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「大阪市」は、人口約266万人で市の借金はおよそ5兆円・・・
京都府や広島県に匹敵する人口で、国の年間の防衛予算に匹敵する借金
横浜市よりも100万人人口が少なくて、市の職員は1万人多く
その割に市民サービスを肌で感じるほど良いと言う実感もありません。
このままいくと2015年には財政再生団体になるとの見通し
この借金とは別に毎年の予算に足らない分の累積赤字が
7年後には2700億円見込まれることから、今後5年間でおよそ600億円の収支改善を図るという改革案を市が発表しました。
それでもなんぼ絞っても、目標の600億円まで233億円の不足という状況
これだけの大きな金額になると、ちょっとやそっと倹約しても
なかなかたちゆかないのか、利権のしがらみにメスを入れ切れてないのか
一方!
我々市民はこの不景気の中、それぞれの生活で倹約を知恵を絞ってます
当然大阪市民に限ったことではありません
が
他府県では、いろんな形である種の「倹約の術」を発達させている
地域があるようです。例えば
山梨県の 無尽 むじん
沖縄県の 模合 もあい
群馬県の 新生活運動
これは、おこずかいがちょっと足らない・・・
みんなで飲んだり食べたり・・・
冠婚葬祭の時・・・
のようなシーンでみんなからお金を出してもらえる制度=古典的な互助会
昔からこの制度をおこなってきて相互銀行に発展したものもありますが
今でも町内などでこの形を続けている地域があるとのことです。
いわゆる庶民金融の一種だそうで
①まず個人がグループを作ります(同級生・ご近所・会社の仲間など)
②一人3000円〜5000円の会費を出し合います(数万の場合も)
③会費がある程度貯まると、飲み会や旅行などに充てられる
※急な出費が発生した場合(お葬式などで金銭的に困った時など)
話しあいをして、貯まったお金を一人で総取りできる場合もあります。
返済する場合もあれば、しなくて済む場合もあり
不公平感がでないような納得できる金額の幅を決めてます。
しかし偏りが出て不満の種になり、廃止されていったケースも多いようです。
▼「無尽」の金融文化がある山梨では
元々は室町時代、冠婚葬祭の時にグループでお金を出し合って
助けあったという制度が今も残っています
が
山梨の県会や市町村議会議員は沢山の無尽会に参加しており
無尽に出て親睦を図ったり情報交換をしないと山梨では
当選も難しいとも言われているとのことで
個人なのか議員としての支出なのか微妙なところですが、それほど根付いています。
▼沖縄では居酒屋に行くと 忘年会 新年会 模合会 予約受付 歓迎などの張り紙を見ます。
琉球王国時代の18世紀半ば、困窮した民衆を助けるために制定された
模合法がルーツだそうで
現在もほとんどの県民が加入しています
むしろ他府県から沖縄に移り住んだ時、模合に誘われてこそ、本当の沖縄県人の仲間入り
と言われるほどで
文具店には「模合帳」も売っていて、模合を管理するサイトもありました。
▼皆で出し合うのとは逆の発想、日常といえば群馬の新生活運動では
冠婚葬祭の受付に行くと、一般 親族 新生活運動 という窓口があり会員は一律1000円でOK!
いわば虚礼廃止
戦後 葬儀などに満足な費用をかけて行うことが困難な時代に、全国的に始まった住民運動です。
なぜか群馬に根強く残っています。
香典に限らず、お見舞いや出産祝いなども1000円にする場合もあるといいます。
昨今 葬儀代が出せずに親の遺体を隠したり埋めたり、放置して
届け出をせずに年金を不正に受け取っていたというニュースがまだまだ相次いでいます
今 こうした互助会の運動を新たに起こすのは、大変かもしれませんが
ただ 仲間同士 ご近所同士 助け合いましょや
という精神も希薄になってきています
しかし 創価学会の世界は金銭的なものは一切ないものの
自然にこの互助が息づいてます
世界一のおせっかい集団 という宗教にとっての誉れな異名もあるほどです
この1年の間でも 私の地域で散々学会の悪口を言ってきた方が 結局近隣から誰にも相手されず
学会の婦人部にお世話になっている人もいますし
平凡な時は そういう学会員をうっとおしいと言いつつ なにかあった時にすぐに手を打ち最後まで動いてくれたのは学会員だった
と 涙ながらに訴えていた方もいました
香典を持っていかれる という化石のようなデマも 学会員の葬儀や通夜に列席されると解ると思いますが ほとんど香典の儀は辞退しますと張り紙していますし むしろ学会から香典が届けられます
お金の話はいいとして、結局 人と人と繋がってこそ 本来のその人の個性が発揮され
本当の自由な生き方がそこにあります
孤立してしまって 歳をとってから その生き方を反省した人は沢山いました
創価学会員ではなくとも 過疎化が進む町で 自らも年齢を重ねながら
地域の為に儲け半分でコンビニを切り盛りして なくてはならない存在の人のドキュメントもありました
そうした人も沢山おられます
ただ その人任せな面もあり また限界もあります 個人だからです
「人に物をほどこせば我が身のたすけとなる
譬へば人のために火をともせば我がまへあきらかなるがごとし」
人の為にと 暗い夜道に明りを灯してあげると
それは自分の前も明るくすることになる
この精神を地域に社会にさらに根付かせていかねばなりませんね
自らの行動で
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私も学会の友達がいて、話が合いますが、思想集団と成る宗教と言う事では、話が対立します。どんな正論を説いても、信じない人には通じません。
そこが人間社会の問題です。信じない人を如何に説得できるか、そこで私はこの世の道理を説く宗教を求めています。
金はいらないと言われますが、組織運営資金はどうするのでしょう。私は友達づきあいで政教新聞を一年でよいから、二年でよいから取ってくれと頼まれて取っていましたが、ほとんど読んでいません。
選挙活動もすごいです。それが宗教精神かと疑います。みんながよくなるのだから、手段は選ばないと言う感じを受けます。
やはり洗脳を感じてしまいます。
2011/2/6(日) 午前 8:00 [ カメさん ]
カメさん様 はじめまして コメントありがとうございます。
仰るように 信じないと通じないというのは道理だとおもいます。料理のレヒピを1万回耳で聞いても、味が解らないのと同じだと思います。
組織ですから運用資金は必要ですので、年に一度寄付の制度を設けています。
当初は会長が一人で資金を工面していたのですが、会員が増えていき会員の中から声があがって寄付の制度ができました。
ただし、個人の意思があり面接を行い、捺印の上におこなっています。生活保護受給者や、経済的に厳しい方、意思の無い方には行っていません。
自分の考え方にそぐわないと、洗脳されているんだろう、そう思われる心情も理解できますが
国内でも数百万人いる会員を何十年も渡って、洗脳し続けることなど非現実的だとおもいます。
2011/2/6(日) 午前 11:28
カメさん様への続きです
入会される方の理由は千差万別ですが、食べる前から味を理解できないのと同じで、最初からすべて信じて入会される方は少ないと思います。
「君がそこまで言うなら、君を信じてまず実践してみるよ」
「今の悩み・苦しみを解決したい」藁をも掴む思いで入会される方など様々ですが。
レシピ通りに料理を作って味わってみてみようと実践します。
池田名誉会長も入会時はそうでした。
私達が信奉する日蓮も「信」 信じるという心が全ての根本と説いています。
かめさん様の仰るのは、いわば自然な気持ちでごもっともです。(^^)
私は信仰を実践して、現実の生活で様々な体験を積みました
なによりも、人生は色んな悩みなどに直面しますが
その時によっしゃがんばって乗り越えるぞという力が湧いてきます。一つ山を超えると、次またどんな試練がくるのか楽しみになるくらいです。
そういう自分に変わったことが最大の利益だと思っています。
なので創価学会の運動に参加しています。
このたびはコメントありがとうございました
2011/2/6(日) 午前 11:46
私は金光教の信者ですが、宗教は卒業しました。友達から仏法の解釈を色々聞いて感じる事は、私の信心感と何も変わり無いなぁと思います。何と言っても世界の創価学会、それなりの理由が有る事ですから、外部から食わず嫌いで指摘してもどうにも成りませんが、私は宗教問題解決策として自己確立をブログで訴えています。心身共に健康で苦しんでいない人に信心の話を説いても受け入れられません。
悩んでいる人にとっては救いの宗教、心癒されてみんな幸せに成り友達の輪が広がって行くのでしょう。世界の人々がみんなそんな心に成れば、平和に成る事間違いないです。
2011/2/6(日) 午後 8:09 [ カメさん ]
でも宗派の違う人を勧誘して受け入れてくれるでしょうか。みんなその宗教を信じて救われている事実があります。だから私は学会を信じる理由はない、キリストもイスラムも釈迦も信じる理由は有りません。私は金光教の教えを信じて自己を確立して宗教を卒業して自らの意志で生き抜いていける道を悟りました。自己確立は組織化の出来ない、個人の宗教心を育てる話ですので、皆さんに理解される事は無理だと思いますが、職場では私の日常の働く姿を観ている学会の人達、十人ぐらいいると思いますが、みんなから信頼を受けています。
この世の道理に適う信心と言う事で、自己を確立して働く物として肉体を生かしています。
一人脱退をしたいと悩みを打ち明けられていますが、世話になってる人もいますので、なかなか脱退が難しくて悩んでいます。
2011/2/6(日) 午後 8:18 [ カメさん ]
学会では、他の宗派を邪宗と言っていますね。
会長のスピーチには、疑えば仏罰が下ると実際テープで聞きました。ここであらさがしをするつもりは無いのですが、私が接している学会の姿には、良い事は良い事として認め、私も出来る事なら一緒に活動したいと思いますが、世界の宗教と言う事で、社会に対しての在り方を色々考えて行きたいと思っています。こう言うコメントを書くとご迷惑だと他者のブログで何時もお叱りを受けているのですが、この有り難い宗教が、世界平和への道を少しでも広げられていく事を願い、書かせて頂いています。
ご無礼の段はお許しください。
2011/2/6(日) 午後 8:25 [ カメさん ]
カメさん様 丁重にコメントを頂戴しありがとうございます。
私は無礼などとは微塵も思っておりません。むしろ
言葉を選び配慮をされて、その上で率直にお書きくださっておられると感じております。すばらしい方と感じておりました。
創価学会は教条的に邪宗だ邪宗だと他宗を罵るものではなく
むしろ他宗教との対話を進めています。
様々な環境で育ち、価値観も人生感も違う人達が入会してきますので、捉え方感じ方の違いが出てくるのは、当然だとおもいますが、そうした異体であっても、心を一つにして平和な社会を目指そうとしています。
宗教を信じ実践するのは、人間の権利であり、何人も侵されてはならないものです。
創価学会を信じる時は信教の自由といい
他宗には非寛容になって独善的では、宗教の自滅を招きます。
信教の自由を認めないで、世界の平和も社会の安寧もないものと思います。
罰というものや功徳というものも、目に見えない仏が救ったり罰したりするのではなく全部「自身」というのが仏教です。
仏教の経典もそうですが、様々な比喩を使って教導することはあります。
2011/2/6(日) 午後 11:32
教義のことについては、相互に学ばないと理解できないものだと思いますので、これ以上は控えますが
一般的に誤解されている点を少しでも御理解してくださればと思いました。
それはそれとして
人々を苦しめるもの、平和を破壊するものなど
共通の目的に立てるものもあるのではないかと思います。
勉強不足でお恥ずかしい面が目立ち
駄文ばかりのつまらないブログではありますが
今後もお立ち寄りくださったり、コメントを頂戴できればと
思っております。
ご高配に感謝いたします。
2011/2/6(日) 午後 11:34
今日は職場で友達と立ち話で、人間革命を聞いて私の自己確立も人間革命だと思いました。
一人一人が信心によって自己を確立して行く、それが人間革命であり、神仏の話を思想化するのではなくて法に照らして人間の生きる姿を観ると言う事かと思います。
学会が昔破門のニュースがありましたが、何故破門になったのかその理由を聞いて、私も宗教を卒業したと書いているのですが、宗派に取り込まれてしまっては自己確立も人間革命も出来ないのではないかと思います。
2011/2/7(月) 午後 10:54 [ カメさん ]
学会の話を聞いて沢山共鳴を覚える事が出来ましたが、ただ一つ問題を感じているのは、宗教が組織化されて行く事に対して、宗教精神との矛盾を感じています。組織に依存するのではなくて、個人がその信心を磨いて一人一人の人間としてその宗教を社会生活全てに生かしていく筋道を説きたいと願っています。春光さんとは何か通じ合うモノを感じます。
続けて私の心境を書かせて頂いてもよろしいでしょうか。私は自分の考えを押し付けるのではなくて、多くの人に自己確立を知って頂きたいとの思いで、信心の世界観と言うモノを発信したいと思っています。
私も色々聞かせて頂きたいのでよろしくお付き合いください。(^^♪
2011/2/7(月) 午後 10:54 [ カメさん ]
カメさん様
カメさんとお呼びしてもいいのでしょうか?(^^
カメさんが(もう呼んでますが)大変に誠実で、筋を通して
人と接しておられるのではないか、人間の生き方を真剣に考えておられるのではないかと
コメントから、私なりに拝察しました。
前述しましたがコメント自体も、誠実に配慮を心がけておられるのではと感じ、誠実なお人柄に敬服しました。
意見や考え方や捉え方の違いは出て当然と思っており
そこは譲れない という面もあると思います。
しかし宗教は相互の幸福の為であって、本来敵対する為ではありませんので
色々と私も伺えればと思います。
組織については、学会総体として規模が大きいので
依存しているように思われるのも、仕方ないと思いますが
実際の組織の形態は、20世帯前後の小さいグループの集まりです。
2011/2/7(月) 午後 11:07
続きです
小さい単位を三つから四つまとめてまたグループを作り
そうしてさらに大きい単位になります。
中心は小さいグループでこれは、一人一人に光を当て
個人が信仰で人生の困難を乗り越える為の応援団として機能させる為と感じています。
世間的には公明党の支援の時に学会が見えてくることが多いので
組織の為に人が動員されているような印象を持つのも
解らなくはないです。
人間の細胞も核を中心に、一つ一つの細胞が形成されますが
細胞がバラバラでは細胞の持つ力は発揮されず、死んでしまいます。組織として結びつきいわば社会性をもつから一つ一つの細胞は活き活きと活動し生命を育みます。
その方程式と同じで人間も一人一人孤立してしまえば、その人の持つ個性も発揮されず、返って不自由な生き方になると思います。組織として結びつくからこそ、本当の自由な生き方ができると考えます。
2011/2/7(月) 午後 11:18
信仰の活動においても、教学の研鑽においてもそうですし
個人や家族だけの幸福を願って信仰を個人だけの満足のものと捉えるか
仏教でいう「自他」の精神で自分と他者の幸福を願い生きるのか
また個人の幸福も社会が安定しなければ成り立ちませんから
そういう意味でも組織化されているからこそ
信仰を基盤に個人個人が持つ個性を輝かせていけると思います。
実はこのことを根底にてして、社会でおきる事件や事象を取り上げていくつか記事にしてまいりました。
昨今 人づきあいが希薄になり、社会性の欠如から生まれる不幸な事件事故が非常に多いと感じております。
近所つきあいなど、人ととの繋がりが無いばかりに
救える尊い命が失われたと思われる事件もあります。
色んな意味でもコミュニティが大切と感じております。
簡潔に書くのが下手で長くなって申し訳ありません。
色々なジャンルの記事を書いていますので
記事の内容から離れた事であれば、お手数ですがゲストブックの方にお書きくださればと思いますが
どうでしょうか^^
2011/2/7(月) 午後 11:30
カメさんへ追伸です
私は軽度ですが 発達障害があり
文章を何度も読んでやっと理解できるという時もあります
ちょっと内容からずれたり、文章に違和感を感じられることもあるかもしれませんが
御容赦いただければと思います。
2011/2/7(月) 午後 11:34