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5日に岩手県から来阪された、陸前高田市の戸羽市長も
講演で触れておられ、昨日の講演内容2の記事中にもありますが
「津波てんでんこ(津波が来たら、てんでバラバラに逃げろ)」
ということばに私はずっと違和感がありました。
戸羽市長も今回そこに触れて、以下のように語っておられます。
先人の言い伝えとして「津波てんでんこ」という言葉があります。 「津波てんでんこ」確かに、それは「防災」としては効果的かもしれない。 でも、愛する人のことも考えずに、バラバラに逃げねばならない 「津波常襲地の悲劇」を示した言葉とも言える。
その悲劇性を深く心に刻むことが大事じゃないかと思います。 「てんでんこ」が防災上いいからと、 愛する子を助けに行って津波にのまれた親を責められない。 そして、当然の疑問がわく。 1人では逃げられない人をどうするのか?ほっとけというのか。 でも、もう一つの別の位相があるのではないか。 東日本大震災の巨大津波を経験された方々の
さまざまな話を伺う中で気付いたことは
「津波てんでんこ」は、 「私は子どもを見殺しにした」 「親を救えなかった」と、
自分を責め続ける人たちに対しての言葉でもある。
「津波は昔から、てんでんこというじゃないか」と、 その人たちが、自分を責めることを少しでも減らせる言葉ではないかと。
明日で東日本大震災から1年5カ月
先日タレントのサンドウィッチマン伊達さんの友人が
亡くなったというニュースがありました。
その方は3月11日に奥さんと子供を亡くされた方という情報があります。
最初の1年間は大きな支援に支えられ
頑張ってきた人たち。
行政で多忙を極めてきた職員の間にも
弱冠の余裕ができ始めた時、精神科のケアが必要な人が激増していると聞きました。
阪神淡路大震災の時もそうでしたが
2年目3年目からが本当の戦いになってきます。
人々の関心も薄れ、遅々として進まない復興。
生まれ育った町の心の原風景が無いということは、
これから頑張ろうと言う時に、力が出なかったりします。
心のケアの重要性が増してきます。
被災してない地域の私たちは
被災地を絶対に忘れてはならないと思いますが
著しい風化を肌で感じてなりません。
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要談 「防災・減災」
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自分がもし、その立場になって家族を失ったら、同じように深い後悔に苦しむでしょう。
でも、一人でも多く助からなければ、家系は途絶え、地域には誰もいなくなり、津波の恐ろしさを伝えられる人もなく、
結局は地域や国が滅びかねない。
親ならば、子供だけでも助かって、次代を担って欲しい。
だから、てんでんこは何も悪くないし、当然の行動。
それができなければ、海の近くに住むべきではない。
津波の前では、自分を守る厳しさが一番大切。
2012/8/11(土) 午前 0:25
LIkaママ
それが多くの人の気持ちでしょうね。
3月11日一旦高台に逃げながら、年老いた母を助けるために、家に降りて母と共に津波に流された方
同じく一旦高台に逃げながら、消防団として介護施設の人たちを助ける為に市街地に降りて、高齢の両親を残して津波に流された方
両親が家から出て避難するところを確認して
近所の足の不自由な人を助けて、避難所で両親が来るのを待っている間に津波がきて、そのまま両親と会えなくなった方
それぞれのお話を現地で伺って、その時にそばにいた人が
てんでんこだから・・・と励まされておられました。
この言葉の持つ深い意味、言葉が持つ力の重さを
少しは感じた気がしました。
2012/8/11(土) 午前 8:17
8/11(土) 午前 7:43 様
戦争の時のお話
うちの母も、大阪空襲の時に同じような体験をしたと聞きました。
多くの被災地の人と交流を続けさせてもらってますが
みなさん発する共通の言葉は「被災地を、私たちを忘れないで」です。
これからが本当に寄り添っていかなければいけない時期に入っていますね。
2012/8/11(土) 午前 8:34