そして、地元の、ある中小企業が、コンサルティング会社とは逆の発想で施設を再稼働させることに成功しました。
ここだけではありません。
あちこちで、これと同じ話が(特に宮城県)あります。
東日本大震災で津波をかぶった宮城県名取市の農地で昨年9月、野菜の植物工場が再稼働した。もともと震災後に農家が建てて運営していたが、経営に行きづまって昨年1月に破綻していた。施設を買い取って再建したのは地元の運送会社だ。今回は「復興の象徴」と言われた施設の立ち上げから破綻までの経緯と、再生の行方について考えてみたい。
震災の補助金3億円で巨大な植物工場
施設の運営会社は、3人の農家が震災の年の11月に設立した。3人のうち2人は60代の兼業農家。もう1人は50代の専業だが、被災したときにつくっていたのは花だ。だれひとりとして、機械で溶液の温度を管理し、野菜を育てる技術をもっていなかった。そして3人とも、震災前は植物工場をつくることなど考えていなかった。
立ち上げで中心となった兼業農家は震災直後、「もう農業はやめよう。年金が出るまであと数年だ」と思っていた。町でたまたま2人と会っても、お互いに口から出るのは「この先どうしよう」という戸惑いの言葉ばかりだった。そんなとき、東京のコンサルティング会社が被災地に植物工場を建てることを提案していることを知った。
津波で農地や農機具を失った農家たちが、新しい施設をつくって営農を再開しようと思うことじたいは自然なことだ。課題は、3人が栽培技術も売り先も持っていなかった点にあった。だがこれは、時間をかけてノウハウをつめばクリアできないハードルではない。本当の問題は、震災からの復興を名目に3億円近い補助金が出たことにある。ふつうの農家のビニールハウスとは比較にならない巨大な施設が誕生したのだ。
自省を込めて言えば、施設が稼働し始めたばかりの2012年6月に現地で取材したとき、「大丈夫だろうか」と心配はしたが、これほどあっさり破綻するとは思わなかった。中心となった農家の「3年苦労して、5年で実らせて、10年で後継者を育てる」という決意を聞き、復興のエピソードとして紹介した。・・・
こうしたコンサルタント会社やNPO法人全てとは言いませんが、実状にそぐわないトンチンカンなことをやらせた挙げ句に尻拭いもせずトンズラ…というパターンが目立ちます。
派手な立ち上げはメディアも取り上げますが、その後破綻したことなどは殆ど報道しません。こうした支援はその地の風土や歴史、文化を無視してできないと思うのですが、やはり「中央」の目線だと考えが及ばないように見えます。
2016/2/7(日) 午前 9:05 [ スタリオン ]
> スタさん
成金のセオリーでパソコンの前で考え、パワーポイイントでレクチャー
そういう愚弄張る感覚で、仰るようにその地の風土や歴史、文化を無視して
上から目線で「やってあげる」こうしたものが
土木の復興も遅らせていることは、各地で明白ですが
さらにそれを、県外からの美談やエールでかき消していっています。
さきほど、ある方が書いておられるのを見ましたが
定形の野菜ばかり選定して売り出し、それに当てはまらないものは不良品としてしまう
その感覚ですね。
2016/2/7(日) 午前 9:23