|
気仙沼バレエソサエティは、津波で教室を流され、
しかも、代表も亡くなりました。 復興住宅が、やっと工事が始まりましたが、 まだ、10年ほどはかかる。 その間、気仙沼が、灰色の、工事中ばかりの光景ではあかんと思います。 文化から先にひっぱっていかなあかんと思います。 かつて、気仙沼は、進取の気性にとんだ、 ハイカラな文化が花開く町でした。 なんといっても、娯楽の一番が、映画でしたから。 図書館も、充実し、なんとなんと、シカゴばりに、セツルメントもあったんです。 「此新時代の町を歩き廻る。社会施設の神経がひどく目につく。さういふ事に余程熱心な自治体らしい。古刹観音寺にゆけば婦人会の隣保事業があり、少林寺の焼あとにゆけば託児所で子供が鳩ぽつぽを踊つて居り、天満宮の山に登れば山上に公衆用水道栓があり、海の見晴らしにゆけば日本百景当選の巨大な花崗石の記念碑があり、あらゆる道路に街灯が並び、大きな新築の警察署があり、宏壮な小学校にはテニスの競技があり、学術講演会があり、一景嶋近辺へゆけば塩田何々町歩を耕地に整理して水田の何々町歩を得たといふ立札が立つて居り、夜になれば鼎座に浪華節なにはぶしがあり、シネマがあり、公娼が居なくて御蒲焼があり、銀座裏まがひのカフエ街には尖端カフエ世界、銀の星、丸善がある。「車引いて商売する。悪いことあるか。」朝鮮人のアイスクリイム行商が反抗する。「ある、ある」とお巡りさんが腕をねぢつて連れて行つてしまふ。おそろしく至れり尽せりの外客整備に旅人はただ茫然として突き放されてゐる」(高村光太郎「気仙沼」) https://readyfor.jp/projects/kesennuma-ballet 大正時代の気仙沼 |
要談「気仙沼市」
[ リスト ]




気仙沼を紹介してくださってありがとね。(*・∀・)ノ
昔の気仙沼ってそんなにハイカラな町だったなんて、知らんかった〜。。
確かに昭和でも、港町で活気があって、いろんな国籍の人が町を歩いてたもんね。
気仙沼、震災ごときで負けてはいない!(と気持ちだけはね)
2014/11/30(日) 午前 10:45 [ 麻巣 ]
> ますピーどん
久しぶりに気仙沼を取り上げさせていただきました。
この三年で宮城県で一番多くお邪魔したのが気仙沼だなあ。
大震災前に行ってみたかった。
外国人を受け入れる町が発展するのは、古代からの歴史の証明だすな。
うちがご縁した沼んちゅは(沖縄風)皆さんセンスがいい方々なのは偶然かな。
意外と他県の人から、自分の町のことを教えられること多いです。
うちも、気仙沼出身の大阪マニアに、大阪のことを教えてもろてますねん。(≧∇≦)
2014/11/30(日) 午前 10:58