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ブロ友さんが、かつて撮影された船越の写真をお借りして、船越の今と大震災前を見てみます。
2011年3月11日に船越地区に襲来した大津波は、16mとも17mとも、場所によっては20mを超えていたとも。
地震が発生し、写真の神社まで高齢の方を含む10名以上が登りましたが
想像以上の大津波が見え「ここもあぶねえぞ」とさらにかけあがりました。
やがて山の下は「ガレキ」だらけになり、身動きが取れず、ほこらの中で震えながら救援を待ってました。
その時、反対側の高台では、若い人たちが声をかけ、物資を届けることを志願し、5人で一本の綱を持って列をなして山の尾根沿いにほこらを目指しました。ロウソクの火だけを頼りにして。
震災直後、毎朝、浜を歩いた。誰かのご遺体があがらないか、ご住職があがらないか、本家のおばあさんがあがらないか、誰かの大切なアルバムや位牌があがらないか、浜を歩いた。
ガレキだらけの時は、浜に出るまでが大変だった。釘を踏み抜いて足に大けがを負ったが、それでも歩き探し続け、今でも日課になっている。
半壊状態の家につばめがやってきた。こんな何にもねぐなった家に、つばめは帰ってきてくれた。
つばめのために、窓を開け放ち、子育てを見守った。
船越の方々の証言から。
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要談「石巻市 雄勝町」
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震災前のめぼしい建物は殆ど無くなりましたね。同じ場所の写真と見比べてみないとかつての光景を想像することができなくなってしまいました。
現地を訪れる度に雄勝も石巻と合併したことによる悲哀を押し付けられた感が否めません。
2015/8/3(月) 午後 8:01 [ スタリオン ]
> スタさん
雄勝病院の悲劇など、この大震災の象徴のような事件は、平成の大合併によるものが起因と考えています。
被災後の、また最近の写真だと、もともとこういう場所だと思う方もいますので、震災前の写真をお借りしました。
これだけで大震災を語れるとは思いませんが
何が起こって、どんな日々を送り、今 どのような気持ちで暮らしておられるか、これからの発信が大切ではと感じています。
今 イベントが盛んですが、大震災の悲劇性が語られる事を避けている節も感じています。
2015/8/3(月) 午後 8:41