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木というものは、実に様々なことに例えられます。
何度か記事にしたこともある、宮大工で有名な西岡棟梁も、西向きの使い道の無いと言われる木も
建物の陽の当たらない箇所に使えば、力を発揮して長持ちするという。
人間の使い方ではなく、生き方に対する深い洞察だととられられるでしょう。
仏教の初期の仏典の話でこういうのがあります。
「一本の木があります。その木は、東を向き、東に傾き、東に向いている。
もしも、その木の根を断つならば、その木はどの方向に倒れるだろうか」
これはゴーダマ=釈迦に対してマハーナーマという男が、仏の道を修行しているが、もしその最中に災難にあって
命を失ったなら、自分はどこで、いかなる生を受けるのか?と質問したことに対する
ゴーダマが質問を返して答えた一文。
「マハーナーマよ、例えば一本の樹木があるとする、その樹は、東を向き、東に傾き、東に伸びているとする。
もしも、その根を断つならば、樹木はいずれの方向に倒れるだろうか」
マハーナーマはこう答えます
「その樹木が傾き、伸びいている方向です」
たとえ、不慮の事故や災害で命を絶たれることがあっても、その人の生きた業績も栄光も傷がつけられるものではないということですが
この木の例えのように、人は何に所属しているかが問題ではなく、何をしているか
なのでしょうね。
セオウル号の沈没事件から1年、JR福知山線脱線事故から10年になります。
大きな事故なら、メディアに取り上げられることもありますが
それ以外に、膨大な事件事故で悲しく、辛く、そして悔しい思いを抱えて生きておれる方々が
社会には多くいらっしゃいます。
いつ誰の身に何がおこるかわからない
だから、過去ではなく、今を生きることが大切なのでしょうね。
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