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平日の朝、NHKで5分放送されている「証言記録 あの日わたしは」
2年あまり録画しながら拝見してますが、その中で私が印象に残っていたいくつかのお話しの中の一つを、ある他の番組に出演していた人も、印象に残っている話しとして紹介されていて、もう一度録画を見直しました。 涙が止まりませんでした。 そこで、風化を少しでも食い止めたい気持ちや、大震災や福島で被害に遭われた方々に畏敬の心を持っていきたいことから、番組の構成に沿って、つつしんで書かせていただきます。 ※ ※ ※ ※ ※ 福島県相馬市尾浜地区で民宿を営んでいた、五十嵐ひで子さん 五十嵐さんは、夫と同居していた叔父の3人で津波に襲われました。 五十嵐さん: 『津波を甘く見すぎてたわ、私たちは、それでこんなん なったから・・・ もし、そういうところがあれば、本当に逃げてほしい。 65年生きてて、一番つらいときだったな』 ▼地震直後、五十嵐さんは周辺の片付けを始めましたが、津波への危機感はありませんでした。 五十嵐さん: 『ただ、地震だっていうだけ、津波なんて頭にないんだもん いつも相馬港では、すごい地震の時でも50cmくらいの津波しかあがってないので、だから逃げるという感覚がまったくなかった。 その間に今度は消防の人たちが、「大きな津波が宮城県の方に来てるから、みんな逃げろ!」ってことになったの。 それで、「はいよ〜」なんて返事して、それでも津波が来るなんて思わなかったの』 しかし長引く余震に家が崩れることをおそれた五十嵐さんは、夫と叔父の3人で避難を始めます。 ▼ところが地震からおよそ40分後には、津波はすぐそこまで迫ってました。 3人は家を出た直後、津波に襲われます。 五十嵐さん: 『家を出て少し歩いたら)ひょっと後ろを見たら背中に波が来てたんです。 「波きたよ」って言ったら「おっ」てお父さんも驚いちゃって、それで、いやっ!と思ってる間に、3人で顔を見てる間に、うわーっと・・何メートルくらいだろ、3〜4メートルくらい上げられちゃったの、一気に。 そしたら、お父さんの声で「つかまれー」って聞こえた。 大きな松の木があったから、そこにつかまった、叔父さんと一緒に。同じ木に3人でつかまってた。 』 ▼そこに、さらに大きな波が襲いかかり夫の利雄さんの姿が見えなくなります。 五十嵐さん: 『 「ひで子ー!」 「ひで子ー!」 って3回くらい呼ぶの。 それで(私が)「お父さん」って。 (笑いつつ)その時 頭の中では、 「えええ?うちのお父さん、私の名前知ってたんだ、なんて思って。 いつも、「おおっ」としか呼ばなかったんで、結婚40年近いんだけど (また笑いつつ)「おい」だの「おう」だのの世界だったから あら、(名前)知ってたんだ と思って。 (こんな状況なのに)そういうふうに浮かぶんだな頭に。 (さらに大声で)「お父さん」って言ったんだけどね、返事返ってこないんだよね。』 ▼津波の勢いは止まらず、3人は流されます。五十嵐さんは、400メートルほど流されたあと、消防団に救出されました。 叔父の哲弥さん(84歳)と夫の利雄さん(67歳)は亡くなりました。 利雄さんのご遺体は21日後に見つかりました。 五十嵐さん: 『(涙を流しながら)これからだったのにね、旅行なんかしたりするって言ってたのに。 やっぱり私、心が痛んで・・・ 早く逃げようって言えばよかったって言うのが、いちばん辛いです。それさえ言えてたらと思うと・・・ だから、自分で「逃げよう」と言えない自分が悔しいんです。言えなかった自分が。』 |
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