こどもは、だんだんと 先日、節分の日のあと、廃棄された「恵方巻き」の写真とともに
捨てるなら貧困にある子どもたちに食べさせろ
という「投稿」や「記事」が拡散されていました。
廃棄するならもったいないから、食べられない人へ・・・
貧乏人は余りものを食えという、上から目線。
自然災害被災者に対しても、同じ。
貧困や被災者をその「役割り」におとしめる感覚・・・
なんで、そんなせつない思いをしないといけないのか
なんで、そんなせつないことを強いるんやろ・・・
たしかに、緊急時や制度や状況で、ありのケースはありますが
そういうことでなく、あたまから廃棄するなら貧困の人に、という上から目線の発想は
日本の支援やボランティア、福祉の制度や現場で多くみられます。
●子ども食堂への関心が高まっていると感じていますが
中にはブームに乗って開設しようということも実際にありました。
また、利用する子どもたちに対して、食事の前に手を洗い、調理する側は三角巾着用
という、これまた上から目線の子ども食堂もあるようです。
まずは、貧困の実態やそれに追いこまれる社会の構造など、現場で見て知って感じることが先なんでしょうね。
食事の前の手洗い励行、子ども食堂に来る子どもたちは、そういう「しつけ」を受けてない子も来ます。
そういう子どもにとって、手を洗え、汚い手でおにぎりをつかむな
そんなことを、おとなに言われる場所など、子どもにとっては窮屈で仕方ないでしょう。
おとなは知らないのだから教えてあげるよ、と矯正=強制しますから
そんな面倒くさいところ、居心地が悪くて二度と行きたくないでしょう。
子ども食堂には、3ヶ月お風呂に入れず、シラミが湧いて、そのまま小学校に通う子も来ます。
そういう子どもにとっては、清潔好きのおとなが一番の敵です。
清潔が善、不潔が悪、という常識は、国民国家体制を作る時のマインドコントロールで
その中で「不潔」は「劣等」という考え方が広がっていき
ハンセン病の人たちが強制隔離され
被差別部落、アジアの人たち、沖縄の人たちが、隔離居住されていった
そういう歴史があります。
手洗いは強制せずとも、選択肢の一つで良いのでは?
そもそも教える必要が無いんです。
教えることで、「ああ、自分はやっぱり汚いんだ、おにぎりを食べに来るだけじゃダメなんだ」
となり
周りの子どもも、「あいつは汚いから、手くらい洗って、まずキレイにしないと食べちゃいけない子だ」
という差別心を植え付けます。
手を洗うことが善ならば、3ヶ月もお風呂に入れてもらえない自分の家に帰ることが嫌になっていきます。
多くの子どもは、ネグレクト家庭ですから、子ども食堂で
手を洗ってからご飯を食べようと言われたけど、パパもママもなぜそうしないの?
なんて子どもが親に言ったら、虐待がエスカレートする可能性は大きいです。
子ども食堂がブームのように増えて、今、岐路にたって、いきつまっている子ども食堂は
手を洗おう、三角巾をしよう、野菜中心の食事で食いくを、放射能汚染のない安全な食事を子どもに
という「常識」が幅をきかせていることだからです。
子ども食堂に限らず、貧困やホームレスの現場でも、また災害被災者への支援もまったく同じで
いわゆる「支援」は対等な関係を確保するということが求められるんですが
上から釣り上げるような、上から目線の支援に走ってしまいがちです。
上から引っ張りあげるのではなく、下から支えることが重要です。
おとなには、自分はこう育った、こうしつけられた、という家訓のようなものがあり
それが盲点となり、子どもの最も嫌うこと、おとなが子どもたちを育てた自信と経験が
子どもには窮屈なんです。
その延長に、可哀そうな人、気の毒な子ども、という上から目線の支援が横行し
「善意」による差別が定着しつつあるようです。
自身無く関わることがどれだけ重要か。
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放談 「貧困・差別・ホームレス」
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