イスラームのコーランの有名な一節
『地上をあまりいい気になって闊歩するでない。
別にお前に大地を裂くほどの(力がある)わけでもなし、
高い山々の頂上まで登れるわけでもあるまい。』
中学校の教科書で星新一さんの
ショートショートを知り
読みやすくて分かりやすいので、
よく読んでました。
その教科書で初めて読んだのが
「おーいでてこい」
空想だけど、現実的で深く、未来は気をつけないといけないと漠然と思ったのを覚えてます。
しかし、それが現在の現実世界で
細かい部分まで現在と符合しています。
今、災害廃棄物=瓦礫受け入れの議論のことで言えば
福島県をこの「穴」にしてはならず
他者の犠牲の上に、自分達の幸福を築いてはならないはずです。
少数弱者を切り捨てるようなことがあってはならないはずです。
7万4千年前、巨大噴火によって噴出物が地球を覆い、
気温が下がり食物が育たなくなり、人類は絶滅の危機に襲われました。
動物もほとんどが死に絶え、人類の祖先の多くが亡くなる中、一握りの祖先が生き残りました。
なぜ生き残れたのか?
貴重な食料を独占したのではなく、血の繋がらない、また遠く離れてた集落の人と
分かち合ったからです。
考古学の権威による発掘調査が証明しています。
我々は「分かち合った人」の子孫です。
※NHKスペシャル「ヒューマン」
「同苦の心」「連帯の心」
民衆のエンパワメント(内発的な力の開花)の連鎖
人間の“無限の可能性”信じ苦難を乗り越え
民衆自身が巻き起こすエンパワーメントの連環が、
どんな絶望の闇も打ち払い、
希望の未来への旭日を立ち昇らせゆくための要諦があるのではないでしょうか。
「おーい でてこい」
台風が去って、すばらしい青空になった。
都会からあまりはなれていないある村でも被害があった。
村はずれの山に近い所にある小さな社(やしろ)が、がけくずれで流されたのだ。
朝になってそれを知った村人たちは、
「あの社はいつからあったのだろう」
「なにしろずいふん昔からあったらしいね」
「さっそく建てなおさなくてはならないな」と言いかわしながら、何人かがやってきた。
「ひどくやられたものだ」
「このへんだったかな」
「いや、もう少しあっちだったようだ」その時、一人が声を高めた。
「おい、この穴は、いったいなんだい」
みんなが集まってきたところには、径一メートルぐらいの穴があった。
のぞき込んでみたが、なかは暗くてなにも見えない。
だが、地球の中心までつき抜けているように深い感じがした。
「狐の穴かな」そんなことを言った者もあった。
「おーい、でてこーい」
若者は穴にむかって叫んでみたが、底からはなんの反響もなかった。
彼はつぎに、そばの石ころを拾って投げこもうとした。
「ばちがあたるかもしれないから、やめとけよ」
と老人がとめたが、彼は勢いよく石を投げこんだ。
底からはやはり反響がなかった。
村人たちは、木を切って繩でむすんで柵をつくり、穴のまわりを囲った。
そしてひとまず村にひきあげた。
「どうしたもんだろう」
「穴の上にもとのように社をたてとこうじゃないか」
相談がきまらないまま一日たった。
早くも聞きつたえて、新聞社の自動車がかけつけた。まもなく、学者かやってきた。
そして、おれにわからないことはない、といった顔つきで穴の方にむかった。
つづいて、もの好きなやじうまたちが現われ、
目のきょろきょろした利権屋みたいなものも、ちらほらみうけられた。
駐在所の巡査は、穴に落ちる者があるといけないので、つきっきりで番をした。
新聞記者の一人は、長いひもの先におもりをつけて穴にたらした。
ひもはいくらでも下っていった。しかし、ひもがつきたので戻そうとしたがあがらなかった。
二、三人が手伝って無理にひっぱったら、ひもは穴のふちでちぎれた。
写真機を片手にそれを見ていた記者の一人は、腰にまきつけていた丈夫な綱を黙ってほどいた。
学者は研究所に連絡して、高性能の拡声機をもってこさせた。
底からの反響を調べようとしたのだ。音をいろいろ変えてみたが反響はなかった。
学者は首をかしげたが、みんなが見つめているのでやめるわけに行かない。
拡声機を穴にぴったりつけ、音量を最大にして、長いあいだ鳴らしつづけた。
地上なら何十キロと遠くまで達する音だ。だが、穴は平然と音をのみこんだ。
学者も内心は弱ったが、落着いたそぶりで音を止め、もっともらしい口調で、
「埋めてしまいなさい」と言った。わからないことは、なくしてしまうのが無難だった。
見物人たちは、なんだこれでおしまいか、といった顔つきで引き上げようとした。
その時、人垣をかきわけて前に出た利権者の一人が申し出た。
「その穴を私にください。埋めてあげます」
村長はそれに答えた。
「埋めていただくのはありがたいが、穴をあげるわけにはいかない。
そこに社をたてなくてはならないんだから」
「社ならあとで私がもっと立派なのをたててあげます。集会場つきにしましょうか」
村長が答えるさきに、村の者たちが、
「本当かい。それならもっと村の近くがいい」
「穴のひとつぐらいあげますよ」
と口々に叫んだので、きまってしまった。もっとも村長だって異議はなかった。
その利権屋の約束は、でたらめではなかった。
小さいけれど集会場つきの社を、もっと村の近くに建ててくれた。
新しい社で秋祭りの行われた頃、利権屋の設立した穴埋め会社も、
穴のそばの小屋で小さな看板をかかげた。
利権屋は、仲間を都会で猛運動させた。すばらしく深い穴がありますよ。
学者たちも少なくとも五千メートルはあると言っています。
原子炉のカスなんか捨てるのに絶好でしょう。
官庁は、許可を与えた。原子力発電会社は、争って契約した。
村人たちはちょっと心配したが、数千年は絶対地上に害は出ない、と説明され、
また利益の配分をもらうことでなっとくした。
しかも、まもなく都会から村まで立派な道路が作られたのだ。
トラックは道路を走り、鉛の箱を運んできた。
穴の上でふたはあけられ、原子炉のカスは穴のなかに落ちていった。
外務省や防衛庁から、不要になった機密書類箱を捨てにきた。
監督についてきた役人たちは、ゴルフのことを話しあっていた。
下っぱの役人たちは、書類を投げこみながら、パチンコの話をしていた。
穴はいっぱいになる気配を示さなかった。よっぽど深いのか、
それとも、底の方でひろがっているのかも知れないと思われた。
穴埋め会社は、少しずつ事業を拡張した。
大学で伝染病の実験に使われた動物の死骸も運ばれてきたし、
引き取り手のない浮浪者の死体もくわわった。海に捨てるよりいいと、
都会の汚物を長いパイプで穴まで導く計画も立った。
穴は都会の住民たちに安心感を与えた。つぎつぎと生産することばかりに熱心で、
あとしまつに頭を使うのはだれもがいやがっていたのだ。
また、ひとびとは生産会社や販売会社でばかり働きたがり、くず屋にはなりたがらなかった。
しかし、この問題も、穴によって、すこしずつ解決していくだろうと思われた。
婚約のきまった女の子は、古い日記を穴にすてた。
かつての恋人ととった写真を穴にすてて新しい恋愛をはじめる人もいた。
警察では押収した巧妙なにせ札を穴でしまつして安心した。
犯罪者たちは証拠物件を穴に投げ込んでほっとした。
穴は、捨てたいものは、なんでも引き受けてくれた。
穴は、都会の汚れを洗い流してくれ、海や空が以前にくらべでいくらか澄んできたように見えた。
その空をめざして、新しいビルが、つぎつぎと作られていった。
ある日、建築中のビルの高い鉄骨の上で鋲打ち作業を終えた工員が、ひと休みしていた。
彼は頭の上で、
「おーい、でてこーい」
と叫ぶ声を聞いた。しかし、見上げた空にはなにもなかった。
青空がひろがっているだけだった。彼は、気のせいかな、と思った。
そして、もとの姿勢にもどった時、声のした方角から小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。
だが彼は、ますます美しくなってゆく都会のスカイラインをぼんやり眺めていたので
それには気がつかなかった
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怖い((((;゚Д゚)))))))
アニメは可愛らしくつくってありますが
内容が怖すぎます😱😱😱
本当に深い話しですね
今の私達の暮らし方全てを
考えさせられます…
2012/2/7(火) 午前 11:31 [ よぴ ]
よぴたん☆
ラストの続きを想像すると・・・怖いですよね。
でも、今そういう動きがあります。
全部自分達に跳ね返ってくるということを分からず
一部の犠牲の上に自分達の安全を守ろうとしている人がいるんです。
2012/2/7(火) 午後 2:06
他者の犠牲の上に、自分達の幸福を築いてはならない。。。
全くその通りです。。
食料などを分かち合う精神は、仏教でも、イスラームでも、
キリスト、ユダヤ、儒教など。。みな同じです。
また、クルアーンに『寧ろ正義と篤信のために助けあって、
信仰を深めなさい。罪と恨みのために助けあってはならない。』とあります。
民衆による“善”の連帯。人間の善性の“連帯する心”が
大事でしょう。
御義口伝に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」
また、三三蔵祈雨事に「夫れ木をうえ候には大風吹き候へ
ど・・・略・・・すこし健の者も独なれば悪しきみちには
・たうれぬ」と
↓↓↓
2012/2/8(水) 午前 11:14
連帯、団結の大切を言われています。
Nurhasna☆彡
その後に続く文には、善にあい難いこと。。
悪を退け善につく。。という事が説かれています。
クルアーンに『本当に人間は、喪失の中にいる。
信仰して善行に勤しみ、互いに真理を勧めあい、
また忍耐を勧めあう者たちの外は』とあります。
確かに信仰は違います。。
信仰の根幹は妥協し得なくても。。。
信仰者、宗教者として、善行に勤しみ、
互いに真理を勧めあいそして、
人間の善性の連帯を構築していかない限り。。
人類、延いては地球の未来は暗澹冥濛としたものに
なるでしょう。。。
2012/2/8(水) 午前 11:15
同苦の心とありましたので。。
Nurhasna☆彡
以前記事にしたものですが、
沖縄の言葉に“肝苦りさ”と
言う言葉があります。。
トラックバックさせてください。。。
2012/2/8(水) 午前 11:51
桃香しゃん☆
90年代半ばだったと思いますが
日本人のある作家が自転車で人類発祥の地を目指すという番組があり
イスラーム圏を疾走している時、ラマダンに入ってました。
そこで見た光景は、日が暮れてみんなが食事をとる時に
見知らぬ日本人のスタッフ達を、「あなたたちも食べていきなさい」と無条件で招いている人ばかりでした。
そこでイスラームに対する認識を一変しました。
仏法は終始、自他、利他で貫かれます。
その真髄は「仏の如く敬う」行動です。
信仰の違う方にも当然、仏性・無限の可能性が内在してます
当然敬い、そして連帯していかなくてはならず
仏法者はその橋渡し役を担うべきと思っています。
>罪と恨みのために助けあってはならない
ここにもイスラームの精神性の高さを感じます。
「自他彼此の心無く」
そこにいるのは人間ですからね、人間の連帯で人間が解決していかねばと思います。
2012/2/9(木) 午後 0:20
肝苦りさ
>罪と恨みのために助けあってはならない
と同じく自分の琴線に触れました
阪神淡路大震災時に被災地に入った時に
色んな人がボランティアに携わってましたが
その時に、ボランティアのあり方を考えさせられました。
その答えはここにあります。
創価学会の震災時の支援も「自立促進型」です。
気の毒や同情ではないところに共感します。
2012/2/9(木) 午後 0:29
落ちてきたものを穴へ放り込んでやればいい。
2015/3/19(木) 午前 0:54 [ tot*tot*t*te*001 ]