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東日本大震災発生から1年目の3月11日、この日は日曜日。 この日に「東京大行進」と銘打って 「追悼と脱原発への新たな誓いと共に歩くデモを開催」と計画されてる人たちがいる。 大阪に住んでいて、つい最近1.17・17周年を迎えた者として なんだか違和感を覚える。 しかも3月11日は「脱原発」か「反原発」の日なのか?と疑問を抱きます。 東京電力福島第一原発の事故は重大ですが 3月11日に原発事故で亡くなられた人はいませんし 想像を絶する大津波 何物にも代えがたい家族を失った人たち 未だに家族に会えない人たちは 3月11日をどんな思いで迎えなければいけないか 私が軽々しく語られるものでは決してないですが 実際に耳で聞いた話しでいうと 目の前で、妻や祖父母、子供、同僚が津波に流されるのを見なくてはならかった人 ずっと手をつないで逃げていたのに、自分だけ生きのびた人など 可能ならあの日の2時46分以前に戻ってほしいと思っても口に出せずに、 心が折れそうになり、辛く、悔しくても 感情をぶつける対象が無く 負けてたまるか!と岩に爪を立てる思いで前へ前へと歩んでおられる。 わざわざ3月11日を選ぶなど まったく被災された人たちへの配慮ができない自己中と思えてならない。 こうした「憎悪の扇動」は、「他者」の人権を犯にさらし 口で社会の統合をうたいながら、それが深刻な打撃を与え 国家秩序を掻き乱していくという、歴史に学ぶべきですが 高い次元では無いために 自語に相違して「リスク」社会の中に「他者化」を始めている。 大震災で被災した人たち、東電原発事故で避難生活をされてる方たちを 自分達と他者として分けている。 それに気が付いていないことが、一番恐れられる。 「他者化」は「我々はあの人たちとは違って安心だ」という心が生みだします。 被災した人たちを不幸にしても、自分達の感情的な思考を流布しようとしている。 1.17も17年経ても静かに祈った。 6.23、8.6、8.9、8.15も同じように祈る。 |
要談 「震災関連 神戸・東北」
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