今この時期に、端午の節句の話しをすると、とっくに終わったよ
と言われそうですが
おとなり中国では、毎年旧暦の日に端午節として国民の祝日となっていて、しかも3連休です。
今年は6月9日でしたが、わりと6月の中旬や下旬になることもあります。
端午の節句の起源といえば、中国でもっとも古い詩人といわれる「屈原」の故事
屈原が詠んだ詩の中でも有名な「魚夫ぎょほ」
中学の国語で習った記憶があるんですが
あらためて読み解くと、あの5月5日の節句がそんな起源だったとは
と驚愕してしまいます。
漢詩を吉本風に読み解いてみました。
「漁父(ぎょほ)」 抜粋
・・・・
屈原曰 ( くつげん のいわく )
挙世皆濁 ( きょせい みな にごれるに )
我独清 ( われ ひとり すめり )
衆人皆酔 ( しゅうじん みな よえるに )
我独醒 ( われ ひとり さめたり )
是以見放 ( ここを もって はなたると )
屈原は言う
世の中みんな濁っている中で
私独りが清く澄みきっていた
人々がみんな酔っぱらってる中で
私独りが醒めていた
だから追放されたのだ
漁父曰 ( ぎょほ いわく )
聖人不凝滞於物 ( せいじん は ものに ぎょうたい せずして )
而能与世推移 ( よく よと すいい すと )
世人皆濁 ( せじん みな にごらば )
何不乱其泥 ( なんぞ その どろを にごして )
而揚其波 ( その なみを あげざる )
漁師は言う
聖人は物に拘らず
世とともに移り変わると申します
世の人が濁っているなら
なぜご自分も泥をかき乱し
濁った波をたてようとなされませぬ
紀元前3世紀から4世紀にかけた「楚/そ」の国の王子として生まれる 隣国「秦」を警戒すべきと王を諭すも 国内の親秦派の謀略に乗せられた王と意見が合わず左遷される 国を憂う心から 外交官として他の国と外交交渉するも 王は屈原を二度目の左遷を強いられ失脚 屈原を聞き入れなかった楚は秦に滅ぼされてしまい 後に初の統一国家 秦帝国が誕生に至ります
そして屈原は祖国を憂いたまま「汨羅淵/べきらのふち」でさまよっている時に 一人の漁師と出会い人生問答をした いわば道家と儒家 両者の人生観の違いから丁々発止の語らいを詠った 理想主義と現実主義の対比か 世の中に迎合して 自分を見失うことへの警告なのか
こういう詩というのは それぞれが色んな捉え方をしていいと思いますが 一般的に「漁夫の辞」として有名な問答 日本の能狂言に似ています シテ方にあたる元国務尚書 国務大臣だった屈原が汨羅淵をさまよっている所へ ワキの魚父が登場し やつれ果てた屈原を見つけて 問答になる それを上方落語か吉本新喜劇風に訳すと・・・
漁夫:「おおっ これは屈原の旦那じゃあ あーりませんか いずこへお行きなさる?」
屈原:「いやいや それがなあ お父ちゃんに勘当されてもうて 行くとこ無いんや 」
漁夫:「いやーー屈原の旦那いうたら あの楚問屋の若旦さんや おまへんかいな なんでまたこんな所に・・?」
屈原:「それがな 向かいの秦問屋がこのところ どんどん売上伸ばしとってな 旦那にこのままやったら
秦問屋に買収されるでて いつも言うて聞かせてんのに 番頭はんらが わしの言うこと聞かんでな
むしろ旦那にわしは危険や言うて追い出しよったんや」
漁夫:「そらまた あこぎな 」
屈原:「ほんで 出先でも わしなりにきばってみたんやけど 秦問屋がどんどん成長しよる
こりゃあかん 勝負せなあかんて なんぼ言うても 叫んでも 誰も耳を貸さんかってな
しまいには 勘当されてもたんや
わしは絶対間違いないんや 番頭の連中がおかしい いや世間が濁っとる 正気やない
酒食ろうて酔っ払ろうとる そうでもなけりゃ ここにはおらん」
漁夫:「なんぎな こって」
屈原:「わしは こう見えても 柔道二段 剣道三段 空手初段なんや 通信教育やけどな
それだけやない 大学時代はピンポンやってたんや せやから わしは負けへんつもりやった」
漁夫「まあまあ旦那 ほんなら 一緒にイッパイやりましょや 飲んで飲んで酔い潰れましょや どないでっか?」
屈原:「なにを言うとんねん そんなことできるかいな」
漁夫:「屈原の旦那 あんさんだけ一人まともいうんやったら
その通信教育生かして 世の中変えていっておくんなはれな」
屈原:「そんな あほな わしを誰やと思うてか? あんたらと一緒に酒に酔って
あほなこと言うくらいやったら 川に飛び込んで魚に食われた方がましやわ」
漁夫:「そこまで 言うんやったら 川に飛び込んで魚に食われたええねん」
屈原:「ほな そうするわ」
漁夫:「もう あんたと やってられんは ほな しゃいならーー 」
漁夫が歌いながら立ち去って行くと 屈原はほんまに 川に飛び込んで死んだ というオチ それが端午の節句で柏餅を食べる習慣に繋がってるとは・・・
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沖縄は今でも旧暦を大事にして、それを基に各種行事を行っています。ユッカヌヒー(五月四日) は、子供の健康、成長を願っての祝いの日であるとともに、五月の四、五日はハーリーの日でもあります。
桃香苺ミルクo(^-^)o
屈原救出の為に飛竜を走らせたことから、爬竜船競漕が始まったとされ、沖縄各地で今でも盛んに行われています。漁師の街糸満市の学校など、その日を休日にしているくらいです。因みに今年は6月8日(水)が休みか半日です。
ハーリーが終わるとカーチーベー(夏至南風)が吹くころであり、本格的な夏の到来と言われています。
一人の屈原の生き様が日本に伝わり各地で様々に解釈され、端午節となって各地域独自の行事が行われています。それぞれ比較研究をしたらおもしろいと思います。。
2016/6/22(水) 午後 3:31
> 桃香☆彡さん
爬竜は屈原救出という説もありましたね。
爬竜は大阪でもニュースで紹介されることがありますが
たしかに、その頃に沖縄は梅雨が終わり、こちらは梅雨入りします。
端午の節句の起源が、こういう故事ということに
こいのぼりや兜を飾る今の日本の習慣からは、想像もできませんが
その経緯も知りたいです。
2016/6/22(水) 午後 4:27