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東日本大震災、巨大地震と巨大津波の発生で
三陸沿岸の鉄道は約70kmに渡る線路が流出し
24の駅が壊滅。
さらに119の橋が流されて無くなりました。
しかし、乗務員、乗客は一人も亡くならかった。
大震災は大変な悲劇ですが、このことは誇りにすべきだと思います。
廃止すべき赤字ローカル線
ではなく
模範とすべき理想の公共交通機関ではないかと思います。
これは事実だからそうなのですが
もう一方、なんかここへきて、「釜石の奇跡」がことさら取りざたされています。
子どもたちが助かった、子どもたちが人々を避難させた、それは
防災教育を徹底したから、それについては否定はしないし、それは確かでしょうが
子どもたちに防災教育が徹底されて、一人一人が自主判断で逃げた、呼びかけたということを、あまりに強調すると、「釜石の悲劇」が見えなくなります。
映画「遺体」の舞台は釜石でした。
映画の中では、亡くなった我が子の傍を離れなかった母の姿も描かれていました。
あの日、たまたま学校を休んでいて犠牲になった高校生もいらっしゃいました。
心配になった家族が迎えにきて、家に帰って亡くなったお子さんもおられます。
釜石東中学校の生徒さんたちが、一番最初に避難したところは
たまたま崖が崩れてあぶないとなり、お年寄りの 別のとこさいげー の言葉に
もう少し違うところに行こうということで、高台に行って助かった。
崖崩れが無かったら、津波が到達していました。
そして、釜石の象徴の一つ、鵜住居防災センター。
釜石の奇跡 釜石の奇跡と言っている人は、ここを訪ねたことがあるのかな?
と思ってしまいますね。
完成したばかりの鵜住居防災センターに、200人とも言われる人たちが逃げ込んで、ほとんどの方が命を落としました。幼稚園児も高校生もいました。
まだ、何人がセンターに避難し、何人が亡くなったのかすら、正確にはわかっていませんね。
防災センターは解体されて更地になってしまいましたが
あの日、センターの2階に200人と言われる人が避難し、安心していたところに
津波が押し寄せ、押し流されました。
同じ気持ちになったのは、陸前高田の市民会館、市民体育館、市役所などを見た時も、また各地の避難所となった場所などでもそうでした。
今は、そのほとんどが解体されましたが。
釜石東中学の生徒たちが一旦避難した場所から、さらに逃げて助かったのは
子どもたちの日頃の訓練もありましたが、ございしょの里の入所者さんが
「ここはあぶねっから、別のとこさ いげー」 と言われたことは、本当に大きかったと思います。
美談や感動話しにばかり目を向けていくと、物事の本質が見えなくなる気がします。
鵜住居防災センター跡地 お借りした写真
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要談 「震災関連 神戸・東北」
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確かに「釜石の奇跡」はメディアなどでしばしば取り上げられますが、本来の意味は「釜石の軌跡」だったようですね。自分も2013年に鵜住居防災センターを訪れましたが、奇跡と悲劇がすぐ近くで起きたことに色々考えさせられました。
我々は「防災◯◯」という建物や公共の施設には安易に避難場所と考えてしまいますが、鵜住居検証委員会の資料にもそこをきちんと周知させなかった点を指摘していました。
良いことを見習うのは当然ですが、惨事をきちんと検証して学ぶことはもっと大事なことだと思います。
2015/1/22(木) 午前 6:40 [ スタリオン ]
> スタさん
釜石の軌跡 それ以外のなにものでもないですね。
釜石で被災された方には、それが問題でもなんでもないと思いますが。
東日本大震災で学んだ一つには、行政の防災マップをそのまま信じてはいけないということです。
すべてが間違っているということではなく、行政の予測、想定を超えることが起きるということです。
東松島でしたか、避難所に指定されていた学校の屋上ではなく、高台に生徒や住民を避難させて全員助かった話も伺いました。
わずかな時間のわずかな判断が、大きな違いに繋がったのは、日頃から防災を考えていた人がいたかどうかだった、そんなことも伺いました。
また日頃のご近所つきあいも重要だったようですね。
陸前高田市民体育館に逃げた人が、ここはいっぱいだから他に行けと言われ
必死に高台に走って助かった方の話も伺いましたが
ほんのわずかなことが、生死を分けてしまうことが実際に起きていることを
きちっと受け止めて、いざという時に生かせればと思っています。
2015/1/22(木) 午後 3:36