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東海道も中山道も 江戸時代に定めれた五街道です。
京から 東に向かうと まず鈴鹿山脈が立ちはだかってます。
これを 北から回るのが 中仙道、南から回るのが 東海道です。
きょうは 逆に江戸のほうから この街道を見てみましょう。
海岸沿いに南を通っていくのが 東海道です。
箱根をのぞけば 伊勢まで ほぼ平坦な道が 続いています。
その代わり 水が難敵です。 あえて 橋がかけられなかった大井川、
水量が増えると 渡れなくなります。
そして 新居の渡し、七里の渡し と 船に乗らなければならない
ところが 2箇所もあります。
いっぽう 中仙道には 大きな川も海を渡ることもありません。
(ほんとは 大田宿のちかくで 木曽川を渡ります)
東海道に比べて 所要時間が読めること
また船が苦手な人も 多かったため
中仙道を利用する人も 多かったのです。
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街道と宿場町
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ブログを更新しようとしたら、
上のほうに ボタンがいっぱい並んでます。
なんか メインとしてつかってる 活力門や茶碗みたいです。
(というより ヤフー以外は ブログ草創期から ほぼ こうなってます。
あと 続きを書くモードがあれば いいのにね。。)
ということで 昨日の続き、
愛発関の先は 日本海側だけなので 重要度は
それほど高くなかったのでしょう。
だから 所在地がはっきりしなくなったのです。
京の都から 東に行くと 近江の国 現在の滋賀県です。
日本最大の湖 琵琶湖があります。
琵琶湖の東岸には広大な平野が 広がっていますが、
さらにその東は、 標高千数百メートルの 山々が連なる
鈴鹿山脈が 横たわっています。
鈴鹿山脈は 近江の伊勢の国境であり 現在は 滋賀県と三重県の
県境です。 そして 東海地方と関西地方の境でもあります。
ここで 蛇足ですが、 鈴鹿山脈の上に登ると 東海地方のテレビと
関西地方のテレビの 両方が見れます。
東海地方のテレビのチャンネルは 奇数 関西地方は 偶数なので
全チャンネルが 映ります。
(でも これは わたしが学生だったころに 某山頂のユースに
止まったときの経験で デジタルになってからは どうなのでしょうね)
閑話休題
京から東に向かってきた人々は 鈴鹿山脈の北の切れ目 もしくは
南のほうの 弱冠 標高が低くなっているところを 通ります。
北側の山脈の切れ目が 関ヶ原、
南の弱冠標高の低いところが鈴鹿峠。
江戸時代、関ヶ原を通る街道は 中仙道、
鈴鹿峠を通る街道は 東海道でした。
どちらを通っても この先は 濃尾平野に出ます。
中仙道というと 険しい山道 というイメージがありますが、
京都から 濃尾平野までは むしろ 東海道のほうが険しい山道だったのです。
そのため 京から 中仙道を通って 名古屋に出て
そのさきは 東海道を通る旅人も 多数いたと思われます。
というか、、
江戸で将軍が代わったときなど、 朝鮮や琉球から
使者が やってきましたが、 彼らは
このルート、 京から 名古屋までは 中仙道
名古屋から江戸までは 東海道
というルートを取りました。
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関西、意味は 関所の西 です。 |
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街道沿いには お地蔵様と 馬頭観音が祭られています。 |
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街道って お地蔵さんが 多いみたいですね。 |




