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J.F.ケネディが尊敬する日本人として名をあげた
上杉鷹山
これまで 経済不況が深刻になった時期
しばしば某公共放送で上杉鷹山が取り上げられます
10年前 ドラマにもなり 筒井道隆が演じました
一週間前に10年ぶりに録画しておいたそのビデオを見ました
そして 昨日 また番組で取り上げれていました
鷹山の時代から150年さかのぼり
今年の大河ドラマ「天地人」の主人公 直江兼続
兼続が残した 数多くの遺産の中でも「義」の精神は300年受け継がれました
「義]=正義など人が行うべき筋道 漢字一文字 口にするのは簡単ですが
実践するのは命がけの戦いがありました
天下分け目の関が原の戦いで 勝利した徳川家に敵していたため
上杉家は会津若松120万石から米沢30万石に減封
6000人いた家臣を一人もリストラせずに執拗な倹約と家臣を取り込んだ
人海戦術での開墾などギリギリの判断と工夫で
30万石の領地で実質50万石の収入を得るまでになりました
この 家臣を一人も辞めさせずに財政再建をするという掟は
この後には兼続の時代とは比べ物にならないほどの財政困難の状況が襲った時
さらに財政を疲弊させ とうとう今で言う 自己破産を言い出す家老も出たほど
戦国末期の状況下には通用した戦術ではあったが
それを頑なに護り さらに窮地に陥った米沢藩は
救世主を江戸末期まで 待たねばならなりませんでした
30万石から15万石にまで 減らされた米沢藩
重い租税や長雨で飢饉が続き 餓死者や他の藩に逃亡する人が増え
数年間で1万人もの人口が減りました
3万両の収入に対して7万両の支出 その上160万両の借金も抱えていた
兼続の時代から150年後江戸時代の末期
第九代藩主となった上杉鷹山
大家から小家になったと家臣に現実を直視させ 倹約を強いてきました
18年経ってそれだけは 倹約だけでは財政再建の根本的な解決にはつながらないと気付き
次々に新しい手を打ちます
その時に有名な
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり」
の歌を詠みます
まず できると考えよ 動き出さなければ 解決はありえない
との信念から 画期的な政策を打ち出し 行動に出ます
続く
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