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日本が本当に帰るべき祖国だったのか 【本日付 沖縄タイムスより】
日本本土が沖縄などを米軍統治下に残して独立した1952年のサンフランシスコ講和条約発効から28日で62年。1年前には、東京で政府主催の「主権回復」記念式典が開かれ、沖縄では「屈辱の日」に抗議する大会が開かれた。その後も温度差は広がる一方だ。 沖縄(と奄美)を差し出すことを条件に、日本は独立を果たした ともいえる、今日4月28日は沖縄の人々にとっては、戦時中と戦後の 二度にわたって、日本のために犠牲を強いられたことに なり、薩摩侵攻から数えると、3度目の琉球処分の日ともいえます。
沖縄でのアメリカの施策は、すべてに基地が優先
基地建設のための土地の強制収用をはじめ、 人々の権利は、深く侵害されていきました。 朝鮮戦争(韓国動乱)により冷戦構造が緊迫化すると、アメリカはアジアの共産化を恐れて当時のソ連と対立したまま、日本との講和条約の締結を急ぎます。
米軍占領下にあった奄美や沖縄では、琉球列島を日本から分離するアメリカの方針が明らかになると、公然と復帰運動に立ち上がりました。 沖縄では1951年(昭和26年)に日本復帰期成会が結成され、わずか3ヶ月の間に有権者の7割の署名(約20万)を集め、沖縄群島会議も復帰要請を決議して日米両政府に沖縄住民の意思を伝えたが全く無視されました。
アメリカ政府は琉球諸島を日本から切り離し、アジアの「防共の砦」とすることに決め、軍事基地の建設を推し進める。
1951年サンフランシスコ講和条約(対日本平和条約)が締結され、日本は独立を回復したが、沖縄だけは引き続きアメリカの統治下におかれました。
アメリカ政府は1952年4月、琉球政府を設立し、行政主席を任命制にした。 琉球政府の機構は三権分立による機関であったが、その上には琉球列島米国民政府が立ちはだかっていました。
「戦後沖縄の最大の問題は、軍事基地化のため、農民の土地を強制的に収用したことだ」(太田昌秀氏)
1953年、米軍は、軍用地の強制使用を定めた「土地収用令」を公布。 有無をいわせず、武装兵とブルトーザーで次々と軍用地を収用していきました。
反対する住民に対しては、軍用地の買い上げを示唆したり、借地料の166年分を「一括払い」して、その土地の永代借地権を得ようとしていく。
米軍が提示した坪当たり1円8銭という地代は極端に安く、人々は「コカコーラ地代」と呼んだ。
54年3月、「一括払い」が発表されるや土地闘争は”島ぐるみ”へと発展していきました。
沖縄は基地の島となっていきました。
私たちにはリゾートの島。
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要談「琉球 沖縄県」
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アイデンティティ。。最近はあまり使われないようですが、
桃香苺ミルクo(^-^)o
復帰して二十年頃まではよく、沖縄の沖縄人のアイデンティティは。。アイデンティティをどう確立するかなど。。毎日のようにテレビニュースや、新聞などマスメディアから問いかけがあったようです。多くの沖縄の人が“アイデンティティ”、、に悩んでいたのでしょう。多くの日本人観光客の来沖、本土就職などで交流が盛んになっていく状況の中で、本土との格差や劣等意識が植えつけられていく。。復帰後も学校での沖縄語の禁止や、何もかも全てが本土並みになることが幸福であるかのように。。前にもコメントしたように来沖⇒来県や出校日⇒登校日のように言い方まで本土化することが正しいような空気に。。沖縄語を使うことは恥ずかしいこととされていた。。しかし最近の若い世代たちは逆に使うことにためらいがなくなってきた。。エンターテインメントによって、本土側の人たちが沖縄に対するイメージや意識が変わったことと、沖縄の人たちの自信。首里城復元や王朝文化の再認識などで、アイデンティティが確立されてきたのだと思います。
2014/6/7(土) 午後 10:42
軍事基地化のため、沖縄の土地を強制的に接収。。その第一号が首里城だと太田元知事は言っています。琉球処分の時に日本軍が最初に琉球国の宮殿を強制的に収用、駐屯したことが、のちのアメリカ軍の銃剣とブルトーザーによる強制収用につながったのだと言っております。アメリカへ渡り、沖縄に対しての人権侵害がなぜ起きているのか?それを調べ研究した太田氏、、アメリカは驚く程沖縄の歴史を知り尽くしており、上陸や統治、土地の強制使用や沖縄の人への接し方は。。。それは薩摩侵略から始まり、戦時中に至るまでの沖縄に対する日本の冷酷非道な扱い。。。全てが日本の模倣であったことが判ったと言います。 そして、アメリカの多くの学者達もそのように証言していたと、太田元知事は話していました。。
桃香苺ミルクo(^-^)o
また、その前の自民党の西銘元知事もアメリカ軍人の綱紀粛正や基地の縮小の最大の障害となっているのは、アメリカではなく、自民党であり日本政府である。。と発言しています。
やはり、一番の問題は日本人が、日本の国家、国防等の認識の問題でしょう。。
2014/6/7(土) 午後 11:09
補足です、誤解が生じかねないので。。
桃香苺ミルクo(^-^)o
来沖というような言い方は、他の県でもあります。
来阪、来福、来崎など。。また、出校日、登校日も地域で違いがあります。しかし、一時期沖縄では、出校日という言い方は沖縄だけ?という思い込み?からか、登校日というのが全国一般に使われる言葉であるということで、いつの間にか変更されているようです。来県、来沖はメディアによって違うようです。
確かに言えることは、琉球諸言語の禁止、または使うのは恥ずかしいとの風潮、、そして沖縄的表現ですね。。掃き掃除をハワクとか、ホウキスルという表現、沖縄風ヤマト口というか、沖縄風日本語を徹底して改善するように指導された時期があったということです。
その背景は、沖縄の人は他の日本人より劣っているとの劣等意識を沖縄県の強制設置以降から、徹底して植えつけられていったということが、その根底にあるわけです。
2014/6/8(日) 午前 0:13
桃香さん
来沖との表現など、丁寧に書いてくださりありがとうございます。
とても理解できました。
アイデンティティクライシスという言葉を聴くことがあります。
帰国子女の人たちがよく使いますが、沖縄の方々のアイデンティティクライシス
そして構築、一言で表せませんが、歴史と鑑みて少しずつ分かってきたようにも思いました。
もっともっと学びたいです。
2014/6/8(日) 午前 9:35