共徳丸があったから、今までがんばってこれた、これからもがんばろうと思えた 6mの大津波が、港から800m運んできました。
共徳丸は悪者ではなく、またシンボルのために造船されたわけでもないですが
でも、この場所に立ってみて、道路を避けて、駅に向かった緩やかな坂道の真ん中で、止まっている
その場所の不思議さを感じました。道路の真ん中だったら早いうちに解体されていたでしょう。
批判を覚悟で、たった2年で解体は早いと思います。
船の持ち主さん、そこに家があった方、鹿折に住んでおられた方々の
色々な意見は承知していますが、できれば乗り越えて、気仙沼の復興と、子孫の命を守るために
保存してほしいと思っています。
大阪市にも津波が来たという石碑があります。
しかし阪神淡路大震災が起こるまで、関西に火山が無いから、関西は地震がこない
と信じられていました。
風化とはこれほど怖いものです。
大阪に津波を伝えるものは、誰も見向きしない石碑だけです。
|
要談「気仙沼市」
[ リスト ]



こういう問題って、難しいですよね。
やっぱり毎日そこで暮らす住民感情を考慮すればしかたないのかも。
私個人はあってもいいと思うけど。←高田の一本松の時と矛盾してますね。
2013/3/27(水) 午前 8:40 [ 麻巣 ]
26日午後5:17さん
ありがとうございます。
被災された方に寄り添いたい、と思いながら、保存してほしいと、自分の矛盾を感じています。
あえて、書かせていただきました。
どちらの声も大切にしなければ、なりませんね。
2013/3/27(水) 午前 9:59
ますピーさん
大阪に住むものから、なかなか言いづらい懸案ですが
できれば、保存してほしいと、書かせていただきました。
船は解体されても、津波のことを後世に伝える何かを残してほしいです。
2013/3/27(水) 午前 10:08