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災害時に、子どもをあずかる保育園や学校などの対応で、大切なことを感じる一つの例がありました。
2011年3月11日、八戸港に大津波が襲来、その保育園は浸水
しかし園児65人全員を無事避難させることができた。
▼あの日、地震が発生した直後、保育士さんはすぐさま園児のいる部屋へ駆けつけ
子どもたちを園庭へ誘導。
こうした時に、保育園では子どもたちが集まる場所の目印としてゴザを広げることにしていました。
ゴザを敷いておけば、目で見て、「ここに座ればいい」ということが、言葉で言わなくとも理解できる
という意味があった。
そうした目印の大切さ、それは、指示を聴いてその通りできる子どもばかりではなかく、耳で聴きとることが苦手な子どもをいることを、常に把握していたからでした。
そして津波のおそれがあったため、子どもたちを避難場所に連れていくことにします
しかし、そこは海抜25mの高台。
まだ歩けない子どももいるため、保育士さんたちが手分けをして、散歩車やおぶって高台まで移動しますが、その避難経路は、あらかじめ決めていた道。
さらに、その道を子どもたちに普段から訓練を兼ねて散歩させることで、慣れさせていたのでした。
普段通りののままだったため、子どもたちにとって、特別なことではなく、大きな混乱もなく高台に65人全員を避難させることができた。
その際に、園児の名簿を持ち出すことも決めていました。
そこで一番大切なことは、保育士が慣れているということが大事、と保育士さんは語ります。
保育士がオロオロとしていると、子どもは敏感なので、言葉ではなく、顔の表情ややりとりを見ていて察し、子どもが動揺してしまう。
●しかし、避難の途中、日ごろの訓練では予測できなかったことがおきた。
高台に向かう道に、同じく避難のために車が次々とやってくるのです。
そして余震でブロック塀などが倒れてこないか、心配しながら、車を避けて道の端を歩かねばならなかった。
「上を見たり、横を見たり、下を見たり、斜めをみたり 子どもたちを見ながら、保育士さんたちと声を掛け合って、『大丈夫?大丈夫?』 『後ろから車さ来たよ』などと、とにかく声をかけあって歩いた」
そして地震発生から30分後、津波が八戸に来る前に、園児全員を海抜25mの高台に避難させることができた。
園では保護者たちに、あらかじめ、地震がきた時の避難場所を、第一避難場所、第二避難場所として通達していたため、保護者たちがすぐにやってきました。
実際に避難をし、親たちが集まった時、園児の名簿を持ち出していたことが功を奏することに。
帰ったこどもをとにかく、チェック チェック、その確認をするために、名簿(出席簿)は必要であると。
もし一人でもいなかったら、誰も気がつかなかったら大変だ、と。
●それから、保育園は高台に移転しました。
しかし保育士さんは、高台に移転したとはいえ、それでも今後の普段からの備えを怠ってはいけないとしている。
「(高台に移転をして)これで安心というわけではなく、いろいろなやり方、別な道を歩いてみるとか、辿ってみるとか、子どもたちと一緒に体験するのも必要だと考え、今も毎月、避難訓練を続けいます」
湊高台保育園(旧 新湊はますか保育園)http://minatotakadaihoikuen.com/
▼今年度から、准看護師が保育士として、保育園に配置できるようになりました。
厚労省から年度末に告知が出て、地方、地域にバトンが渡された形に。
今までは、入所乳児が4人以上いたら、一人の准看護師を配置していいと認められていましたが
なかなか徹底されていない現実があったようです。
地方分権改革の流れで、厚労省に、知事会とかから、准看護師を保育士として認めてほしいとの要望が続いていた。厚労省は、准看護師は、医師や看護師の指示の元に動く、ということだから、その要望を蹴ってきた、という経緯がありました。http://www.cao.go.jp/bunken-suishin/doc/teianbukai08shiryou03_2.pdf
しかし、今年1月30日の閣議決定で、その要望は認められました。
「平成 26 年の地 方からの提案等に対する対応方針」(平成 27 年1月 30 日閣議決定)
そして、3月31日に 厚生労働省雇用均等・児童家庭局(雇児)からの「通知」というかたちで徹底がなされることとなりました。
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要談「青森 茨木 千葉」
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