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東日本大震災の被災地で起きた教育問題。
▼避難生活による、子どもの学力低下をどうやって防ぐか
↓
・学校がなくなったり、避難所になった。
・塾がなくなった
・家が流された
・教科書や教材を失った
・避難所生活では段ボール机で勉強
など、こうした環境の中、大人たちがしたことは
↓
みんなで力を合わせて無料の学習塾を作った
と簡単に書いてますが、かなりハードルの高いことだったのですが東京のNPOの提案から
始まりました。
・運営はNPO法人「カタリバ」
・教育委員会と塾が力を合わせ、ふだんは商売がたきの塾同士も手を結んだ
・全国からボランティアも駆け付けた
・費用は企業や個人の寄付のみで一切の税金を使ってない。外資系の金融会社からの寄付も。
と、いろんな人の力の結集なので
「コラボスクール」=(放課後の学校)と名付けられ
岩手県大槌町と宮城県女川町の二か所に作りました。
被災地の放課後学校「コラボスクール」http://www.collabo-school.net/
津波残存物=がれきの問題でも取り上げましたが
女川町は83%の住居が倒壊し、住民の1割近くが死亡か行方不明
11軒あった塾のうち10軒が津波で流出
そんな中を町の小学生の3人に1人がこの無料塾に通い
先月中学3年生が「卒塾」しました。
先日その模様がニュースで流れてましたが
将来は消防士や保育士などになりたいという15歳の春の夢を語りましたが
それだけはなく
「もしかしたら、死んだほうが良かったのかなってすっごい考えた時もありました。」
「自分の人生がいつ終わるかも分からないと震災で感じて・・・」
と、子どもたちは希望を失いかけたこともあったという心情も吐露しました。
10代にしてそうした経験をし、前を向けなくなった子どもたちを応援したのが
「放課後の学校」でした。
引退した教師や会社員に学生、自らも被災して教える場を失った先生などが作り
中には4ヶ月間休職して教えた会社員など関西からも多く参加しました。
卒業生たちはみな、「故郷の復興に貢献したい、それが支えてくれた人たちへの恩返しになる」
と語ります。
この「放課後の学校」ができたのは女川町立女川第一小学校(旧校舎)
「女川向学館」
夕方になると町の3人の1人がこの学校に集まってきます。
ここでしか学べないこともあり、休みは週一回。
震災後は勉強どころではなかった時期が長く続いたり
親が仕事を失って進学を諦めた子どもも沢山います。
中には友達を亡くした子どもも多く、心に傷を負いながら口に出さずに踏ん張っています。
卒業生からはこうした言葉もありました。
「私の考える大人の理想像があります。
それはヒトのために努力できる人、思いきり楽しんでいる人
何かのために一生懸命になれる人です」
「学んだことは勉強だけではなく、人と人との関わりが大切なんだと思いました。
支援される側ではなく、支援する側になりたいといろんな事にチャレンジしていきたい」
「震災前まで、将来の夢を持っていませんでした。しかし、震災が起きて自分の町が大きな被害を受け、自分はたくさんの人たちに支えられ、生かされました。
自分が復興のために何ができるのか、何をしたいのかを探していきます。」
大震災は不幸な経験ではありますが、多くの人の支えによって、大善へと変革しています。
「心のたから」を積んでいってます。
津波残存物=がれき処理など早く受け入れて、教育環境の整備も含めて復興を推し進めるのも
ひとつの支援です。
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要談 「震災関連 神戸・東北」
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