ある日、私は手厳しい洗礼を受けた。覚醒剤依存症の男性患者が口角泡飛ばして説教する私を遮り、こうすごんだのだ。
「害の話はもうやめてくれ。先生が知っている薬物の害なんて、本で読んだだけの知識だろ? こっちは自分の体を使って10年以上『臨床実習』してきた。先生なんかよりはるかに詳しい。それなのにこうして病院に来てる。なぜだかわかるか?」
彼は厳しい目で私を見据えてから、不意に声を和らげた。
「俺は薬物のやめ方を教えてほしいんだよ。やめ方を」
ひと言も反論できなかった。完全に彼が正しかった。
薬物依存の人を批判するのは簡単ですが
様々なことは、個人の問題ではなく、社会の問題だという視点が無い限り
何も改善されないですね。
政治もまた同じく。
他人事にしている限り、何も変わらないどころか、悪化の一途。
約20年前、私は不本意な人事で薬物依存症の専門病院に赴任した。当初の私は、半泣き顔で診療していたに違いない。どうやって治療したらよいのか見当がつかなかったからだ。何しろ「覚醒剤を嫌いにする薬剤」など存在しない。私にできるのは、薬物の害を懇々と説教することだけだった。
だが、患者の多くは説教に閉口して通院をやめるか、さもなければ「別に死んでもいいさ」「俺は太く短く生きるからいい」と居直るだけだった。いら立った私は認知症患者の脳画像を示し「覚醒剤を長年使ってきた人の萎縮した脳だ」と詐欺同然の説明までしたが、誰も薬物を断てなかった。
ある日、私は手厳しい洗礼を受けた。覚醒剤依存症の男性患者が口角泡飛ばして説教する私を遮り、こうすごんだのだ。
「害の話はもうやめてくれ。先生が知っている薬物の害なんて、本で読んだだけの知識だろ? こっちは自分の体を使って10年以上『臨床実習』してきた。先生なんかよりはるかに詳しい。それなのにこうして病院に来てる。なぜだかわかるか?」
彼は厳しい目で私を見据えてから、不意に声を和らげた。
「俺は薬物のやめ方を教えてほしいんだよ。やめ方を」
ひと言も反論できなかった。完全に彼が正しかった。彼は周囲からさんざん説教や叱責を受けてきたはずで、それでもやめられないから病院に来ているのだ。いまさら素人と同じ説教を、わざわざお金を払ってまで聞きたくはあるまい。
だが、当時の私には薬物のやめ方など知る由もない。せめてヒントだけでも知りたいと始めたのが「患者に教えを請う」。つまり、善悪の判断はひとまず置き、薬物が欲しくなる時や、今回使ったきっかけ、使うことで感じるメリットなどを謙虚に尋ねてみることだった。すると意外にも、通院を中断する患者が減り、長期の断薬に成功する者も出始めた。いつしか診察室は、患者が「クスリを使いたい/使ってしまった」と正直に言える唯一の場所になったのだ。
私の薬物依存症臨床はここから始まった。(まつもと・としひこ=国立精神・神経医療研究センター部長)
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以前、TEDでしたか、人間関係が良好な人は、それで心が満たされているから、服用してもならず、人間関係に問題がある人は、服用すると依存に。あえて禁止しない国は、そういった特性からと見た記憶があります。
今回、改めて副作用啓蒙が言われていますが、人間関係の改善がなぜ同等以上に叫ばれないのでしょうか。恋をして脳が活性化される場所は、同じかつ副作用なし。推測ですが、依存性の高いタバコ、精神薬からの断薬等の治験が生かせそうな気もします。死の商人はもちろん悪ですが、氏の心や人間関係の闇、社会がそうさせてしまう闇をクローズアップしないのはおかしいと考えます。
2016/2/12(金) 午前 5:59 [ Kasshini ]
> Kasshiniさん
その通りやと思います。
タバコはやめられる人が多いですが
薬物は一生やめ続けなければならないと言われます。
治験が活かされるケースもあれば、個人差があるかもしれませんが
ただ、根本は人間の支えでしょうね。
強いと言われた木も、幹が弱いと支えが必要だということを感じる事件でした。
今、報道がされている時に、そういうことを考えるきっかけにしたいですね。
2016/2/12(金) 午前 10:21