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雄勝病院をはじめ歌津・志津川・北上など、東日本大震災の一つの象徴というべき悲劇が
あまり知られていないことも課題です。
先日、南三陸町では、志津川病院の屋上に避難した人が
「津波でベッドにつかまったまま、流されていく人を見て、何もできなかった・・・」
と壮絶なお話も伺いました。
東日本大震災であったこと、起こったこと
今起こっていること、それらを知ること、関わることは
被災していない地域に住む私たちの町で、起こっていること
これから起こることを、知ることになると痛感しています。
決して、自然災害のことでなく、日本社会が抱えている問題です。
東日本大震災の発生から2年2カ月
当日の津波の映像を、あらためて動画サイトや録画番組で見ました。
あの日の、東北太平洋沿岸部の人々の
叫び声、悲鳴、絶望感、声にならない声・・・
思い出して辛くなったり、負担になる方でなければ
もう一度見て、何があったのか、悲劇性を刻むことも
今必要な時なのかもしれません。
辰濃哲郎さんは、同じ出版社の、コーメディカル関係者たちが、震災直後にどのように動いたかについての、 |
要談「石巻市 雄勝町」
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ご無沙汰いたしております
先程は当ブログにお立ち寄り頂き ありがとうございます
人は悲しいかな、心底辛い・悲しい・哀しい経験を 吾が身に降りかかってから
社会の本質に気づくことは 中々出来ない様に感じます
私めは 幼少の頃に かの有名となってしまった大型台風に遭い
辺り一面が・・・何もかも崩れ去り、はるか彼方の河川が見渡せる光景を経験しています
勿論 時代背景は 大昔のことであって 被害の度合いも酷いのは当たり前と、思われそうですが・・・・
それからの ご近所・防災計画などの見直しなどが 進んできました
40数年経ち、その時の状況を身体で知っている者も少なくなり、安全・安心と高をくくってるきらいもあり
自然を無視した開発がまた 開始されています。
決して 過去の難を忘れていけないように 私は 思っております
喩え思い出だすことが 辛くっても 未来の子孫松代・未来の為に
2013/5/10(金) 午後 3:40
春よ来いさん
>わが身に降りかかってから・・・
確かに否めませんね。
しかし東日本大震災ほどの「1000年に一度」「未曾有」と言われた災害すら、もう外国の出来事のように風化していく様は、胸が痛みます。
「方丈記」でも、風化を憂う記述がありますが、いつの時代も同じですね。
原発事故で、単に原発云々だけでなく
ここで、自然との共生に向き合わないと、もっと取り返しのつかないことが起きそうです。
同苦・共感・協働がこれからのキーワードかもしれないと思っています。
2013/5/10(金) 午後 9:28
雄勝病院でなくなられた方々と
生き延びた方々と…
元朝日新聞記者?だと思いましたが
ネットでみると、取材ルポに
絶賛の声が多いですね!
もう少し落ち着いてから
読まさせていただきます。
雄勝小学校か中学校の
校長先生の本もあるらしく、
あわせて読むかなー
いつ読める時期がくるか
わかりませんが……
2013/5/11(土) 午前 10:45 [ カツどんどん ]
カツどんのお父さん
こういった書籍や情報の共有は、私たちがまずしなければいけないと思っています。
実際に色々なかたちで被災なされた方には、時間のかかることと察します。
情報発信は私たちに任せてください
と言いたいくらいです。
2013/5/12(日) 午前 9:56