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昨日のメモリアルデーが一転、、、これいじょうはやめといて
20年前の昨日よりも、今日の方が実は辛くきつい現実と向き合わねばならなかった。
さらに、1日を重ねるごとに、厳しい現実を受け入れざるえなくなっていく。
倒壊した家屋などから救い出されるまで、何十時間かかかった人も
ほとんど一睡もできなかった人も、寝て起きた瞬間、目に映るものが家の寝床ではないことから、被災の現実を受け入れていく、その時の方が精神的にきつくなっていく方が多くおられました。
20年前の今日も、砂利運搬船に各地から集まった物資を積み、50ccのバイクを持っている人も集まり、車が入れない場所ばかりになった被災地へ網の目のように物資を届けるためにバイク隊が結成されていました。
そして、また神戸三宮の救援基地に物資を運び、そこから歩いて山の手の学校などに物資を運びに行き、避難所で被災した方々と接することになりました。
最初は言葉を交わすのは、物資の受け渡しや、焚き火のための燃える物を集めに一緒に行って、作業上の会話のみでした。
ある人が「どこからきたの?」「家は大丈夫だった?」などと聞いてきて
こちらも被災者と思われたようで、大阪から団体できたことを伝えて、薪を拾いながら話していると、記憶違いもあるかもしれませんが、「ゆうべは1時間寝たかどうか、寝られへんわな。起きたら、現実なんやと思ったら、泣きそうになったわ、恥ずかしいけど・・・」
たしかこういう言葉だったと思います。
また、昨年ですが、神戸で被災して、東日本大震災では気仙沼の支援に足を運んだ方が、1月18日「今日の方がきつかったなあ」としみじみ思い出しておられた。
この方は、家が半壊して、家やご近所の復旧の作業をしていて、会社に連絡をとったら、「全壊したOO部長は君より大変なのに出勤しているんだ、君も出勤できるだろ」と吐き捨てられて、それ以来、阪神淡路大震災の話しを、昨年まですることは無かったとのこと。
ただ、私には個人的にと、話しをしてくださった。それはグリーフケアの必要性を訴えていたFBでの投稿を読んでくださったからでした。
グリーフとトラウマの違いを認識し、災害や事故に直面した人には、
がんばれ 泣くな それくらいできるだろ もう少し我慢して 顔をあげて笑顔を
などはダメですね。
私が避難所から神戸港に戻る時、三宮の公園や空き地にマスコミの中継車が場所を占領して、被災者の場所や物資を集める場所に困っていた人がいたこと。
マンションのモデルハウスや、空き部屋もマスコミの宿泊場所に使われたことを、忘れません。
未だにヘリコプターの音を聞くと、震災を思い出します。
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要談 「震災関連 神戸・東北」
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午後 5:34さん
ありがとうございます。
実はかなり気を使って、書くのを避けてました。
だから、最小限にとどめていました。
でも、そのように仰っていただけるなら、書かせていただきますね。
2015/1/18(日) 午後 6:02
発災直後は誰もが生き残ることに精一杯ですが、しばらくして落ち着いてくると精神的なダメージがジワジワ被災者にのしかかってくる、ということを知ったのも阪神淡路大震災でした。また、この時マスコミのヘリによる爆音が救助活動の妨げになったとも聞きます。
何度も指摘されているように、被災者に忍耐を強いる風潮や、「私」より「公」を重んじることは日本人の美徳ではありますが、これが被災者の足かせになっているのも事実ですね。
2015/1/18(日) 午後 7:39 [ スタリオン ]
> スタさん
私自身は、大きな災害で財産や家族を無くした経験はありませんから
こうして接していくなかで伺うことばかりで、もし自分がその立場になったら
こうして書いている程度ではないだろうとは思いますが
少しでも他人の気持ちを理解したいという願望から、防備録的な意味も込めて書かせていただきました。
東日本大震災が発生したときに、神戸のサンテレビのアナウンサーが、メディアは学習していない、ヘリをそんなに飛ばすな!の怒りのツイートをされていた記憶があります。
実際に、私たちが物資の仕分けをしている時も声が聞き取りにくかったこともありました。
災害被災地や貧困などの現場に接していてつくづく感じているのが
日本人の美徳とされていることの中には、生き辛い人をさらに追い詰めることになっているということです。
本来の意味からかけ離れて、使われていることもありますが。
私も失敗の連続で、これでいいのか その自問自答の毎日です。
2015/1/18(日) 午後 8:18
震災があった日は辛い事の始まりですもんね。被災者はカレンダーを見ながらあんなこともあったなとか色々思い出すんです。
緊急車両の隊列とサイレン、ヘリの音、緊急地震速報の音、そして音のない世界。
ドラマチックに震災報道されるけど、実際そんなに綺麗事じゃないですし、20年経ったから何?って思ってしまいます。
東日本大震災ですら「もう4年」と言われてしまいますが、私たちにとっては昨日の出来事のようです。
きっと神戸の人達も同じように感じていることでしょう。
2015/1/18(日) 午後 8:28 [ つばき ]
> つばきさん
私は直接被災したわけではないけども、震度5を体感して、あの時の地鳴り、揺れ、神戸や西宮で見たり聞いたりしたことは、昨日のことのように覚えています。
報道は作り物のような感じが多く、ドラマチックですね。違和感を覚えてしまいます。
報道は昨日がピークでしたが、実際は始まりで、翌日やその後の方が皆さん辛いと語っていたことを思い出しました。
岩手に初めて入らせていただいたのは、発災から一ヶ月が過ぎていましたが
それでも、長引く避難所生活にいつできるか分からない仮設、様々な手続き
なによりも、家も故郷ごと失い、大切な人を亡くした人たち
毎日、支援物資をもらわねばならなくなった日々
それは決してドラマチックではないですね。
だから がんばろう は違和感でした。
2015/1/18(日) 午後 8:59