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山田町から内陸避難されている izu*54さんのブログからお借りしました。
盛岡に SAVE岩手番屋という被災者に震災直後から精力的に物資はもちろん
心のケア―から仕事の事まで親身になって被災者の為に活動している団体がある。
(私もいろいろお世話になってます。)
以下その番屋の日記から被災者の声です。。。最近の投稿から〜〜
番屋日報 3/3
内陸避難者の声
仮設住宅と同様みなし仮設にも支援してほしい。 (30代男性 釜石市より) かな。
津波を見てしまって、何日か家族とも逢えなくて、こんな辛い思いは嫌だって 最初は帰らない、と思ってたけど、子どもの保育所は人数が多かったり、人の
持ってる雰囲気が違ったり、やっぱり私は大槌が好きなんだなと判りました。
夫の転勤で内陸に来て住んでる所では支援物資を頂いたり、民生委員の方が
よく来てくれて 良くしてもらってます。
夫は被災時に町から離れていて大槌に入れず、ワンセグが伝える惨状に
もう家族はだめだろう と思い詰めた記憶から地元へ戻るのに躊躇してます。
大槌の住まいは空いている仮設でもいいのですが 入居は無理と役場に云わ
れ、復興住宅は 仮設の方優先になるだろうから向こうに戻れるのはいつなの
かなって。
(20代女性 大槌町より) 一週間、4月に盛岡に来て6月にみなし仮設に移り、そのとき大槌の方 3人も
一緒に入居してその人 たちは2か月程して、住む所が見つかったって そっち
に移って。
俺は病院に近い所が良いし、お袋は内陸に話し相手がいないのと沢山の知り 合いが大船渡 に残ってるから 家族で相談して今仮設に入ってます。
地元では頑張ってる人がいるんだけど 俺にも都合があって。
今後の生活を考えるに、国の融資制度、借金だよね、舟、ワカメ棚、網、ボイル 機械 倉庫、全部で5千万は掛かる、背負えない。
盛岡で仕事して蓄えを持ちたい、自宅跡地の買い上げは 決まってないし
これから、お袋が介護施設に入るとしたらお金が掛かるから それに手を付け
ると 生活は楽になるけど 義援金には手を付けれない、ただ家を建てられる程
の金額じゃないよ。
災害から2年。どう考えたって最低5年は経たないと落ち着かないだろうね。
あと3年、 収入や 住居や精神的な面をそれまでどう繋いでいくか。
俺よりもっともっと酷い環境の人達、その人達はもっと掛かるだろうね。
フラッシュバック、津波の光景が例えば車を運転しててもばっと拡がる、未だに それが 続いてる、精神科に行ってます。行くのは恥ずかしい事ではないですよ。
お袋の仮設は学校の校庭なのでにぎやかな声が聞こえる、子ども達は被災
体験をしてるけど前向きなんだよね、不幸だったけど ワイワイガヤガヤの
お祭りのように捉えてる。
あの日は凄かったね、そうだねって 聞いてると楽天的に云ってる、逆に
元気をもらう。
今の子ども達が地元を離れないで いてくれたら、我々の世代が職場や
住居環境を作ってあげないとって
そう考える、今の市長の課題だろうけど。
お袋の事で市役所に電話をしたら、
直接偉い人と話が出来て この前、
その人 から電話貰って要は、戻って
来てほしい、と。
あと病院の体制が不十分、これから良い病院にしたい、と。
気に掛けてくれて感謝してます。 列車代行バスは時間通り走るかな、一般道が混んだら遅れるだろうな、三陸
道が仙台まで完成すればいいのにねぇ、その点は国、県、市の話だからなぁ。
(50代男性 大船渡市より) 沿岸居住者の声
してほしい。 今までも支援下さってありがたいです。
(50代女性 山田町在住) 地元に戻りたいという人が空きの仮設に入居出来ないのです、役場に聞いたら
無理です、対象外です、と云われ、そういう人を迎え入れれば人口も増えてくん
じゃないですか、そう云っても 断られました。
家を無くした人だけが被災者じゃないと思いますよ。 (50代女性 大槌町在住) のだけど出来ない ジレンマがあります。
自宅跡地の買い上げで再建、それをあてにして暮らしたいけど その状態
が示されていないです。 あと、被災者は消費税の免除をしてほしいです。
娘さん談 『私は盛岡に下宿していてアイーナに居ました。館内放送に従って
1階に移動してそのまま雪の中を歩いて下宿に戻りました。
市内は被害が見えず大したことないなと思っていたんですけど、ワンセグの
ニュース、波と火災で変わり果てていて屋根の上に人が避難してたり、パニック
に なってしまいました。
山田の親、友人に連絡が付かず、
翌日沿岸行の臨時バスで地元に
行くべきか 関東に住む兄に電話
で相談しましたが、現地は大混乱
だから様子をみて、ということで
盛岡に留まりました。
親が生きていると判ったのは、兄の
友人が山田町に入り避難所の壁に
貼られた生存者名簿や手書きメッセ
ージを写メ―ルで送信してくれて、
そこに、これ母の字だ、と判るのが
あったからです。』
避難所でボランティアの人が、ご家族に連絡取れていない方いますか、って回っ
てくれて娘の携帯番号を教えました。
3月終わりに盛岡に避難しました、どうしてかというと避難所の配食は栄養には
遠くて ひいた 風邪が治らない、自衛隊の方から薬を頂きましたが治らない、こ
れはだめだと内陸避難希望を出しました。
ところがそれが漁協で問題になって、あなたは漁業を放棄した、と非難されて
村八分のような 関係になりました。夫は事情を説明しようとあちこちに話をした
ようですが聞き入れて貰えません。
漁港の後片付けも他の方は賃金が出たのですが2〜3カ月はタダ働き、我慢し
たのは後々中傷されるから。
後になってよく我慢されてましたねと生活相談員の方から同情されました。
夫の仕事があるので山田からは離れません。
最初海が怖かったし、盛岡に避難した頃は 北上川の流れを見ても恐かった、
今は落ち着きました。
毎日生きるので精一杯です。 (40代女性/家族回答 山田町在住)
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要談 「震災関連 神戸・東北」
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被害が被害だけに、大きな問題や住居を無くした方々優先に手が打たれてゆくのは仕方ないし、全ての被災者に満足出来る支援は無理だとは思いますが、
こうして、様々な困難や事情を抱えてしまった方々に、少しは柔軟に応えていかないと、地域の復興は遠くなりますよね…
2013/3/6(水) 午後 7:56
春光さん、転載ありがとうございます。
2013/3/6(水) 午後 8:55 [ 麻巣 ]
Likaさん
先日、NHKでマイケル・サンデルの白熱教室でも
東北の復興に、すべての人の合意が必要か
スピードが優先か
と問われていました。
そして、ある方が「合意」ではなく「納得」が必要だと。
合意できなくとも、納得してもらうことが大事ではないかと
いう意見にマイケルも感心していました。
それとは別に、1年も前から「私たちを忘れないでください」
と言わせてしまっていることを、もっと真剣にとらえなければと思うようになりました。
あれだけの大災害が、2年で風化が憂慮されるのは、あまりにも酷です。
2013/3/7(木) 午前 5:41
ますピーさん
こちらこそ、ありがとうございます。
2013/3/7(木) 午前 5:42