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ブロ友さんの記事を拝見して、発災後の「被災地」を、ボランティア活動無しで1人で訪れた時の写真を見返してみて、あらためて思い起こしたり、新たに気づいたことがありました。
その中で、気仙沼での写真で、この時を最後に見なくなったものも多々ありますが
印象に残ったものの一つに、気仙沼での焼けた自動車がありました。
津波火災は岩手県の山田町をはじめ、被災各地で深刻な被害を拡大しました。
石巻市日和山付近、気仙沼市街地、気仙沼大島、大槌などで、それぞれ津波火災のお話を現地で聴く機会もありました。
現在石巻市になっている旧郡部の方は、あの日の夜、北上川周辺から、石巻市中心部の空が真っ赤になっているのを見られたとも。
気仙沼市街地では、燃油タンクやプロパンガスなどが火災発生の原因とも言われていますが
南気仙沼にあったタンク23基のうち、22基が破壊され、25mプール32杯分の重油や軽油、ガソリンが流出したと言われており、ガレキが波間を漂い、風や津波にのって、火災は拡大し、大島にも流れ着く大火災となりました。
木材が油を吸って、ろうそくの芯のような役割を果たしたことが、長時間の燃焼と拡大につながったという研究結果もあるとのこと。
臨界工業地帯に潜む、災害リスクとも。
発災1年後の鹿折地区です。
車の状態から、威力がどれほどのものか、容易に察せられます。
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要談「気仙沼市」
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あの震災はまさに「火責め、水責め」だったと思い知らされます。こうした大火災を前にして何もできなかった消防士や消防団の人たちは本当に無念だったと思います。
自分も門脇地区や大槌町で火災の跡を目の当たりにしましたが、今後は津波火災が発生した時の対策をきちんと考えておかなければならないでしょう。
以前大島を訪れた時、海岸に焼けただれた小型船が打ち上げられていたのは未だに忘れられません(おそらく気仙沼から漂流してきたものでは)。
2016/1/25(月) 午後 8:31 [ スタリオン ]
> スタさん
消防士、消防団の無念さ、「あの日わたしは」でも、何度か取り上げられていました、
大槌の消防団の方の話しを、間接的に伺ったことがありましたが
実際のその場で無念な思いをされ、それは一生消えないものもあるかと思います。
私たちにおいては、知ったことの責任を深く自覚することが大切なのか、と考えています。
大島に2011年にボランティアで入った方に聞きましたが、気仙沼湾から漂流したものだと言ってました。
大阪市内では、直下型にせよ、大きな地震が発生した場合
家屋の倒壊とともに、火災の拡大が大きな懸念になっています。
接道幅員が4mをきる木造家屋が密集している地域が多く
そういう家屋には、高齢の方が多く暮らしており
その対策は後手後手です。
国土強靭化やら防災減殺ニューディールやら・・・どこへいったのか・・・
2016/1/25(月) 午後 10:23