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【一般部門 優秀賞】大阪府・北河森太郎
泥だらけの白衣
あんなに泥だらけの白衣を見たのは初めてのことだった。3・1 1の東日本大震災。
発生後約一カ月が経ち、私は他の警察官と共に南三陸町にいた。 町のイベントホールはすでに避難所となっており、被災者は寄り添うように暮らしていた。
そのホールの隣には犠牲となった方たちがひつぎの中に横たわる安置所があった。
私たちの任務はそこを訪れる遺族と、ご遺体との対面に立ち会うという、悲しみ極まるような任務だった。
安置所には私たちのほか、行政職員、医師、保健師、そして全国から派遣された看護師たちが常時、詰めていた。 ご遺体と対面される遺族の中には悲観のあまり、卒倒したり気分が悪くなったりする人などもおられたから
それら医擦従事者の存在が欠かせなくなっており、安置所と避難所の衛生面とともに、献身的で誠実な態度で勤務されていた。
その日、認知症のお婆さんが孫の名前を呼びながら迷い込んで来たとき、そばでしっかりとお婆さんの手を握る看護師さんがいた。
受付にいた私の話を聞くと、安置所の外にある公園の砂場を、お婆さんが掘り返しながら「孫はここに埋まってる!助けて!助けて!」と叫んでいたらい。
それを見た看護師さんは、お婆さんに寄り添いながら「それなら私も一緒に捜すからね」と、ニ人で砂場を掘っていたそうだ。
童女のような表情のお婆さんに、その看護師さんは諭すように言った。
「ほら。ここで皆さん安らかに眠ってるから。大丈夫よ、お婆ちゃん」
すると、安置所一杯に並んだひつぎに向かつて、お婆さんは静かに合掌した。
砂場は前日からの雨で相当ぬかるんでいた。
看護師さんの白衣は泥だらけだったが、悲嘆に暮れる遺族に分け隔てすることなく、精神的なケアを真心こめて行う姿は、私にはこのうえなく美しい、姿に映った。
間もなく娘さんがお婆さんを引き取りに来られたが、事の顛末を聞かされて、涙ながらに感謝しておられた。
泥だらけの白衣。その尊さを私は忘れない。 |
要談 「震災関連 神戸・東北」
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相手目線で考えられない自分にはほど遠いですが慈しむ心と姿勢を持って生きていきたいです。自分は1度死にかけましたし、人の中に生きる意味を見いだしたいからでもありますね。根っからの芸術家気質もあるので矛盾の極みにも思えてきますが。
2016/6/15(水) 午前 11:26 [ Kasshini ]
前にも書きましたが、これまでの震災報道でどれだけの人がこのような生々しい惨状にまで思いが至ったのかと思います。こうした遺体安置所や検死、土葬などに関わった人たちの証言は本人が積極的に情報収集をしない限り「無かったこと」として認識されているのでしょう。
「がんばろう」や「絆」、「前向きに〜」といったものではない別世界の「日常」があったことにもっと我々は目を向けるべきだといつも思います。
2016/6/15(水) 午後 9:03 [ スタリオン ]
> Kasshiniさん
姿勢を持って生きなくとも
Kasshiniさんの日々の苦闘 葛藤、そのままが、慈しみの表れではないかと思ってますよ。
こうでなければ・・・と思わず、脱構築が大事だと思いまする。
2016/6/16(木) 午前 5:37
> スタさん
これを投稿しようと思ったのも、スタさんの以前の記事やコメントがあったからです。
関西、とくに神戸では大震災を物販販売やオリジナルの歌で表現したり、伝えようという、イベントが続いていますが
イベントはイベントで終わってしまうのが現状です。
何を習うよりも、先ず臨終を習いなさい、という先人の教えがありますが
その方が、生を豊かにするように思います。
2016/6/16(木) 午前 5:43