|
4月に南三陸町志津川にある、「南三陸サンサン商店街」のあるお店で伺ったお話し。
夜の7時ころ、ほとんどのお店が閉まっている中、閉店時刻を大幅に超えて晩くまでお話しくださいました。
その一部です。電気と生活の在り方を問われる忘れがたいお話でした。
『海の近くの松原を見渡せる場所に、お店がありました。
3月11日、地震の後津波が来ると確信して、従業員を全員避難させ、私たちも高齢の両親がいる高台へ逃げました。
直接津波は見なかったけど、病院の屋上に逃げた人が、ベッドごと流される人を見て、助けられず見ているだけだったと嘆いていました。
翌日の朝、町に降りてお店まで行くのに、普段は30分で行けるところを4時間以上かかりました。
時折、動かなくなった方々や、毛布などが被せられた人々を見ました。
高台にある家は大丈夫でした、家の近くにいた人を招き入れ、家族を入れて15人で共同生活を始めました。
物資は避難所優先だから、内陸の町まで買いに行ったこともありました。
電気、水道は止まったままでしたが、ガスはプロパンだったので、水さえあれば調理はできました。
庭にあった人感センサーで点くLEDランプを工夫して、広間の天井からつって
小さいほのかな明かりの下で約3ヵ月過ごしました。
手作りのオセロゲームやトランプに興じたり、手作りでなんでも作った。
2か月目に水がでました。お風呂の順番もジャンケンで決めましたが、結局勝った人が女性に順番を譲ったり
本当にみんな親切で、、何もない生活で大変だったけど、人生の最初で最後の経験
今思えば、良い経験だったと思える、あまりにも犠牲は大きいかったが。
3ヶ月目に電気が点いた。電気の無い中あらゆる工夫をしていたのが身について、電子レンジが使えるのも忘れて、数日間なんでも鍋で温めていました。
そして、小さいLEDのランプの下で15人が寄り添って生活していましたが
電気が点いた日から、みんなそれぞれの部屋に分かれてしまいました。』
|
要談「南三陸町」
[ リスト ]







大変な避難生活を経験されたんですね。
比べものにならないけど、こちらでも3日間でしたが停電して多少は不便な生活をしました。
非常時だというのは別にして、モンゴル出身のラオさんも言ってましたが、
電気もない不便な生活だと家族の絆が強くなるのか、モンゴルでは家庭内暴力がないとか。
豊かで便利過ぎると、失ってしまうものもあるんですね。
2013/6/27(木) 午後 0:13 [ 麻巣 ]
ますピーしゃん
まいど、おおきにです。
私らからしたら、3日も停電したら・・・と思います。
ラオさんのお話も、深いものがありますね。
記事で紹介させていただいた内容に通じるようです。
電力会社、原発の話題があちこちで沸騰していますが
その前に忘れたらあかんことが、あるんやないかなと思いました。
その一つがこの記事で紹介させていただいたお話しです。
電気の恩恵は沢山受けていますが、仰るとおり
失ったものが、あまりにも多いですね。
電気がなければ、こうしてネットで繋がらなかったご縁でもありますけども。
2013/6/27(木) 午後 5:25