エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談 「震災関連 神戸・東北」

[ リスト ]

祈りの場所

大震災発生の翌月に、京都駅から車で陸前高田を目指したのが、初めての東北でした。
その時は、声にならないため息ばかりと、言いようの無い緊張感に全身が包まれました。
カメラを持参したわけでもなく、当時の携帯で撮影をしようとも思えず。
また当時はボランティアをしたとブログに書くのもどうかとも思っていたり
自分なんかが、東北の現状を伝えるのはおこがましいと思っていたので
陸前高田にご友人がおられるブロ友さんに個人的にお伝えする程度でした。

さて、自分の思い出話しなんかをする意図はないんですが
1年目の前半は岩手の陸前高田と大槌、遠野の避難所でした。
自衛隊などが重機でとりあえず確保された道路以外は、すべて津波流出物、いわゆるガレキで埋め尽くされていました。
現地に着いた時、誰が言うともなく、自然に誰もが町に向かって手を合わせていましたし
ボランティアの活動をする場所に行く間に、時折、花が手向けてある場所や
津波で流されたのではなく、後から置かれたであろう
子どもが好きなキャラクターのぬいぐるみなども目に入ると、そこで足を止めて手を合わせ。
また作業開始前にも町や海に向かって黙とうしていました。

ガレキが取り除かれていくと、それまで、ガレキの中の建物として見えていた、津波に残った鉄筋コンクリートの建物が次第に浮いて見えるようになっていきました。
そして、それらの場所に花が集中しはじめ、祭壇もできていきます。
そこには国内外の様々な宗教の礼拝対象物や塔婆、像、千羽鶴、人形、飲みもの、食べ物などが
置かれていき、次第にその場が祈りの場所になっていきました。
その場所は、亡くなった方々がおられた建物でした。

まる1年が過ぎて、次第にガレキがほとんど撤去されていくと
残った建物だけがポツン ポツンと存在していましたが
そこが祈る場所だということには変わりませんでした。(主観的に)
また、建物に限らず、歩いている道、見えている町のすべての場所で
数百 数千の方が亡くなった場所でもあり、今もそうですが、やはり緊張感があります。
そして、遺構という言葉が使われはじめ、存続か解体が言われはじめます。

その遺構の候補も次第に解体されていき、盛り土がなされていくと
私たちのような県外の人間には、祈る場所として意識する場所が無くなっていくように感じていきます。
もちろん、遺構だけが祈りの場所ではありませんし、また追悼ための施設や墓碑などは別です。
また、「被災地」とは言いますが、普通の町だった所で、すべてを祈る場所として捉えて良いのかも分かりませんが
県外の者がそこを訪れる時、少なくとも祈るということが、心から発してくるんです。
陸前高田でいえば、一本松や高田町の海の家などが保存されていますが、そこでは手を合わせることはないです。
その前に高田の松で作られた追悼施設があるので、そこでは手を合わせますが
気持ちとしては、町の中や海に向かう時に自然に手が合わさったり、心で祈ります。

あの津波の写真や映像、その後の現状を実際に目で見て、声なき悲鳴が聞こえそうな現状と
嘘のような穏やかな海が目に焼き付いているので、どうしてもそういう気持ちになります。
それは建物が無くなった跡地も同じ
宮城沿岸部や福島の南相馬や浪江、双葉でも同じでした。

実は、東北に行く5年前まで、神戸などに行くことがあっても
1月17日以外で、そこで祈るという気持ちを忘れていたことに気がつきました。
その賑わいに惑わされてしまっているのかもしれません。

被災した地域の復興が進んで賑わいが復活しだした時
「みんなに笑顔が戻った」となって忘れてしまわないか
そんなことは忘れて、笑顔と賑わいが戻ればよいのか
それとも、そもそも祈る場所ではないのか
そこに眠ってなんかいないのかもしれませんし
生まれ変わっているのかもしれませんし
宇宙に溶け込んでいるのかもしれませんが
いずれにしても、個人としてはそこで何があったのか忘れることはないので
さしでがましいと批判されても、祈る場所が無くなっても
また心の中であっても、そこに行けば祈るということは自然な気持ちとしては忘れないでしょうね。


「要談 「震災関連 神戸・東北」」書庫の記事一覧

閉じる コメント(6)

顔アイコン

共感します。

2016/3/15(火) 午後 8:17 [ lin*d*e15 ]

言われてみると自分も震災直後は何処ということなくあちこちで合掌や黙祷をしたり、お線香や花を手向けたりしていました。自然とそうさせる空気があったのでしょう。
しかし町が更地になって嵩上げされたりするとそうした思いが薄れていくような気がします。震災遺構は遺族らにとって辛いことを思い出させるかもしれませんが、自然と「祈り」の気持ちを起こさせるものでもあるのかな、とも感じます。

2016/3/15(火) 午後 9:53 [ スタリオン ]

津波や地震の頻繁する地域でありながら、今まで犠牲者のために祈るということがほとんどありませんでした。
遠い昔の話という感覚で、まして家などが建ち並ぶと慰霊の場所という認識は生まれませんでした。
バスガイドとして何度か三陸沿岸を回り明治、昭和の大津波についても案内していたけど、正直想像もつかなくて漠然としたイメージだけしかありませんでした。
伝えていく事も祈り続ける事も、代が変われば難しいのかもしれませんが、伝えなければ風化する早さも加速します。
自分の住む場所の歴史を学ぶって、重要視されていないけどすごく大切な事ですね。

2016/3/15(火) 午後 10:15 [ つばき ]

> lin*d*e15さん

おそれいります。自信につながります。

2016/3/16(水) 午前 7:47 春光

> スタさん

>自然とそうさせる空気があった

同じ気持ちで、そこに行くと自然とそうなりました。
祈らざるえない、空気さえ感じました。

仰るような、その情景の変化とともに、祈りや心をそこに置いてきた場所から
祈りを取り払ってしまいかねないのも、正直な気持ちです。
そこに暮らしていた方々の気持ちはわかりませんが。
ただ、これからも、訪ねる度に、自然と祈りの気持ちがおこってくるとは思いますが。

2016/3/16(水) 午前 7:54 春光

> つばきさん

多くの人にとっても同じかもしれないです。
賑わいや生活感で、そういう意識は完全に削がれてしまいますね。
良い悪いの問題ではなく。

自分にとって、奥尻島が津波を意識したはじめの震災でしたが
その10年後のスマトラ島沖地震の大津波の映像を見るまでは
ピンときていませんでしたし
同じ国の東北の津波に対しても、同じく、か、もっとかもしれませんが
漠然としていてイメージすることすらありませんでした。

実は大阪も地震や津波が繰り返し襲った地域なのに
阪神・淡路までは火山が無いから地震はこないと広く信じられていました。
これが風化のたまものです。
今、日本で一番危機意識がないのは大阪のような気がしています。

>伝えていく事も祈り続ける事も、代が変われば難しい
伝えなければ風化も加速
自分の住む場所の歴史を学ぶって、すごく大切な事

そこに集約されるのかもしれないです。

2016/3/16(水) 午前 8:05 春光


.
検索 検索
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

春光
春光
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事