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今日は11日ではないですが、大川小学校を思います。
といっても、ほぼ毎日、東北、また大川小を思わない日はないのですが。
今年の夏に、初めてあの慰霊碑に上げていただきました。
大川小学校の生徒さん、教員、またその地区で亡くなられた方々のお名前が刻まれており
ある生徒さんのお名前を見た時は
怖かったべ、きっと「お母さん!」と叫んだんじゃないか、など想像し
名前の文字ですが、そこにいるようで、心で語りながら手を合わせておりました。
しかし、そこには数え切れない方々のお名前が刻まれており
小さな小学校と、小さな集落だけで、これほどの方々の命が絶たれた現実を
もっと正面から見つめていかねばと思いました。
分かったようなことを書いていますが・・・
津波で町が全部流されて、皆平等に被災した
という人がいましたが
金持ち、経済的に苦しい方など個人の単位でも、
地区や自治体の単位でも、公務員削減や医療機関の縮小、また合併など
小泉改革をもろにかぶった地方都市として見ても、やはり生活環境に比例していると思います。
そして、可哀そうな東北 という上から目線ではなく
また東北で何をするべきか、を考えるのではなく、何をしてはいけないか、も大切なことだというのも
世界の貧困地や紛争地、被災地で活動されている方の共通認識です。
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要談「大川小学校」
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大川小学校
むずがすい問題、課題ですねー
先週は裁判官か?お偉いさまご
現地視察したようです
裁判?訴訟?遺構?
たくさんありすぎる大川小学校
見守るばかり、見るだけの我が家
カツどんどん@宮城県
2015/11/17(火) 午後 7:54 [ カツどんどん ]
ありがとうございます。
ホントにありがとうございます。
記事を読みながら、涙がこらえきれず…です。
今を生きていていたら、どんな高校生活を送っていたでしょうか…
問いかけてかみても誰も答えてはくれませんが…
私たちには思い描くことしか出来ません。
でもこうして、遠い地で忘れないでいてくださることに感謝の気持ちでいっぱいです。
2015/11/17(火) 午後 8:21 [ chi*12*c*n ]
4年前の8月、初めて仙台に降り立ってまず最初に向かったのは大川小学校でした。大川小学校の惨事についてはニュースで色々報道されていましたが、やはり実際に自分の目で見ておくべきだと思ったからです。
この時、何故川に近い三角地帯に避難しようとしたのか違和感がありました。一番問題に思うのは、教育委員会や検証委員会の報告書が「想定外の津波だったので犠牲者が出たのは仕方がない」というスタンスを取って遺族らと向き合おうとしなかったことです。責任逃れしか考えない関係者犠牲者を無駄死にへと貶める行為だと猛省を促したい。
2015/11/17(火) 午後 8:53 [ スタリオン ]
> カツどんさん
自分も、見守ることしかできません。
雄勝、船越も、形は違っても復興に課題もあると思います。
被災して、悲しみのどん底にある人を、さらに苦しめ続ける、この社会の仕組みに対して、憤りを覚えるばかりです。
2015/11/17(火) 午後 10:39
> chi*さん
感謝されることは何もしていませんが、また何もできないでいるのが事実ですが
ただ、忘れないでほしい、というchiさんや、東北の人たちの気持ちをつなぐことはできます。
ほんの少しですけど。
本当に大変な大惨事が起きて、時間が経てば、忘れろ、前を向け、進め、いつまでも悲しむな、いつまでも被災者面をするな
は、あまりにも、むごたらしいです。
ボランティアのベテランに反対されようとも、間違いだと言われようとも
自分は、それとは反対の立場でこれからもいます。
2015/11/17(火) 午後 10:47
> スタさん
スタさんの行動に、いつも良い刺激をもらってます。
あの時、なにがあったのか、なぜ我が子に二度と会えなくなったのか
真実を知りたいという方々の気持ち
あるいは、静かに過ごしていきたい
という方々、徹底的に追及をされる方々
皆さん、それぞれ想像を超える悲しみを抱えてこられたと思います。
それに対して、「仕方が無い」というのは、あまりにも血の通わない脳の発想だと思います。
その悲しみを少しでも一緒に背負いたいという「同苦」という発想があれば
大川小学校をめぐる事も少し違う道を歩んだのではないかと思います。
「大川小事件」という言葉が使われるようになりましたが
ただでさえ苦しい状況の方々を、なぜさらに苦しめる事態を作るのか
今の社会のあり方をこれからも問うていきたいです。
2015/11/17(火) 午後 11:00