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1年ぶりの気仙沼、滞在時間はわずかで、どなたとも会わずに次へ急ぎました。
登米から本吉へ、そこから市街地を目指し、JR気仙沼駅、そしてみなと町へ。
そこで目に入ったのが、旧気仙沼女子高の解体風景。
ちょっとショックでした。カマボコ体育館が無くなってしまってます。
もちろん、市民の方にとっては、大震災によって、故郷が変わってしまった訳ですが
被災後しか知らない私たちでも、2011年、12年の頃からとても変わっていきました。
港に行く度に、フェリーターミナルが無くなって、それだけでも今だに戸惑います。
気仙沼女子高校跡地には、災害公営住宅が建設されるということですが
そこで感じたのは、復興ということで、以前とはまったく違う気仙沼にしてしまわず
元の景観を取り戻すような計画があってもよいのでは、と差し出がましくも考えています。
神戸の長田などでも、そうでした。
被災前とまったく違う町並みになってしまい、元の住民が帰ってきたのは3割にとどまりました。
カマボコ体育館があった場所なら、屋根を丸くして元の風情を残す、コストがかかるのかもしれませんが
しかし、本当はそれくらいの予算は出せるはずなんですよね。
他のことには、ジャブジャブ使われていますから。
そういう復興計画というのをいつも考えています。
ポーランドのワルシャワなどは、戦災ですが、絵を元に、戦前の姿そのまま復興しました。
みなとに行く直前に気仙沼駅に立ち寄りましたが、新しいあの駅舎を見て、風情が無くなった・・・
と感じたものです。
人が戻ってくるには、そういうことも必要ではと思うんです。
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要談「気仙沼市」
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町の復興とは単にインフラやハコモノの整備だけすればよいのではないことを痛感しています。
戸羽市長は震災直後町の復興について「過剰に整備された無機質な町ではなく、古里と呼べるような町を作っていきたい」と書いていますが、今の様子からすると言動不一致としか思えないんですね。
これに対して作家の内館牧子氏は「地霊に逆らった町作りをしてはならない。さもなければ東北は滅びる」と警告しています。抽象的な例えですが、最近はこの意味が何となく分かるような気がしてきました。
2015/8/4(火) 午後 11:00 [ スタリオン ]
> スタさん
おはようございます
決して抽象的とは思わないです、むしろ肝をついた言葉だと思いました。
なかなか一筋縄にはいかない 大変厳しい制約の中で
多くの声を丁寧に聞くと 復興は遅くなり
強く推し進めると 不満や批判が広がり
現場の苦労は並々ならないと思いますが
変えてはいけない何か
必要な何か
地質や地形、培ってきた風土 歴史
というものがあると感じています。
今回 非常に広い範囲を急ぎ足ではありましたが、見せていただき、やませ など自然現象を感じて
東京や都市部の価値観を先進として、東北に置き換えて良いのか?
と、あらためて実感しました。
意味の分からないモニュメントや、不自然に整備された公園
AんどうTだお 的な発想の建物などは やめてもらいたいと思います。主観ですけど
2015/8/5(水) 午前 8:12