エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「福島県 全般」

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言葉の使い方一つにしても、とても共感します。
広島、長崎から何も学ばなかった私たち
福島への差別の問題に向き合い、語らずに、反核も反原発の未来は無いでしょう。

http://mainichi.jp/feature/interview/news/20150331mog00m040008000c.html

◇いま、福島を知るために

 気鋭の社会学者、開沼博さん(31)=福島大特任研究員=が福島問題を書き下ろした「はじめての福島学」(イースト・プレス)を出版した。「福島」を巡る食や産業、人口問題といったさまざまな社会問題を、公開されているデータを基にまとめた「福島問題の基礎知識」とも呼べる1冊だ。大きな反響を集めた「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社)から4年。開沼さんはなぜ、データを一から整理したのか。福島を知るために何が必要なのか。福島の語り方をもう一度、考え直すためにできることとは。ロングインタビューでお届けする。【聞き手・石戸諭/デジタル報道センター】

 ◇福島の「基礎知識」を整理する

 −−想定読者よりも「仮想敵」が明確な本だと思いました。どのような問題意識でまとめたのですか。

 開沼さん 一つは、福島を語る際についてまわる「ステレオタイプ」の相対化です。このステレオタイプを「はじめての福島学」の中では「俗流フクシマ論」と呼んでいます。これが仮想敵ですね。ステレオタイプは目の前の問題が複雑で理解できない時ほど強化されます。そもそも、問題が単純なら、私たちは問題をそのまま理解できるからです。

 複雑な問題が目の前に現れると、問題を必死に理解しようとして単純化されたイメージをもとにステレオタイプなものの見方をする人が出てくる。しかし、こうした見方は現実とずれたものになりがちです。ステレオタイプ化される過程で、「見る人が見たいように加工される」からです。福島の問題が、多くの誤解をもとに理解されている現状を洗い出し、その上で必要な認識の上書きを目指しました。

 もう一つは帯にも書いていますが、福島のことを「難しい・面倒くさい」と感じている人が、「難しくない・面倒くさくない」と考えなおす糸口を提示することです。

 東日本大震災、原発事故からの4年。福島を語るハードルは日に日に高くなってきました。理由の一つは福島の問題が政治対立に使われてきたことにあります。原発にせよ放射線にせよ、何か福島に関する話に触れようとすると、「原発推進か、反対か」「福島を安全と思っているのか、危険と思っているのか」と踏み絵を踏まされるような、あるいはそう逡巡(しゅんじゅん)させるような状況があった。また、科学の問題として難しいと感じる人は多いでしょう。放射線やエネルギー問題の知識がないと語れないような気にさせられる。もちろん、そんなことはありません。


「はじめての福島学」を出版した開沼博・福島大特任研究員=東京都千代田区で2015年3月9日、内藤絵美撮影
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 今回は、「難しい・面倒くさい」と感じてもらわないようにギリギリのラインで書きました。だから「学問」としては甘いという批判、「これが足りない」「あれが足りない」とツッコミは受けるでしょう。しかし、そこまで厳密に語ることにどれだけの意味があるのか。専門家同士なら必要でしょうが、震災が明らかにしたのは専門家も一歩外に出れば「専門外」の人に向けて理解できるように語る必要がある、さもなければ努力の中で積み重ねてきた学問への信頼もあっけなく崩れるということです。

 この本は公表されている福島にまつわるデータをもとに、1冊読めば、そこで起こっていることを網羅的に理解できるようにまとめてあります。いわば「教科書」です。とりあえず、みんなで議論の土台となる教科書を読んだ上で、福島の語り方を考えなおしてみようと問いたかった。


 ◇「もし福島が100人の町だったら……」避難者は何人?

 開沼さん タイトルの「福島」を漢字にしているのはイメージの中の「フクシマ」と現実の「福島」の違いを考えてほしいからです。震災・原発事故から4年がたちましたが、福島のイメージはどうなっているか。原発事故で多くの食品は汚染され、子供たちはマスクを着けて外で遊べず、人口流出が続いている……といったステレオタイプなものだとすれば、全て現実の福島とは違います。

 本の中でもまとめましたが、ステレオタイプに描くのに便利な「福島6点セット(避難・賠償・除染・原発・放射能・子供たち)」から語る福島は、福島を「フクシマ」にするためのスティグマ=負の烙印(らくいん)=につながりやすい。本当に問題は6点セットだけなのでしょうか。

 例えば人口流出で考えてみましょう。「3・11以後、福島では、原発事故の影響で、放射能におびえ苦しみ、逃れようとする人々ばかりで大量の人口が流出している」などという前提で多くの報道や研究が福島を描いてきました。2014年3月に、3・11以後の人口流出の割合がどのくらいか、全国で意識調査をしたら、平均して「福島の人口の24%が県外に流出している」というイメージがあることがわかった。しかし、実際には震災後の福島県の人口減少は約2・5%。福島県が100人の町だったら、避難を選んで県外に暮らす人は2人か3人です。

 講演で会場に質問すると、普通に「40%くらい避難したでしょ」「60%は超える」なんて声を今でも聞きます。福島の現実は10倍くらい誤解されている。間違った人の中には「それは、避難者が少ないことを強調して、被害を過小評価しようとしているのか」などと因縁をつけてくる人もいますが、当然、そんなことはありません。

 ここで語るべき本当の問題は、福島で起きている問題は「あなたの隣でも起こっている」普遍的な問題だということです。まず、人口減少の幅で言えば、ここ5年、10年の単位で見た時に、福島よりも減少率が高い県はいくつもある。既に福島の人口減少率は震災前の水準に回復しています。秋田とか高知とかのように、福島よりも人口減少率が高く、すぐに抜本的な対応を必要とする県はいくらでもあります。これは「秋田・高知がやばい」と言っているわけではなくて、日本全体で対処していくべき難問だということです。福島だけが取りたてて「人口減少している」イメージがあって「ヤバい」と思っていた方は、日本全体の人口流出・人口減少の問題に自覚的になるべきです。

 3・11後の福島では、急激な少子高齢化が起きています。子供を産む人は震災前と同じくらいいますが、老齢人口は増え続けている。さらに地域間格差も顕著になっている。いわき市や郡山市など都市部は人口が集中し、20年ぶりに地価が高騰している。「福島6点セット」で問題を捉えようとすると、こうした根本的な問題が「無かったこと」になってしまいます。厄介なのが、福島に思い入れが強い外部の人ほど、この「問題の隠蔽(いんぺい)構造」に加担してしまうことです。

 本の中では、福島の問題を語る上で最低限押さえておきたい「25の数字」を提示しています。自分の中にあるイメージ上の「フクシマの人」に憑依(ひょうい)されたかのように「子供たちを守れ」などと語る人たちが、どれだけ数字を分かっているのか。最低限の前提を理解することもなく「復興が遅れている」「風化が進んでいる」などと安易に語りたがる人がいますが、風化しているのはそう言ってしまう「あなた」なのではないか。「理解の復興」が遅れることで、現実に福島で暮らす人がさらに傷つき、追い込まれるという事態も起きているわけです。


 ◇問題は「科学」だけではない 中間層に語ること

 −−数字が届かないという現実もありますね。例えば、福島県産の食べ物を避けるという人に、いくら数字で説明しても態度は変わらないという人は少なくありません。

 開沼さん 「分からない」という人には2種類いるでしょう。「分かりたくない人」と「無関心な人」です。「分かりたくない人」とは、初めから強い思い込みがあって、その思い込みから外れる事実を提示されてもそれを受け入れられない人です。社会心理学では「確証バイアス」と言いますが、自分にとって都合のいい確証・証拠ばかり集めようとする偏見のことですね。

 福島産を絶対に避けるという層は一定数いますが、あくまで一定数です。放射線のリスク認知に関しては、どんな種類の調査でも「安全」「危険」の両極にいる人の割合は大きくは変わりません。放射線なり福島県産が「かなり気になる」と答える人は2割前後、逆に「全く気にしない」という人も2割前後です(消費者庁のデータ)。

 科学的なデータをそろえることはもちろん重要ですが、人は科学的な事実だけで行動を決めるわけではありません。例えば、食べるという行動についてこの本の中では「イスラム教徒に豚肉を勧める」という例えで説明しました。豚肉に栄養があると効用を説きながらイスラム教徒をいくら説得してもしょうがない。科学的な説明をしても届かない人には届きません。

 福島産を食べる人の中には科学的に十分に納得して食べている人もいるでしょう。逆に「食べない」という人にとって、問題は科学だけではないのでしょう。科学的な説明以外のコミュニケーションや話法が必要になってきます。この点は自分も含めた社会科学者にも努力が足りなかった。科学で扱えない部分を科学の中でいかに扱っていくのか。これまで以上に科学者自身が考えないといけないと問題だと思っています。

 一方で、両者の間にいる6割前後は「無関心」かもしれないが、「分かってくれる可能性がある人」です。本書はこの「中間層」に向けて書いています。今回は福島にまつわる数字を網羅的にまとめて見せるという方針を取りました。というのは、中間層のニーズは「どの本、どの学者の話を信じればいいのか分からない」「本やインターネット上の情報も膨大でどこから触れればいいのか」というところにあるからです。そこへの私なりの回答として「とりあえず、客観的な数字を見ておけば一定の信頼をおけるでしょう。まず、この一冊を読めば福島の問題を網羅的に学べます」と提示したのがこの本です。

 放射線に関する本はこの1〜2年で多くの良書が出ました(※巻末にリストが付いている)。しかし、それらの多くは自然科学的・理系的なアプローチが中心のものです。産業面や生活にまつわるさまざまな数字などを、社会科学的なアプローチから読み解いた本はまだまだ少ないのが現状です。福島にまつわる数字を体系的に整理し、今の社会を読み解くきっかけを作りたかった。

 ◇福島県産食品 本当の問題は「放射線」より「価格の下落」

 開沼さん 食の問題で言えば、福島県の農産物、水産物に関する放射線の検査体制は確立されています。米の全袋検査でも放射性セシウムの量に関する法定基準値(※日本は1キロあたり100ベクレル。EUは1250ベクレル、米国は1200ベクレル)を超えるものは2014年産米からはゼロです。当初懸念された内部被ばくに関してもホールボディーカウンター(WBC)による調査が進んでいます。詳細は本にも書いていますが、現在までのところ、食や内部被ばくの影響は非常に低いレベルに抑えられています。これは喜ばしいことです。

 こういう話は少なくとも福島県の生産者団体・メディア関係者の間では常識で、県内でも多く報道されている。しかし、一歩県外に出ると知られていない。普通に「法定基準値超えがいっぱい出ているイメージ」で語られることも多い。

 ただ、だからと言って「問題がなかった/福島の農漁業は安心だ」なんて言うつもりは毛頭ありません。この本は「問題がない」という本ではなく、「皆さんが問題だと思っていること以上に重大な問題がここにあるよ」ということをデータから示している本です。

 今の−−そして今後も長く続くであろう−−福島産農産物・水産物の本当の問題は価格下落です。3・11直後のような「安全か危険か」という問題ではありません。3・11以後、福島の農地が耕作放棄だらけになっているというイメージを持っている人がいますが、本書の中で細かく数字を挙げて検証している通り、そんなことはない。生産はしているが、市場価格が大幅に下がっている。

 市場の中で安く買われることになった問題は良い面もあれば悪い面もあります。良い面は作ったら作っただけ買ってもらえること。何らかの形で流通経路には乗る。しかし、価格が下落したことで潜在的に「そろそろ農業をやめようかな」と思っていた人の背中を押してしまう側面もある。そこをどうするか。農業や農地は単なる産業ではなく、地域にとってはコミュニケーションの場でもあったのです。やめればいい、で済む問題でもない。では、何ができるのか。そんなところまで迫っていく前提をつくる必要があります。

 福島の農業の問題が「汚染された土地をどうするか」で止まっている方がいるなら、それは「2011年当初の問題です」と言わないといけない。現実は進んでいます。「どうやって作物の価格を上げるのか」「どうやって生産者の高齢化や収入の不安定化を解消するのか」という議題設定が必要でしょう。


 ◇オープンデータで福島を語る理由

 −−2011年に出版した「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」は中央−地方の関係を社会学や批評理論の枠組みを使って捉え直すという視点でした。今回の本とはアプローチが違います。4年間でどのような意識の変化があったのでしょうか?

 開沼さん 「『フクシマ』論」はご指摘の通り、学術的な理論枠組みを使った学術書です。方法論にしても文献、歴史資料を読み込み、フィールドワークやインタビュー調査を重ねるといった質的研究と呼ばれる、いわば「言葉」を中心としたものです。こうした本には必ず出る批判があります。「ここに表れている声は現地の一部の人だけのものではないのか。偏っているのではないか」と。あるいは「Aという考えの人もいるが、一方でBという考えの人もいる。Bを切り捨てるのか」という人もいる。特に震災後、福島の問題については「外から、上から目線」で勝手なことをセンセーショナルに騒ぎ立てる傾向が強くありました。

 そこで、実際にデータを示しながら、どの程度「偏っている」のか、Aという立場とBという立場がどのくらいいるのかを示して議論しよう、と。福島の漁業や農業、あるいは育児、教育の現場でひどい言葉を浴びせられた人々にとって、本書の中で示したデータは、議論の場で相手に現実を示す武器になるでしょう。

 さらに、今回のデータは誰でも手に入れることができるものを使いました。震災後、「外から、上から目線」の人たちの中には都合が悪くなると、すぐに「福島の問題は分からない」「情報公開が足りない」と、自分の不勉強を棚に上げて言い募る人がいました。本書の中にあるデータの9割はインターネットで3分以内に発見できる、誰でも確認や検証可能なものです。「分からない」というなら考えてほしい。「情報隠蔽だ」と言っているならまず調べてから言ってほしい。そのメッセージを込めました。

 ここで意識しているのは、3・11後に再び注目を集めることになった故・高木仁三郎さん(脱原発運動の理論的支柱となった科学者)が唱えた「市民科学」的な科学のあり方です。端的に言えば、データを出しつつ、一般の人でも科学的なプロセスを踏めるようにする。その上で議論の土台を提供するという方法です。自然科学のみならず社会科学でもできる。市民科学的な議論の場を再構築しなければならない。

 3・11後、「市民がたちあがること」を重視するような議論のうち浅薄なものでは、科学的なプロセスを踏まずに「民主主義」や「資本主義」を持ち出して「文明を反省し……」と大ざっぱな根性論的態度を示すだけで、何かを言った気になる人がいました。これでは話になりません。

 そういう意識で、これまで私がなじんできた「質的研究」ではなく、統計などの数値データを主に扱う「量的研究」を方法論として使ったわけです。残念だったのは、もっと短くまとめて、もっと手軽に誰でも手に取れる本にできなかったこと。元々、新書1冊でまとめたいと思っていました。「福島を理解する10の数字」みたいなコンセプトですね。しかし、書き出してみるとゲラ段階で500ページ。必死に削りましたが、到底、新書ではまとまりませんでした。


 ◇「福島の声」 政治利用に警戒したい

 −−「少数の声」を政治に利用しようという動きに対する敏感さ、という点は「『フクシマ』論」と「福島学」に通底するものがあると思いました。

 開沼さん そこは理論的に一貫している側面ですね。「外から、上から目線」という言葉を使いましたが、「福島の人が苦しんでいるんだ」と大騒ぎする「私」が実は遠いところから、高いところから自らの政治的主張に「福島の人」を利用しようとするだけだったりする。その構図は警戒しています。こうした「利用」が実は本当に問題を抱えている周縁にいる人を切り離し、ステレオタイプを作り出す問題の構図であり、イメージを固定化させている。

 福島について何かを語ってきた文化人、人文・社会科学者の中には本の中で挙げた数字を知らない人も少なくないのではないでしょうか。福島に関心があると言いながら、地名をちゃんと読めない人もいました。彼らが現実の福島からかけ離れたイメージ上の「フクシマ」を作り上げてきた側面もあります。彼らは弱者や社会的少数者に憑依されたかのようにして代弁者になろうとしたり、自身の政治的主張のために利用したりして、さまざまな形で発信を続けました。

 私は被災者への大規模な聞き取り調査を進めていますが、実情は簡単に代弁できるほど単純ではありません。

 この辺の考えはウェブでも公開している福島への「ありがた迷惑12カ条」にまとめました。これを読んで、「自分のことかも」と思うことがあれば、ぜひ直していただく。その上で、福島への関心を引き続き持っていただければうれしいですね。

 −−これまで福島との関わりが薄かったにもかかわらず、自分が当事者になりたがる人、例えば震災後、突然「福島が第二のふるさと」になったり、思い出の土地になったりする人もいました。

 開沼さん ありますね。「昔、行きました」とか、「過去に通りかかった思い出がある」とか。それで憑依されて当事者性を持っていると強弁する。勝手に同一化して当事者になりたがる人がこんなにも多いのか、と思いました。それなら、しっかり知って発言してほしい。憑依されるのは自由ですが、勝手に自分たちの理想像を押しつけることには注意すべきです。それをやると「ありがた迷惑」です。

 これは福島問題に限った話では全くなくて、他の社会問題にも通底する、極めて普遍的な話です。マイノリティーや被害者を理想化すること、政治利用することに対して、人文社会科学は警戒し、かなり批判してきたはずです。

 批判してきたはずなのですが、人文社会科学者がコミットしてきた「脱原発」運動の中に過剰に福島産(食品)を避けるように訴え、過剰に福島は住めない土地だと主張する動きがあった。それにどれだけの人が怒り傷ついたのか分かっているのか。私がそれを批判すると、「『住めない』などと過激なことを言う人は全体の中では一部に過ぎない」などと言い逃れしようとする。

 「ひどいのは全体からみたら一部」「私は違う」「一部が暴走した」という言い訳は成り立ちません。自分たちが正しいと信じる目的のために一部のあしき手段が正当化されるようなら、何でも正当化できます。一部だろうが、全部だろうが、こうした主張が出てくる体質を内包している限り「迷惑」だと思われ続けるでしょうね。残念ながら4年前からずっと同じ話を繰り返していますが、いいかげん、迷惑なことはやめたほうがいいと思います。もちろん、そういう状況を内部から改善しようという動きも出てきていることでしょう。それでもまだ部分的な動きですが。

 −−なぜ、そのような事態が起きたと思いますか?

 開沼さん これまでと同じ手法で戦えると思ったからでしょう。「弱者への配慮」をベースに主張し、自分たちがつながれると思ったのでしょう。

 福島の問題について過剰に雄弁になる人の原動力は、自らも自覚できていないような圧倒的な不安です。不安に駆られて出てくる言葉は過剰にシンプルになります。これは逆説的に問題が過剰に複雑であることを示している。先にも述べた通り、ステレオタイプが生まれるのは問題が複雑だからです。

 ステレオタイプは「空気」を形成します。そうであるがゆえにステレオタイプを相対化する必要がありました。先に述べた例で言うならば、福島産(食品)は避けたほうがいいと思う人と思わない人の間には多くの中間層がいます。空気は中間層がどちらを選択するかというのに効いてくる。空気に敏感な人たちの行動に影響を及ぼすのです。

 ◇「問題を一緒に解決する」 分断を超える方法

 −−開沼さんは経産省資源エネルギー庁の総合資源エネルギー調査会原子力小委員会の委員ですね。「国に加担するのか」という批判もあります。

 開沼さん それは内実を知らないがゆえの批判だと思います。勘違いしている人もいますが、委員の中には強硬な原発反対派もいます。そう簡単には国の意向を受け入れないさまざまな人が交じっています。

 私の役割は、福島問題と原発立地地域論の専門家として、また30年以上後のエネルギー政策のあり方を想定せざるを得ない将来世代として意見を言うことにあると考えています。一方で「中から発信して日本を変えられる」などと思うほどピュアでもありません。

 この4年間で議論の構図が固まる一方、多様な声が出ているかというとそうでもない。自分が代弁者として振る舞おうとは思いませんが、立場を問わず、「福島の声」の政治利用に対する懐疑は常に主張していこうと思っています。

 −−一方で「もっと福島から意見や感情の表明が必要だ」という考え方もあると思います。原発事故に対する感情を共有することから始める。こうした考え方はどう思いますか。

 開沼さん 素晴らしい考え方だと思いますし、私もさまざまな方法でそれを実現する回路をつくろうと努めてきました。その上で、大事なのは問題解決思考であるかどうかだと思っています。まず、自分のイデオロギーありきで、極めて少数の意見−−もちろん、少数だからといって切り捨てていいわけではありません−−を切り取って、「これが福島の声です」と自己主張し、自分たちの運動を展開する。これは自分たちの主張のため都合のいい声を拾っているだけです。これだけでは共感を広げられないし、その他にある問題も解決しない。

 この本で福島の問題は「6点セット」の問題ではなく、「地方が普遍的に抱える問題」であるとあえて強調しています。繰り返しになりますが、福島で今起きている問題はどこでも起きる可能性があるからです。原発事故が起きたことで浮かびあがったのは地方の人口減少・少子高齢化であり、医療・福祉体制の崩壊であり、決して持続可能ではない特定の産業に頼ってきた構造が衰退していくという問題です。残念ながら、福島では原発事故で、それらの問題が起きる時間が他の地域より早まった。その問題を一緒に解決しよう、考えようという姿勢が福島の問題を考えることなのだ、という主張です。

 だから、一緒に考えられる問題であり、あなたの足元と地続きの問題なのだ。

 本書の要点をまとめれば、そう言い表すことができる。原発事故は重大ですが、そこから引き起こされた問題は特殊なものばかりではない。そのことに気づかなければ前に進んでいかない。それが5年目の現実です。

 弱者や少数意見を「外から、上から」代弁するのではなく、もう少し幅を広げてみる。「一緒に解決できる問題って何だろう」「自分にできることって何だろう」と考えることが最後は当事者の内外を超えた共感と問題解決への思考を広げていく道です。「福島の人のために何かできることはないですか」なんて問いに、多くの人は答えようがない。「福島の人」って、200万人ほどいる中で、そもそも誰ですかという話で。そんなの何とでも答えられる。そうではなく、「○○○」という問題を解決したいから意見を聞かせてほしいと投げかける。これなら共感する人は声を上げてくれるでしょう。

 そのためにも必要なのは福島の現状を正確に認識することです。ばらばらになっている「情報」の波にのみ込まれて迷わないように、「情報」を自らに血肉化した「知識」にアップデートするためには体系的な整理が必要です。これまでのような唱えるお題目が先にあり、事例がついてくる。そういうモードはやめたいですね。

 ◇リベラルは保守層の動きから学べ

 −−旧来のリベラル的な言説の弱点は「不安」や「恐怖」を強調するやり方に力を入れすぎた点にあるということでしょうか。どういうアップデートが必要だと思いますか?

 開沼さん まさにそうですね。3・11以後の状況ではリベラル的な言説にありがちな不安に訴えるやり方はいつまでたっても主流になることはないでしょう。

 福島や他の被災地では、地域産業の活性化や高齢者支援、子ども・若者を主体にした地域づくりなどさまざまなテーマで面白いプロジェクトが進んできています。中心にいる人たちと言葉を交わしながら、政治的な志向を見ていくと、その多くが、いわゆるリベラル層ではなく、保守層であることにも気づきます。リベラル層はそこに学ぶことが多いのではないでしょうか。彼らの特徴は行動が先にあることです。何かを批判している暇があれば、まず自分たちが動く。

 彼らは地元の有力者や若者、人を集められそうな人に片っ端から声を掛けて組織を作ってお金を集めます。先祖から受け継いできたものを軸にまとまり、地元の上下関係を大事にしながら、地元の再生の象徴になりそうなものを作る。それを見るたびに、昭和の土建国家の時代はこのメカニズムがものすごいスピードで回転して、日本の風景を変えていたのだなと思います。いまだに存在する地方の自民党、保守層の強さはこれなのだと、改めて見せつけられた思いがしました。

 こうした動きは地元に必要なことを考えて動いているゆえの強さがあり、思想やイデオロギーと関係なく誰も反対できません。さらに、4年間やってきた人たちが生み出してきた成果は確実に地元に残っています。

 一方で、ご指摘のリベラル的な言説として「私たちは文明を反省しなければならない」とか「社会を変えるには人々が声を上げ、新たな民主主義を立ち上げるべきだ」といった言葉がはやったわけですが、4年たって福島にどんな結果が残ったのでしょうか。口だけの動きが地元・現場で受け入れられるわけがないですね。むしろ、そういった大ざっぱな答えありきの大所高所からの「論」が、本来向き合うべき問題を隠蔽し、分断を深めてきた。もう少し小さな語り方であり、動き方を身につける必要があるのではないでしょうか。

 この本は都市部在住の知識層もターゲットにしています。皆さん、震災直後や震災1年後にご自身で話していたことや発信したことを覚えているのでしょうか。2015年に福島はどうなるはずだったのか。福島は今どうなっているか。もう一度、問い直してほしいと思っています。

 −−信頼を勝ち得るためには動きが必要だと。

 開沼さん 私は「買う・行く・働く」という言葉で説明しています。今できることはそれに尽きます。働くはハードルが高いかもしれませんが、ボランティアなど少しの時間を作るだけでいい。ご自身のお仕事の中で身につけた技術がなにか役に立つと思います。


 ◇退屈だった「福島」が、「面白くなってきた」の問題か
−−この本は「極端に振れない、振れたくない人たちのため」の本だと思いました。こうして問題を整理した上で、どう次の仕事につなげたいと思っているのかをお聞かせください。

 開沼さん 「はじめての福島学」ではその名の通り、福島の問題を学問的に捉え続けていくための一つの枠組みをつくりました。これを端緒にさらにさまざまな知見と実践を続けていきたいと思います。

 「極端に振れない、振れたくない人たちのため」の本は他の分野でも求められています。その点で、私は核、原子力と日本社会の関わりに興味があります。表象のされ方や歴史的な反復の仕方といった問題を整理してみたい。あとは、避難の問題です。これは今回、扱いきれなかったと思い残す点です。難問ですが、福島から避難した人たちの語りも継続的に集めて、体系的に整理したいと思っています。

 この本はいろんなプロジェクトに派生するための第一歩です。「今の福島を知っておきたい」という善意を持っている人もまだいると思います。その善意に期待しています。福島関連の本も、現状の出版市場の中では全く売れなくなってきていますが、「はじめての福島学」については、お陰様で、重版がかかりました。

 元々、私は福島が退屈で仕方ないと思い、東京に出てきた。地方出身者にありがちなパターンです。「『フクシマ』論」を書いた後は福島の話はやめようとも思っていました。でも、あれだけ退屈だと思っていた福島を、今は語弊はあるかもしれませんが「面白いところ」だと思っています。震災、原発事故という危機の後、自分たちの世代でも地域のネットワークに入り込める余地が出てきた。

 だからこそ、今後を見届けたい。先日、上野千鶴子さんとの対談で「当事者とは、当事者『である』ものではなく、当事者『になる』ものだ」と言われました。「はじめての福島学」を通して、少しでも多くの人に、これ
ら離れることのできない「当事者になる」体験をしてもらえればうれしいです。

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この震災や原発問題、社会のあり方などを考える時、開沼氏を始めとする社会学者の指摘にはいつも感服します。ジャーナリストや経済学者にも的を得た検証をする人がいますが、冷静且つ客観的に広い視野で問題を考えるというところは社会学者ならではと感じています。

2015/4/2(木) 午前 5:58 [ スタリオン ]

> スタさん

長文の記事にありがとうございます。
ものの見方には、一応と再応がありますが、開沼さんなどは、仰るように
冷静さ、客観性、広い視野、そして一方通行ではなく、立ち止まる思量の深さを感じます。

一歩引いて見る目 でしゃばらない きちっとしたデータに基づく
これが大事だということを、あらためて確認できました。

2015/4/2(木) 午前 9:47 春光

春光さんありがとう。


県外に自主避難された方々も、決して間違いなどではないと思います。

が、それらの多くの方々がイデオロギーに取り込まれてしまったのも事実。

私でさえ、直後の福島産は避けてましたから。


しかし今や、国内最高水準の測定を行い、安全性を確立されてます。
もちろん出荷規制になってるのも多く嘆かわしい事ではありますが…。


安全か?と問われたら明確な答えは出ませんが、少なくとも私は安心しています

福島県内の農家も親戚が多くおります、常に学んでいますよ。

2015/4/5(日) 午前 11:53 [ 鶴姫 ]

> 鶴姫さん

それが一番率直で現実的なものの見方ですよね。
そこに暮らしているからこそ分かること、感じることがあると思います。
何度か行っただけだけど、同じ考えだす。
田老の歴史のことを今書いていますが
そういうこと、人間の営みや息づかい、そういうものを無視して
上から目線で危険というのは、東北蔑視が心の根底にあるように感じます。
問題は、ベクレルではないですね。

去年、福島市に行った時に泊めていただいたお宅はお医者さんでした。
色々な観点から沢山のことを教えてもらいましたが
ある意味、今日本で一番安全性が高いのが福島産だと思います。

ただ、自分の頭と行動で学び選択すればいいんです。
もっと言えば、汚染されたものを食べて、病気になったり、体に障がいが生じたら、それは不幸なことなのか?人間として認めないのか?
ということです。
100%の障がい者もいなければ、100%の健常者もいないはずですね。

2015/4/5(日) 午後 10:38 春光


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