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まずネパール政府への批判ではないことを前置きしておきます。
世界中の紛争や自然災害に対して、募金をするくらいが精一杯の私たちですが
ネパール大震災についても同じ。
特に日本時としては地震災害に対して、同苦の心が沸き立ちます。
なにもできないけれど、色々と考えて、今後の糧とすることはできるかもしれません。
●ネパール政府は外国の捜索、救援隊をこれ以上派遣しないように伝えたと、4月29日に報じられました。
現地で取材している日本人ジャーナリストの中には、ネパールの人々にそのことを伝え、国民は怒っていると報じたものも。
ネパール政府は〈十分な人数の救助隊員がいる〉ということがその理由だそうですが
空港は小さく滑走路が一本、十分に舗装が届きわたっていない道路事情、王政から共和国に以降してまもない政治状況、色々な背景を考えれば、キャパシティは限界があり、伝えられる情報では、運良く着陸できても、支援物資をどこで誰に渡せばいいのか把握できない。
支援チームがどこに行けばよいか分からない、行き先が決まっても、どの道路が仕えるか分からない
ネパールを知る人には用意に想像できることだとのこと。
そういうことから、ネパール政府が言う「十分な人数がいる」というのは、そう言わざるえない方便なんだと察してしまいます。
情報収集や手配、マッチングに対してパニックになっている中、次々と世界中から善意が集まっても、受け入れてさばけないのでは。
政府、行政などの担当者の中にも被災された人が多くおられることも想像できます。
しかし、今 この時もガレキの下で、瀕死の中、生きたいと願いながら、救助を待つ方がおられるかもしれないと思うと、胸がしめつけられる思いがします。
●そうしたネパールの対応に接すると、東日本大震災発生直後の4年前を思い起こします。
被災自治体の中には、大槌町や陸前高田市、南三陸町のように、役所が被災した地域も少なくなく、県庁も政府も災害の状況の全体像をまったく把握できていませんでした。
支援の要請が次々に寄せられる自治体もあれば、まったく連絡が取れなかった自治体もありました。
私たち県外の者には、現地入りやボランティアはまず控えてほしい、現地が受け入れられるようになってからに、ということがメディアからも再三通達されていました。
これが、大災害ということですね。
目前の要請に対応するだけで、双方の現場はクタクタになり、各地で陸の孤島が生まれたり、激甚被災地がどんどん後回しになっていき、メディアでは取材が入れる地域から繰り返し伝えられ、偏ってしまいました。
個人的にも、それまで東北に土地勘がまったく無かったので、3月11日に多くの被災した地名を覚えることになりますが、メディアから伝わっていたことでは「陸前高田市」がとても甚大な被害を受けた、という印象が当時あり、たまたま同じく陸前高田が大変らしいから行きます、という方々と同じ車に乗せてもらい、陸前高田を目指しました。
すると、同じ印象を持って来た全国からのボンラティアが陸前高田に集中し、大型バスだけでも数十代が停まっており、その他の車は数え切れないほどでした。
多くの方が亡くなった陸前高田市社協によるボランティアセンターも、見ているだけで気の毒なほど忙しくしており、マッチングが追いつかない状況で、大船渡へ、釜石へ、大槌へ、とさらに目指して行く人が増えました。
発災から一ヶ月でもそういう状態でした。
●私たちとって記憶にも新しい、昨年の広島市大規模土砂災害の時の支援のあり方について、多くを考えさせられることばかりでした。
在宅緩和ケア、地域医療から世界の保険機関まで広いフィールドで活動されてきたある医師はこう語ります。
たぶん、いまのネパールも同じ状況です。必要なことは、この大災害に対応するオフィシャルかつ専門的な体制を国際機関の協力のもとに整えることなんでしょうね。ネパール政府は援助慣れしているので、もう準備が進んでいると思いますが・・・。 災害発生時、私たちが学んだことは、何をするべきか、を考えるのではなく、何をしてはいけないか
を学ぶことです。
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要談「海外被災地」
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