瀬は3年になるが、実は彼が温泉町にやって来たのはたった3回だけである。
だから、駒子に「旦那」がいることを島村が確信するのは、ずいぶん後のことである。
これはその文章。。
島村にカマをかけられた駒子の態度は、たいへん無邪気である。
けれども、本当の無邪気にはこんな「切り返し」はできない。
それから、こんな文章も。。
身の上話をしていたはずの駒子が、なんで島村からこんなことを「問われる」のか、その説明が一切ないので謎なんだけれども。(「雪国」って敢えて省かれてる内容が多いから謎だらけなんだよな^^;)
最後に、これは高校生だったころにはさーっぱり意味がわからなかった文章。
これだけは、旧漢字・旧仮名で。。
わかりましたか? ふふふ。。。
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村上春樹の何がすごいかって、それはあの程度の内容のものをあれだけ長く引きのばしておいて、それでもちゃんと飽きずに最後まで読めるところだと、私は思っているのですけれど。
あれだけ延々と書いているわりには、読んだ後、作者が放った謎はほとんど解明されていないし。(作者は「それぞれが考えればよいことだし、作者自身もすべて判っているわけではない」というようなことをロングインタビューで語っていらっしゃいました。まぁ、「このエピソードはこういうことの暗示かな」などと考えたりするのもおもしろいですけれども。笑)
今回ご紹介するのは、私が今まで読んできたオリジナルではなくて、アメリカのノンフィクション作家Mikal Gilmoreの作品を翻訳した『心臓を貫かれて』 (原題: Shot in the Heart) です。
原作本は約400ページらしいのですが、翻訳本はなんと約600ページにもなります。(文庫本では上下分冊になってますが、私はハードカバーで読んだので持ち運びがすっごく重かったです。苦笑)
翻訳本は「翻訳調」と申しましょうか、ちょっと読みづらい文体が多いのですが、さすがに村上春樹の翻訳文は自然で、あれだけの長さにもかかわらず、飽きることなく読み通すことができました。
そして、オリジナル作品と同様、謎が多く残りました。
といっても、こちらのほうは実際に現実にあった話なのでしようがないことなのかもしれませんけれど。
原作本の著者であるマイケル・ギルモア(Mikal Gilmore)はアメリカの音楽関係のライターですが、その兄のゲイリー・ギルモア(Gary Gilmore)は1977年に一面識もない青年(それぞれに妻と幼い子どもがいました)を2人殺害し、逮捕された後死刑判決を受け、自ら銃殺刑を希望し処刑されました。
この本の主題は、見ず知らずの2人を殺害するまでの兄の生い立ちをさぐることですが、話は彼らの父母のそれぞれの一族が移民としてアメリカに渡ってきた頃から始まります。
父フランクはフランス系のカトリックですが、母ベッシーはユタ州出身のモルモン教徒だったので、モルモン教徒が受けた受難の歴史を通して、兄が至った行為と重ねあわせています。
そして、やがて、自分たち家族の関係へと話は至ります。
父母の出会いも果たして幸運と呼べるものかどうかは疑問です。親子ほども歳の違う2人は初めから何かがかみあってなかったように思われます。 しかも、父には秘密が多すぎました。母は自分が夫の何番目の妻かもわからず、また自分は夫の何人目の子どもを産んだかどうかもわからなかったのです。
それでも、2人には長男フランク・ジュニア、次男ゲイリー、三男ゲイレン、四男マイケルの4人の男の子が授けられました。(父母は長い間正式な結婚証明書の手続きを取らなかったので、彼らは私生児として生を受けます)
末息子のマイケルが生まれるまで、父は詐欺師をして生計を立てていたので、一家はアメリカ各地を転々としていました。そんな荒んだ生活の中で、父の家族全員に対する目を覆うような虐待(肉体的なものはもちろん精神的なものも)が始まります。
中でも父から疎んじられていたゲイリーでしたが、どうしてだったのかは話の最後のほうでやっとわかります。そして、それが父母の不仲の最も大きな原因だったと思われます。(それが何かは本を読んでね。笑)
さらに、それは事実ではなく、父の誤解から生まれたものだったということも判明します。
末息子のマイケルが生まれるころ(父はそのとき61歳でした)父は興した正業の仕事を成功させ、生活はかなり安定したものとなっていました。
父は彼を溺愛し、彼だけは虐待を免れました。といっても、彼が受けた極端な愛は(母親と引き離された状態が続いたため)のちに彼の心を不安定にさせていき、人間関係(特に女性関係)に歪みをもたらせます。
マイケルが物心つくころには、ゲイリーもゲイレンも次々と少年院や刑務所の世話になっていき、手がつけられなくなります。(ゲイリーは35歳で命を断たれましたが、そのうち22年間を獄中で過ごしました)
また、宗教上の理由から(彼は父母に反発し、カトリックからエホバの証人に改宗していました)ベトナム行きを拒否したフランク・ジュニアが兵役忌避とみなされ、軍の刑務所に送られることになります。
とにかく、やることなすこと悪い状況へ向かっていきます。
父が病気で他界し、ゲイレンが誰かに刺されてそれが元で亡くなり、そんな中ゲイリーが事件を起こし処刑されます。
その後、亡くなった息子たちを嘆き続けた母が病気でこの世を去り、その母を看取った長兄のフランク・ジュニアは失意から蒸発します。
一人残されたマイケルは紆余曲折を経ながらも、奨学金を得て一家の中で唯一大学を卒業し、音楽ライターの仕事に就きます。
こう書くとまるでマイケルだけが文才に恵まれているようですが、フランク・ジュニアは奇術師として、ゲイリーは画家として、ゲイレンは詩人として、この4兄弟は類まれなる才能に恵まれていました。
それらはすべて父フランクのDNAのおかげだと思われ、決して悲惨な人生をたどるような人たちではないのです。(しかも、みな端正な顔立ちで女の子の気を惹きつけるのです。フランク・ジュニアはシャイだから浮いた話は少ないですが、その他の人たちはどこへ移ってもすぐにガールフレンドができるんだなー)
マイケルは殺人犯の弟として、世間の冷たい風を受けて傷つきながら(酒や麻薬に溺れた時期もあり、結婚生活も破綻しました)血を分けたゲイリーの人生は一歩間違えたら自分の人生だったかもしれないと悩み、自分とゲイリーの分岐点は何だったのかを見つめるために、家族のことを本にしようと決心します。
事件についてはすでにピュリッツァー賞を受賞した『死刑執行人の歌』という有名な本が出ていて、映画化もされていますが、その著者が生前に死刑囚だったときのゲイリーや亡き母のインタビューをテープで残していたのでそれを借り、また、行方不明だったフランク・ジュニアを10年ぶりに探し出し、彼の記憶も頼りにしながら(末息子のマイケルは自分が生まれる前のことはわからないので)この本を書きました。
虐待した父はもちろん、母も決して親らしい親ではありません。育児ノイローゼ気味だったとはいえ、赤ん坊のマイケルを手にかけようとしたことがあります。それが元で父はマイケルを溺愛するようになり、母と別居する生活のほうを選ぶようになるのですが。
それでも、4兄弟とも、両親のことを恨みながらも、それよりもずっとずっと強く心の底から愛しているんですよね。切ないくらい、家族からの愛を求めているのです。
むしろ、人一倍家族愛の強い一家なのです。
ゲイリーのやったことは遺族のことを考えるとどんな罰を受けても何も言えないものだと思いますが(ゲイリーも遺族に詫びるためにも銃殺刑という「血の償い」をするのだ、と述べています)どこかで立ち止まれなかったかと、私もマイケルと同じように思わずにはいられません。
それから、巻末のあとがきにほんとにいろんな人々に対する謝辞が述べられていて、「あぁ、マイケルの周りにはこんなにたくさんの彼をサポートする人たちがいるんだな」と思ってちょっとホッとしました。 (アメリカ人の書物はあとがきを謝辞で埋め尽くすのが常識ですけどね。笑)
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今日はもう朝に1本記事を書いたので、書くつもりはなかったのですが。
ここのところ、俳優でエッセイストの池部良さんの著書を図書館で借りて手当たり次第読んでいて(館内にないものは司書さんに書庫まで取りに行ってもらいました)もうちょっと考えがまとまったら記事にしましょうと思っていました。
でも、本日逝去されたと報道がありましたので、急遽書いています。
92歳(本当は94歳らしいのですけれども)ということなので、大往生なのでしょうけれども、私は最愛の祖母を88歳で亡くしたとき、何歳であっても大往生だとはとうてい思えないものだなぁとしみじみ感じましたので、ただただお悔やみするばかりです。
私は邦画はほとんど観ないので、実は池部良さんの出演作はとんと観ていないのですが(小津安二郎の監督作品は割と好きで観ているのですが、なぜか池部さんの出演作の「早春」は観てないんだな。。)
なので、私にとっては往年の二枚目映画俳優というより、粋で洒脱な江戸っ子文体の作家という印象しかありません。
もちろん、俳優になってからの日本映画黄金時代の「こぼれ話」もおもしろいものですが、私には俳優になる以前の、少年時代から大学を卒業し戦時中に陸軍に召集され南方で九死に一生を得て敗戦を迎えるあたりまでが、たいへん興味深いです。
あの時代に生まれ育った普通の一人の青年の姿が、ありありと表現されています。 特に、父親(洋画家・風刺漫画家の池部鈞)とのぶっとんだ話がいいですね。母親(画家の岡本太郎の叔母)も今でいう「天然」な感じでユニークです。
代表作で日本文芸大賞を受賞した「そよ風ときどきつむじ風」なんかは入試問題でも見かけます。
でも、この作品に限らず、いつまでもあんなにダンディでカッコいい人なのに、「キワドイ話」をさらりとされているんですよね。
さすがに、入試問題で採り上げられている文章は、そういう場面をうま〜くはずしていますが。
だけど、中学生くらいだったらきっといい勉強になると思いますので、この「そよ風」シリーズの3冊はぜひおススメしたいと思います(笑)
たぶん、NHKのBSあたりで追悼の映画特集が組まれると思いますので、残念なめぐりあわせとなりましたが、しっかりと観て池部良さんの俳優の顔も見てみたいですね。
それでは、南方戦線での思い出を綴った著書「ハルマヘラ・メモリー」の続きを読みに戻りますね。。
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江戸幕府が瓦解した後(教科書では『明治維新』と呼びますが)日本人のファッションは目まぐるしく変遷しました。
そんな、明治・大正・昭和・平成の世を彩った数々のファッションを一冊にギューッとまとめたのが、
イラストがオールカラーで、しかも当時の流行色を採りいれた色彩に(後のほうのページで年代別のカラー分類もあります)なっていまして、楽しい本です。
もともと大日本インキ化学工業という会社が主催した展示会のために描かれたイラストなので、めっちゃ色彩豊かなのです。
さらに、出てくるイラストの人物のたたずまいが(表情とかも!)なんともなまなましいなので、なんでかなーと思っていたら。
なんと実際の写真などをそのままモデルにしているんですね。
同じ着物でも、明治はわりとカチッと着こなしているのですが、大正になるとちょっとなよっとした着こなしになってるんですよね〜。
たぶん、大正は竹久夢二を参考にしたんだと思いますが、それにしてもリアルだわぁ〜。
もちろん、和装から洋装に変遷した時代なので、圧倒的に洋服が多いのですが、平成編の最後の2ページが和服だったのが印象的でした。
そのうちの1ページは、昨今の浴衣ブームを採り上げたものでした。
あ、『浴衣ブーム』思い出しましたが。
先日、温泉旅館に泊まって、浴衣を借りたのですけれども。(今、旅館では無料で浴衣を貸してくれるサービスが結構ありますよね)
私は着物の着付けはできませんが、浴衣ならなんとか着られますので、温泉上がりに浴衣を着て(たまたま開催されていた)地元の花火大会へ出かけたのですが。
温泉街ということもあって男女問わず浴衣姿の人が多かったのですが、特に若い女の子たちが着ているのが微笑ましいですね^^
最近の子たちは、夏になると抵抗なく浴衣を身につける習慣ができつつあるので、本当に喜ばしいことです。
ところが、ですね〜。
中にはものすごい着方をしている女の子がいるんです。
まぁ、私だってエラそうに言えるほどの着こなしは到底できませんし、帯の結び方も定番のお文庫はキチッとしすぎていて好きではありません(一応は一度結んでみるのですが、どうも気が進まなくてほどいちゃうんですよねー)
このときは、片結びにして反対側を色違いの2本垂れにして、というたぶん作法からはほど遠い結び方をしていました。
江戸時代の浴衣は今で言うTシャツみたいなもので部屋着のため、外出には湯屋(銭湯)の行き帰りに着るくらいのたいへんカジュアルなものです。
だから、浴衣なんてのは自分でアレンジして、好きに着てもまったくかまわないのです。
では、女の子がどんなふうに『ものすごかった』かというと。
まず、浴衣用の帯にもかかわらず、ぐるぐる巻きにされていて後ろで大きく蝶々結びされてました。
たぶん、兵児帯(へこおび)の感覚で結んだのでしょう。やわらかい兵児帯と違って、芯のある浴衣の帯を蝶々結びするのはかなり力のいる作業だったと思います。。。
ま、それもひとつの結び方として、いいとしても。(ワタシも人のことは言えないし)
ぐるぐる巻きの帯の下から腰ひもがぜーんぶ出ていました><;
私は最初、帯揚げを(間違って)帯の下に巻いてしてしまったのかなぁ〜と(好意的に)思おうとしたのですが、そうじゃなかったです。(普通、浴衣に帯揚げはしませんしね)
腰ひももデザインによれば、表に出てもちっとも平気なものもありますが、そのひもは長襦袢のときに使うようなひもでした。
帯もひももそんな感じですから、襟元も裾のほうもぐずぐずに着崩れてました。
だけど、当人はなんとも思っていない様子。(でも、周囲の人はみんな見てたよ〜)
顔立ちの可愛い子だったので、ほんともったいなかったなぁ〜!
駆け寄って「オバちゃんが直したるわ!!」と言いたかった!!(爆)
ま、若いですから、これから浴衣を着ていく中でだんだんと修正されていくことと思います。(たぶん)
それよりも、私のようなアラフォー世代のほうが却ってたいへんかも。
今まで着慣れていなくて、これから着ていきましょう!と決心しても、それなりの着こなしをしていないと、
「あの人、結構なお歳なのに。。。」って言われそう><;
でも、日本人ならせめて浴衣くらいは普通に着こなしたいですよね。。。着物はムリとしても(笑)
というようなことも、この本を見ながら感じたのでした。。。
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