|
ハンセン病についての勉強会に参加した方から話しを聴く機会がありました。
知らないことばかり、というよりも、知ろうとしなかったことばかり、というのが率直な感想でした。
また、それだけ、社会が存在を隠し、追い詰めて差別し、その人たちの苦しみの上に
自分たちの幸福を築こうとしてきたのが、日本の歴史でもあったと思います。
ハンセン病は、抹消神経と皮膚に症状がでる感染症とされてきましたが
薬も治療法も確率されて完治する病です。
しかし、映画「もののけ姫」でも描かれていますが、古来から差別を受けてきた歴史があります。
聖書では、最も古い「呪われた不治の病」とされ
日本書紀にも記述が残り、民話でも取り上げられます。
日本人や仏教者が知っておかねばならないのは
「過去世の業」の報いで現世の結果として、そのような病気になった
と、本来仏教が目指した因果論による差別の克服を捻じ曲げて
ハンセン病患者の隔離に利用されきた歴史の事実があり
いわば、宗教による偏見と差別のお墨付きをもらって、人権蹂躙の過酷な人生を強いられた。
明治時代に作られた法律によって
一度ハンセン病と診断されると、すぐに戻れるからと隔離所に連れてこられ
家族と断絶させられ、子どもが産めないように不妊の手術まで強制され
社会と完全に隔離され生かされてきました。
さらに大阪府民・市民として忘れてはいけない
「外島保養院」を追い出した歴史。
しかし、第二次世界大戦が終わる頃には
ハンセン病は世界的には非常に感染力の弱い病であり
治療法が確立され、完治できる病であると証明されました。
ところが日本では
まだ20年も経たない1996年に、ようやく隔離政策である
「らい予防法」が廃止されるにいたり、施設の入所者(すでに患者ではなくなっていましたが)は
人間としての尊厳を法律の上で回復しました。
明治時代の法律施行から108年経っていました。
しかし、今だに世界中でハンセン病にかかる方はおられますが
その苦しみの根底には、偏見と差別があります。
一つ一つを同列で語る意図はありませんが
米軍によって原爆が広島と長崎に投下され、被爆者は差別と偏見に苦しみ続けなければなりませんでした。
2011年から東電の原発事件(事故)によって、生活を人生を破壊された方々に対する、偏見と差別も生まれています。
原発事故によって、ではなく、放射能によって、という偏見。
そして今や、復旧途上の津波被災者に対しても、偏見が向けられはじめています。
さらに、人間を所属で判断する差別主義者が堂々と正義を振りかざしています。
「根拠のない事実」が差別や偏見を生むことを
ハンセン病は教えています。
|
放談 「貧困・差別・ホームレス」
[ リスト ]




ハンセン病について、以前にこのブログの何処かの記事でコメントした事あると思いますが、隔離所ですね。。私が行った所はそのまま一つの村が隔離された処でした。隔離された一つの村は地理的条件が良くて隔離されたのだと説明受けました。元々この村に住んでいた人たちはハンセン病ではなかった、しかし隔離所にされたので他所に移り住みましたが、やはりこの村出身と言うことだけで差別を受けたといいます。現在でもそこに住んでいる方もいます。今は往来自由ですから、私は知り合った人の家に何度か遊びに行きました。今でもこの村の出入り口付近に隔離政策の名残の建物があります。どの様な身分か知りませんが、ここで働いている職員がいました。私が知人の家に出入りしているのを見て、あまり此処に出入りしない方がいいですよと言われました。それで私が何故と聞き返し、この職員に近づこうとすると顔をそむけ嫌な表情になりました。そして一言、伝染るから・・・と言って去って行きました。現在でも、そしてハンセン病関連の仕事をしていても、この程度の認識でビックリした事あります。
2015/6/3(水) 午後 9:02
それからまた長いコメントなってしまうのですが・・・
ハンセン病の感染力の事ですが、現在生きていれば100歳を超えている沖縄の方ですが戦前、ハンセン病で隔離されている島を何度も何度も慰問した人です。。この人の娘さんが現在80歳、もう亡くなられたおばあちゃんと80歳の娘さんから聞いた話です。おばあちゃんの曽祖父がいつも、ひ孫に当たるおばあちゃんが子供の頃、ハンセン病は治療できる病気、また簡単には感染しないと教えていたというのです。それで結婚後は経済的に余裕が出て何度もハンセン病で隔離されている島を訪れたと言います。
おばあちゃんの曽祖父と言えば、王朝時代の生まれです。先祖は多く医者を出しています。おばあちゃんの子供の頃と言えば明治時代です。。大正の半ば頻繁に訪れていたので、島から帰ってきた時は皆からいろいろ言われた様です。↓↓
2015/6/3(水) 午後 9:05
しかし、私がハンセン病になっていないことが証拠。隔離する必要はない、治療できる病気と言って周りに理解を求めたと言います。昭和になり戦争へ向かって行く中で、島に行く機会も少なくなりついに途絶えてしまったと、話していました。
桃香苺ミルクo(^-^)o
ですからかなり早い段階で感染力は弱い、治療法はあると言うことが言われていた事がわかります。
2015/6/3(水) 午後 9:05
春光さんこんばんは。
根拠もない差別的な一言というのは、昔からそこらじゅうで耳にしていた様に思います。
ハンセン病患者の事を最初にお聞きした時はショックでしたが、そういえばその病気の患者だけに関わらずに障害者を見ては大人が子供達に良い子でないとあんなんなるよ、とか偏見から言葉を発するというのが有りました。子供のイジメも見た目をいじった言葉だったと思います。
2015/6/3(水) 午後 9:34 [ ミー ]
> 桃香☆彡さん
そこは「沖縄愛楽園」でしょうか、最近、記念館がオープンしました。
日本の隔離政策は世界でも稀な人権蹂躙政策ですが
そこに、仏教の間違った解釈を取り込んで、患者さんたちに、想像を超える地獄の日々を強いた事実を忘れてはいけないと思いました。
偏見と差別 自分はそんなことしていない と思っている人に限って、他人を傷つけても平気でいます。
正しくないことも、多数を占めると、正しいこと、となって、善良な市民によって、生きる権利を奪われる歴史は、今も繰り返されていますね。
2015/6/4(木) 午前 7:27
6/3(水) 午後 9:11さん
のちほど 直接お答えしますね
2015/6/4(木) 午前 7:28
> ミーさん
>障害者を見ては大人が子供達に良い子でないとあんなんなるよ
これ、まったく同じ言葉を小学5年の時に大人が言っているのを聞きました。
今もその時の光景や、その大人の顔を覚えています。
子どもながらに、驚き、変な大人 と思ったことを覚えていますし、自分の原点なんです。
自分は在日朝鮮・韓国人、被差別部落、障がい者への偏見 差別と隣り合わせでしたが、露骨に口にする人が減った印象はあっても、まだまだ根強いとよく思います。
すぐに、あの人は変な人、変わった人、と言う人も多いですね。
信仰をしている人なのに、平気で言っています。
自分はそんな人間じゃない と思っている人に限って、差別と偏見に満ちていますが、まったく気がつかないものです。
2015/6/4(木) 午前 7:34
この方は単に「シマ(島)」と言っていること。大正期から行ったと言ってること。という事から考えれば二つの意味があります。
桃香苺ミルクo(^-^)o
沖縄で「シマ」は離島の意味でのシマと、部落の意味です。因みに部落と言うと日本では差別語でありいろいろと問題あります。しかし沖縄では意味合いが異なります。自分はどこの部落出身ですと自慢、誇りにしています。例えば貴方の出身は?と聞いて、名護市と答えが返ってきて。更に詳しく聞きたいときには、何処の部落?と尋ねたりします。 部落=シマとも表現しますので、ややこしくなります。
大正期に島に行っていたと言うのは、この部落の事と思われます。ハンセン病の患者がいた部落だったと思います。
宮古南静園は昭和6年、沖縄の愛楽園は昭和13年開所ですから、昭和になって行っていたと言うのは、この二つの内の一つと思います。
2015/6/4(木) 午前 10:22