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「あの日 わたしは」から
石巻市にあった、精神科 恵愛病院
2011年3月11日の大津波で、24人の患者と3人の職員が亡くなられました。
また津波襲来後、支援が届かず数日孤立しました。
同院で看護部長を務めていた女性
『必ず、どんな状態でも生かす努力をするのが私たちの役割なのに
それをできないで・・・手放さなくてはならないのは、大変なことでした」
多くの命を失われたことで、震災後も苦しみ続けました。
あの日、病院には115人の患者がいました。
地震発生後、職員の方々は、患者を一階から二階へ避難させようとしていました。
50人ほどが集まっていた一階の広間にいた、看護部長だった女性は
窓の外を見て異変に気付きます。
『津波がやってきたんです。
本当に中庭から見ると、上から波が降りてくる感じでした』
黒い水が窓を突き破って流れ込み、天井近くまで達します。
患者や職員たちは、浮いたり、沈んだりしながら、互いに声を掛け合いました。
しばらくして、水が激しく引き始めました。
水の中には、まったく動かなくなった患者が20人以上いました。
全員を助ける時間はありません。
女性は決断を迫られます。
『あきらめる人と、今すぐ助ける人との、区別をつけなくてはならない・・・
「どうしますか」と言われた時に、やはり、それを判断するのは自分だと
若い人には、そういうことをさせられないなと思って
1人でも多くの人を助けるためには、諦めなくては いけない人もいると・・・』
強烈な引き波の中で、女性は息がある患者を二階へ運ぶ指示を出します。
一方、助かる見込みが少ないと思われる患者の手を離さざるえませんでした。
『手を離すと、すごい勢いで流れていくわけです
本当に断ち切られる、という感じでした。』
その後、女性たちは生き残った患者たちを、市街の病院へ順次転院させることにします。
3月末に、すべての患者の移送が完了したあと病院は閉鎖
女性も退職します。
あの日の出来事は、女性を苦しめ続けました。
女性は人と会うことを避け、毎日、近所の道をひたすら歩きました。
『生きてていいんだろうか、取り返しのつかないことを
自分がしてしまったような、そんな気持ちで・・・・』
1年後に転機が訪れます。
知り合いに誘われ、デイサービスで働きはじめます。
そこからは、元の職場の病院が見えます。
『進みたい という気持ちかな
あとは、声をかけられたのが、一番大きいと思います。
病院の跡地を、毎日、出勤の度に見られることで
私としては、亡くなった方たちに、(祈り)の気持ちを告げられるっていうか
そういうチャンスをいただいたことに、今になって感謝しています。』
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NHK「あの日 わたしは」
4年見ていますが、お1人お1人の体験が、言葉で言い表せないものばかりです。
今日記事にさせていただいた方の体験は、その中でも強い印象に残りました。
そういうことを経て、今を生きておられる。
それを知っていくことも必要ではと思います。
2015/11/27(金) 午後 6:47
自分は医療、福祉関係の施設が震災当日からその後どのようなことになっていたのか気になって書籍やニュース記事に目を通してきました。そこで感じたのは「死ぬも地獄、生きるも地獄」ということでした。
雄勝病院の医院長は住民から避難を促されたにもかかわらず、「患者を置いて逃げられない」として犠牲になりました。
医療関係者が犠牲になるとその後の医療活動に支障が出るとして「患者の避難」より医師、看護師らの避難を優先させよ、と通達を出した医療機関もあります。しかし現場の人たちの心情からすれば雄勝病院の医院長と同じ思いだと思います。
この震災では日本が抱える問題が一気に噴出した感がありますが、そのしわ寄せはいつも弱者に降りかかるようになっているのが今の日本なのだということをよく考えて欲しいものです。
2015/11/27(金) 午後 10:24 [ スタリオン ]
> スタさん
目の付け所が流石ですね。えらそうな言い方で恐縮ですが。
東日本大震災 原発事件 の象徴の一つが、医療 福祉の現場だったと感じています。
なかんずく、雄勝病院の悲劇は、本当に象徴的でした。
その背景に、小泉改革や社会全体の問題の縮図のようでした。
大震災では、元々抱えていた問題が、一気に被災地に押し寄せ
仰るように、弱者はさらに弱者へと追い詰められます。
その後も、生活環境に比例していますね。
政治に対して監視はすべきなのに、スキャンダラスな流言ばかり飛び交い
声なき声が、かき消されていることは、誠に不幸なことです。
2015/11/27(金) 午後 10:50
> スタさん
記事中の女性は、テレビの中では、お話しされる時、とても穏やかな声で、やや笑みを浮かべるんですね。
それが、本当に残酷さをものがたっていました。
自身も津波に耐えて必死だった中で、助ける人、手放す人を選択しなければ
さらに多くの犠牲者がでたであろうという、その判断をしなければいけない
この大震災のことを知る上で、知っておくべき壮絶な体験だと感じて、紹介させていただきました。
2015/11/27(金) 午後 10:56