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琉球処分とは何だったのか?
薩摩が琉球侵略した時代。そして明治政府による「併合」。
日本による皇民化政策・教育の徹底により、琉球の言葉や習俗、
伝統文化までも奪われ、日本に同化させられていった沖縄。
明朝時代の薩摩の侵略、清朝時代の日本併合の時。
明、清は琉球を冊封・朝貢国としながら日本の侵略から見捨てたこと。
また、日本国政府も強制的に琉球國を併合して沖縄県としながらも、清に領土を分割し身売りしようとしたこと。
そして、太平洋戦争時に本土防衛の盾にして沖縄県を「捨て石」にした事。
さらに、戦後日本の独立の為に沖縄をアメリカに「身売り」した日本政府。
アメリカも自らの覇権の為、沖縄を太平洋の要石とし、極東地域戦略から沖縄本島を軍事要塞化するも、
沖縄人は自ら政治、経済を行えない
ようするに自らを統治する能力がないとして自治権を奪い取り
27年もの間、軍および米国民政府が絶対的な権力を持ち、「銃剣とブルドーザーによる土地略奪」 住民弾圧、人権抑圧、人種差別をしてきた。
沖縄の施政権が日本国に返還された後も、日本とアメリカ両政府は不平等条約である
地位協定を改正しようともしない。
では、琉球処分とは一体何だったのか?
『琉球・沖縄住民の意思を無視して日本、中国、アメリカという大国の論理、
身勝手な都合によって、琉球・沖縄の命運が決められた』ということだと思うのです。 1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効してから、28日で63年となった。太平洋戦争に敗れ、連合国軍の占領下にあった日本は7年ぶりに独立を回復したが、沖縄や奄美などは切り離された。基地の重圧が固定化する源流となったこの日は「屈辱の日」と呼ばれる。 |
要談「琉球 沖縄県」
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お久しぶりです。
全くその通りですね。
講和条約発効してから、沖縄施政権の日本返還後まで
しばらく「屈辱の日」という言葉が頻繁に使われていました。
昭和六十年代頃から殆ど使われなくなり、平成生まれの人は
殆ど知らない言葉、また40代後半以上の人も記憶から遠のき
忘れていた「屈辱の日」という言葉。。
現政権が再び記憶を呼び覚ましたことは間違いありません。。
2015/4/30(木) 午前 7:12
琉球の日本併合からまもない時、日露戦争が勃発
反発もある中、宮古の五勇士はロシヤ艦隊発見の打電の為に必死で八重山に渡った。。日本を守る為に。。
その後も琉球の土人と馬鹿にされ続けながらも、“祖国日本”を守る
為に操を守り多くの犠牲を払ってきました。
その歴史的事実、その思いを現沖縄県知事は、明確に言葉にして日本政府に訴えました。しかし首相や政府、与党の人たちには伝わらなかったでしょう。。
2015/4/30(木) 午前 7:26
> 桃香☆彡さん
お帰りなさい 笑
この記事の前半部は、むしろ桃香さんの投稿に触発されたものですし、引用もしています。
3年前の安倍一派による「屈辱の式典」そこでの「天皇陛下万歳」など
おっしゃるとおりですね。
琉球・沖縄のことについて、きちっとした知識をもって見ている人も、本当に少ないと思います。
桃香さんの発信が、時代と共に重要さを増しているように感じます。
一部には政権批判の道具にしてはならないはずが、利用している手合いも見受けられます。
2015/4/30(木) 午後 0:40