避難所から彼女たちを求め電話をしてくる人。中には愛する家族を失った人たちも多かったようです。
お客のひとり、30代後半の男性は、こう語っています。
「どうしていいか分からない。人肌にふれていないと正気でいられない」と。
「子供と奥さんと両親が津波に流され、長男と次男は助かったらしいんですけど、いちばん下の男の子と奥さん、あと両親が亡くなったそうです」
男性は、サービスの後で添い寝をして欲しいといい、チャコさんは応じたといいます。この男性は、震災時に仙台に出張中で、両親・妻・娘ふたり・妻の両親を乗せたワゴンが津波に流されました。後日、現場へ行ってみると、ワゴンの中には遺体が残されたまま...。無惨な光景を目の当たりにしたといいます。現場は遺体搬送が出来ないほど人手不足だったようです。44歳で夫と3人の子どもを持つユキコさんの話。亡くなった妻に似ているんだよね・・・
今日、病院の待合室で読んだ記事です。
以前、被災後に生きるためにAV女優になった女性の本もありました。
真剣な大震災のリアルとして。
東日本大震災発生からわずか1週間で営業を再開した風俗店があった。死者1万5894人、行方不明者2562人(2016年2月10日現在)という未曾有の大災害の直後にもかかわらず、普段の倍近い客が殺到。それを「不謹慎」という言葉で切り捨てるのは簡単だろう。
だが極限状態だからこそ、人は肌の温もりを求めずにはいられなかった。3月10日に発売される『震災風俗2 件嬢』(小野一光著)には、テレビや新聞では決して語られることのないドラマが描かれている(本文中の発言は同書より引用)。
震災直後に営業を再開したデリヘル店がある。“戦場から風俗まで”をテーマに執筆活動をしているノンフィクションライターの小野一光氏は、2011年の4月上旬、被災直後の北上市のバーでそう耳にし、被災地の風俗店を訪ね歩いた。
21歳のラブさんと28歳のチャコさんが働いている石巻市のデリヘル店は、震災後わずか1週間で営業を再開していた。事務所は津波で被害に遭ったため、ごく普通の民家を新事務所にしての再開だった。
ラブさんは地震発生後、石巻市の繁華街に隣接する日和山に避難して事なきを得た。津波が街を呑みこむ様は、「映画の世界にいるみたいで現実感がまるでなかった」という。だがなんと、その1週間後には風俗の仕事に復帰したのである。
店の経営者によれば、自分たちの商売ということもあるが、「女の子たちが稼いでなんぼの世界だからね。こういうときだからおカネも必要でしょ」と早めに女の子に連絡をつけ、逞しく営業を再開したのだという。
石巻市内で最初にラブホテルの営業が再開したのは3月28日だった。電気の復旧は早かったが、水道がなかなか復旧しなかったのだ。しかも営業を再開したのは2軒だけ。そこには避難所で風呂に入れない被災者が殺到し、空き待ちで車の列ができた。
「それでお風呂に入りにきたついでに遊びたいというお客さんが多かった。だからお店もすごく忙しくて、(震災前は一日二〜三件だったのが)一日に五本とか六本とかついたりしてました」(チャコさん)
さらに、客が女の子に求めたのは性的快楽だけではなかった。
「みんな癒やしを求めてましたね。お客さんの口から『癒やされたい』とか『心を落ち着かせたい』という言葉が出ていました。だから私もそういう人たちを癒やしてあげたいなって……。髪を洗ってほしいと言われて、洗ってあげたりとかしましたね」(ラブさん)
話を聞く、肩を揉む、髪を洗う、全身を洗うなど、性感サービスに限らず、相手に求められることをやったのだという。
チャコさんは、1階が津波で完全に破壊されたアパートの2階に呼ばれたこともあった。
「家を流されたり、仕事を失ったり(中略)家族を亡くしたという人もいましたね」
両親と妻と子供を一度に津波で失った30代後半の男性客は、チャコさんにこう打ち明けたという。
「どうしていいかわからない。人肌に触れないと正気でいられない」
■取材協力/小野一光(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2016年3月11日号
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