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日常の中で自然に「がんばってね」と声をかけることがあると思います。
決して否定したり、けしからん!という趣旨ではないですし
人によって、その「がんばって」には、色々な意味があるようにも感じています。
東日本大震災が発生した時も、日本中で「がんばれ」「がんばろう」の嵐が吹き荒れました。
この「がんばる」
「頑張る」は慣用的な表記で、本来は「我」を「張る」
つまり「エゴイズム」を「押し通す」こと
もうひとつの「バル」 「グローバル」
これ、外来語のようですが、実は「大和言葉」
本来は「愚弄」を「張る」または「貼る」
つまり「己の馬鹿ぶり」を恥じることなく押し通すこと。
または、学生たちをおだてあげて、「馬鹿のまま」であるように仕向けること。
かどうかは、知りませんが 笑
決して、言葉で遊んだり、うまいことを言って悦に入る手合いぶるつもりはなく
今、日本で使われるこれらの言葉の意味、他人に向けらるこれらの言葉の意味として
合ってると思います。
今の世の中の実態は、多岐多様な欲望どうしが、ぶつかりあい、収集がつかず、どうしたらいいのか分からないようになっています。
そんな社会、世の中に、公正なルールを作ろうとしたら
それはいわゆる「綺麗事」「たてまえ」になってしまうと思います。
自分たちの本音から縁遠い「綺麗事」をバカにして、突き放すから
世の中、生き辛く、人間同士が本当の意味で寄り添いあうことができないでいると感じています。
自分がこのブログで書いてきたことは、いわゆる「綺麗事」です。
「綺麗事」が綺麗事のままだから、普通の思考にならず、普通の行動ができないで
綺麗事だと馬鹿にされたり、それはおかしい、非現実的となります。
我張る人 愚弄貼るな人材が隣人、隣国を突き放しているのでしょうね。
みんなが同じように災害に被災してもなお、我張る人が出没します。
絆!寄り添い続けよう!と大声で叫んでいた人たちも、現地に行かなくなり
愚弄貼るに、地名は石巻や気仙沼から宮城、そして日本だ!世界だ!政界だ!
どんどん遠くへ行っておしまいです。
絆を結び続け、寄り添い続けていたら、地名は小さくなり、1人1人の顔が見えているはずですが。
「恐怖は怒りに、怒りは憎しみに、憎しみは苦痛へと繋がる」
これ、ガンディやエマソンやソクラテスや孔子の言葉ではありません
スターウォーズ エピソード1のジェダイマスター ヨーダが、幼少のダースベイダーに放ったセリフです。
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絆を結び続け、寄り添い続けていたら、地名は小さくなり、1人1人の顔が見えているはず・・・・とのお話、とても大切だと感じました。
2015/3/7(土) 午後 8:39 [ tetsumama ]
> tetsumamaさん
いつもありがとうございます。
個人的な実感だけでなく、様々な人たちと共有し共感するところなんです。
決して大きく出ないし、小さくなっていくというのが、自然だと思います。
2015/3/7(土) 午後 9:17
普段何気に使っている言葉も実は根が深いですね。「がんばれ」や「頑張ろう」は救助の手が差し伸べられるまでは被災者にかける言葉かもしれませんが、それ以降は被災者にかける言葉ではないと思うようになりました。「頑張る」のは逆に支援する側のことなのではないでしょうか。
振り返ってみると、あの震災は自分にとって「日本」を考えるきっかけになりましたが、復興という物差しで見た時はむしろ「地域」や「地区」といったコミュニティー単位のレベルで論じなければならないでしょうね。
2015/3/7(土) 午後 11:37 [ スタリオン ]
> スタさん
いつもありがとうございます。
まったく、コメントの言葉そのままだと思います。
これまでも、様々な面で共感をするところを共有させていただいたことが
考え方を整えてこれたと感じています。
頑張るのは支援する側
4年目を迎えますが、今、問われているのは、支援する側が諦めないこと、頑張り続けることかと感じています。
好きな言葉ではないですが、「励ます側」が諦めないで関わり続けられるか
これから問われていくと思います。
現地の方々には、4年であろうがなんであろうが、関係なく、日常なのですからね。
地域、地区、ご近所の単位、そして個々の単位で論じ、動いていかねばならないですし
そうなっていくのが、自然なことだと思っています。
2015/3/8(日) 午前 0:02