2011年から、福島県をとりまく界隈の騒ぎは、セシウムやらベクレルの問題よりも、差別の問題ということを痛感してきた。
福島県は地震と津波の被災地でもある。
何度も書いてきように、「つなみてんでんこ」の伝承には、家族や大切な人を助けられなかった人、亡くした人、一緒に逃げていた人の手を離した人など、自分を責め続ける人に対して、その自分を責めることを少しでも減らす側面もあると思っています。
サイバーギルトという言葉があるが、そうした災害、また死別、離別、困窮などなど
当事者の重荷を軽くする「文化」が育つところに、社会の成熟があると思う。
津波常襲地には、同苦と共感と協働の文化がある。
そうしたことが分からないのが、福島を三陸を東北を上から差別して気づかない私たち。
東日本大震災は、有史以来 例のない大規模な災害であるのに、それすら少数派に追い込んでいる。
「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」「子供たち」のステレオタイプ6点セット
ネットでは依然として、福島で検索するとネガティブなキーワードが並びます。最近では、国立の某科学博物館関係者が「原発で作業員が4000人死んでる」という話を流し、復興関係のNPO職員が「福島では子どもが死にまくってる」と発信していました。書店の福島・原発コーナーには数々の陰謀論の本。
先日、師匠の上野千鶴子(東京大学名誉教授)に「ダメな読者を扱ってると文章のクオリティが落ちるからやめなさい」と言われました。だが、まともな読者だけをちゃんと導けば真っ当な議論ができる時代じゃなくなってるんじゃないか。
権威ある文系の学者が、知識もなく放射線について書いて、それが弱者のためとか、経済一辺倒社会への反省とか思ってるらしい。たとえば福島で先天性障害児が大量に生まれてるとか、離婚が急増してるとかの事実はまったくないのに、そんなうわさをまじめに信じてる人もいる。
専門家の本は難しい。デマゴーグはわかりやすいから、主婦とかがどんどんはまっていっちゃうわけです。
何も理解しようとしていない。理解する努力をはしょって、善意だけを押し付け、悦に入ろうとするのは、単なる自己愛に見える。
──震災4年目の3・11、メディアの報道に変化は感じましたか?
むしろだいぶパターン化してきた気がします。「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」「子供たち」のステレオタイプ6点セットにまつわる話をしておけばいい、みたいな。廃炉に30年以上かかるのも、除染の遅れもみな震災直後からの定型句。こうして同じパターンで福島を語り続けることで、みんなの無関心を引き起こし、忘却へとつながっていく。
──帰村後に直面する厳しい現実を描写した内容が今年は多かった気がしますが、現在進行形の問題とはまだ乖離しているのでしょうか。
NHKや一部新聞はしっかり細かく取材報道をしてると思いますが、それが一般の人に伝わりきってるかどうかが問題です。「福島の人口流出が危機的だ」という誤ったイメージと、減少率は震災前のペース、いわば「平常運転」に戻っているという現実とのギャップや、まるで県内全域が荒野と化してるかのような通り一遍の見方は今も続いてるんじゃないか。大多数の人が取り残される状況が年々悪化してるのかなと。
何となく複雑だなとしか伝わってない。情報の受け手側もリテラシー、基層的知識がないと、なかなか生産的な議論にはならないですよね。
データで示せる道具・武器を用意しなければ
──この本は人口、農業、漁業・林業、2次・3次産業、雇用・労働、家族・子供という順で実際のデータを挙げ、福島への誤解・妄想を正していく構成になってます。
ネットでは依然として、福島で検索するとネガティブなキーワードが並びます。最近では、国立の某科学博物館関係者が「原発で作業員が4000人死んでる」という話を流し、復興関係のNPO職員が「福島では子どもが死にまくってる」と発信していました。書店の福島・原発コーナーには数々の陰謀論の本。
先日、師匠の上野千鶴子(東京大学名誉教授)に「ダメな読者を扱ってると文章のクオリティが落ちるからやめなさい」と言われました。だが、まともな読者だけをちゃんと導けば真っ当な議論ができる時代じゃなくなってるんじゃないか。
権威ある文系の学者が、知識もなく放射線について書いて、それが弱者のためとか、経済一辺倒社会への反省とか思ってるらしい。たとえば福島で先天性障害児が大量に生まれてるとか、離婚が急増してるとかの事実はまったくないのに、そんなうわさをまじめに信じてる人もいる。
そして、そんなデタラメを投げ付けられたとき、福島で生きる人間には反論する材料がなかったんです。データで示せる道具・武器を用意しなければと、強く感じたんです。
──県の外に福島の真の姿を知らせるのみならず、内に向けても書かれた本だったんですね。
そうですね。今までだと、本物の専門家の本か、専門家と称するデマゴーグの本か二極化していた。専門家の本は難しい。デマゴーグはわかりやすいから、主婦とかがどんどんはまっていっちゃうわけです。そこで中立の立場で複雑な状況をわかりやすく伝える必要があると思った。
この本に掲載したデータは基礎的なものばかり。あえて誰でも入手でき誰でも検証できる、じいちゃんばあちゃんでも議論に加われる踏み台を作りたかった。いいかげんなデマに福島の人が嫌な思いをしたり、エセ医者の言うことに扇動されて誤った選択をする状況を変えたい。最初に挙げた福島6点セットはもちろん重要なことなんだけど、それを言っとけば一応考えた雰囲気になるのはやめましょう、ということです。
──福島の問題は全国各地方の問題に共通する、と強調する狙いは?
福島6点セットを持ち出すと、あそこは特殊で異常で危機的で、自分とは関係ない話だという認識が植え付けられてしまう。いやそうではなく、これはあなたの地元で起きている問題と同じなんですよ、と普遍性を押し出す必要があった。
やはり現場で観察していると、地方に共通の問題がそこにある。多くの人が、原発20キロメートルの町に戻った人は放射線を恐れて暮らしてるのだろうと想像するようだけど、地元で聞くのは、工事関係の新住民が増えて治安や交通事故が心配だ、病院が遠くて大変だ、後継ぎがいねえんだという話ですね。
NHKの番組で学生を被災地に連れていくんですけど、番組側はどうにかして地元の人と原発の話をさせようとする。わかりやすいですよね。でもおばあちゃんの口から出るのは、震災後も前もずっと商売を続けてきて、人が増えて売り上げは上がったけど、休みが取れなくなってね、みたいな日常の中で語る言葉。こっちのほうがよほど真実ですよね。そこを無理やり特殊化しようとする。こういう点にもあらがっていかねばと思っています。
──「福島を理解してるふり、寄り添ってるふりはただの迷惑」と突き放しておられます。開沼さんが挙げる「福島へのありがた迷惑12箇条」の第1条は、「勝手に『福島は危険だ』ということにする」。
憐憫(れんびん)の情、かわいそうだという思いはしばしば“上から目線”になり、問題をむしろ悪化させる。何となくの当てずっぽうな支援を押し付けるだけでは、現にそこに生きている人たちのニーズを満たせないし、むしろありがた迷惑になってしまう可能性がある。
外で遊べないらしい子供たちのために毎年幼稚園に積み木を贈るとか、もちろん善意だろうけど、子供を外で遊ばせられるよう、どれだけ地元が努力してきたか。そこからどれだけ時間が経過したか、何も理解しようとしていない。理解する努力をはしょって、善意だけを押し付け、悦に入ろうとするのは、単なる自己愛に見える。
前のめりの正義感は滑ってしまう
──「滑った善意」が「的を射た善意」にまで悪影響を与えるとも。
私が福島を救ってやるみたいな前のめりの正義感は滑ります。地元の人はそんなこと望んでないし、当人も「アレ、思ってたのと違う」と戸惑いながらどんどんズレていく。で、相手の気持ちを酌み取れる、的を射た善意で動ける人ほど「ありがた迷惑になりはしないか」と気を回し、引いてしまったりする。そこに空白地帯が生まれ、問題が放置される。
純粋な気持ちで同情したり、ずっと忘れてはいけないと心に誓うのはそれはそれで結構。問題は、じゃあ具体的にどうするか。それは福島の産品を「買う」、福島に「行く」、ハードルは上がるけど福島で「働く」ってことじゃないの、って話です。
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今回の指摘も色々考えさせられました。原発問題に限らず、我々は権威のある人(有識者)の発言はハナっから正しいこととして信じてしまいがちですが、それも本当に真実なのか自分で検証するべきでしょうね。
また、「木を見て森を見ず」というと対局を捉えていないイメージがありますが、社会学者の人たちは敢えて「森より木を見る」的なスタンスを取っていると感じます。
来月の帰省でどれだけ時間が割けるかわかりませんが、福島北部を自分なりに見ておこうと思っています。
2015/4/8(水) 午前 5:49 [ スタリオン ]
> スタさん
いつもありがとうございます。
開沼さんの指摘、最も共感できますし、個人的に正視眼だと感じています。
結局自分の頭と行動で考えて、そして感じるということが大事だと思いますが
教えられる一方で、自分で考えるという教育が環境が無かったからでしょうか。
木を見て森を見ず はすべて悪い意味合いではなく、それも大切ということでしょうね。
森ばかりみて一本一本の木を無視する手合いが、福島への(個人的には)差別をするんだと思っています。
もちろん自分も常に学びの連続です。
さて、来月の帰省では南相馬なども予定にされているとのことですね。
自分は小高区の村上海岸などに行かせていただきました。
ボランティアで片付けや側溝掘りをさせていただいたお宅は、帰宅を断念され取り壊されてしまいました。
もう1年以上行ってませんので、福島北部のリポートも楽しみにしています。
2015/4/8(水) 午前 8:16