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清に従属しながら、薩摩藩に支配された琉球王国は、二重の苦しみを背負うことになり
薩摩藩から、徳川将軍に挨拶をするために、琉球の使者を江戸に送れと「江戸上り(のぼり)」を命じられます。
海路陸路2000km半年の旅。
薩摩藩の狙いは琉球の音楽や踊りを広く見せて、薩摩が琉球王国を支配していることを知らしめるためでした。
そして、その時に演奏された音楽が最近復元されました。
その一つが「御座楽 うざがく」 中国大陸の雅楽で、中和韶楽そのもののようです。
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多くの日本人が勘違いしているのが冊封関係ですね。。これを簡単に、現代に置き換えて見れば、冊封関係はNATO(北大西洋条約機構)の様なものであり、TPPの様なものです。一応、中国を盟主と立てることで、地域の安定と安全を構築、後は冊封国同士、共通の暦と共通の言葉、共通の計量器などで自由に交易が出来た訳です。
そしてもっとも大きな勘違いが朝貢です。
日本人は、奴隷的、屈辱的に宝物を中国へ貢いでいたと思っている人が多い。明国時代は琉球は171回朝貢。二位がベトナムで89回。
清国時代、琉球はもっと朝貢回数を増やしていこうとしましたが、清国から制限されます。何故か、貢物をすると返礼がありました。
圧倒的に返礼品の方が価値があり、また量も貢物の2倍から3倍の量がありました。冊封国同士との交易と共にこれで琉球国は潤っていたわけです。朝貢を制限されたと言ってもそれでも、他の冊封国よりは多く認められていました。
2016/6/28(火) 午後 1:55
また、冊封使節が来琉するたびに、あらゆる分野の技術者集団が随行してきます。世界から集まった最先端の技術がタダで習得出来る訳です。内政干渉しない上に利益が得られる琉球にとってこんな良い事は
桃香苺ミルクo(^-^)o
ありませんでした。
しかし薩摩は内政干渉はするし。利益は横取り。。薩摩侵略後は琉球国は最貧国に陥りました。
因みに伊能忠敬よりも約30早く正確な琉球全土地図が出来ていますし。華岡青洲の全身麻酔手術より約120年も早く琉球で全身麻酔手術が行われました。その他色いろとあります。
歴史的に見ても、中国を脅威と見ない人が多いのも分かります。
2016/6/28(火) 午後 1:56
誤解がないように付け加えます。
桃香苺ミルクo(^-^)o
伊能忠敬よりも約30早く正確な琉球全土地図とありますが。 琉球国之図と云う事であります。
その測量技術や地図自体は現代行われている三点観測と同じ方法で測量され。正確な地図が出来たのは、1735年です。伊能地図は1821年です。 約90年の差があるわけです。
それから、名君と言われた松浦静山、肥前平戸藩の藩主は琉球宮廷楽を酷評していますね。。。
2016/6/28(火) 午後 2:18
> 桃香☆彡さん
ありがとうございます。
ここで、二重の苦しみと書いたのは、薩摩が侵攻してきたころの琉球は、苦しい立場だったのでは、との意味でした。
清と琉球の関係は仰る通りと思います。
琉球の測量ですが、NHKで知りました。
当時、琉球とフランスで、高度な測量が行われたと
中でも琉球の測量技術が高いとも。
2016/6/28(火) 午後 4:59
春光さんの言われている事は理解しています。
桃香苺ミルクo(^-^)o
それをあえてコメントに書いたのは、この記事を見る方に向けて書きました。この御座楽や清に従属と言うと必ず奴隷的、屈辱的支配という人たちがいるからです。。特にg組織の人たちですね。。
中国になめられて許せるのか?だから法制化が必要だ。と・・
紫微星☆彡で御座楽の記事出す度に嫌がらせに近いほど、議論を吹っ掛けられました。g会のグループがほとんどでした。。
私が休止している間は、悪人が一人消えた勝利。。と喜んでいたのを確認しています。ここに復帰したら、相手の方がブログも削除して消えたり、休止ししたりと・・おかしなことになっています。。
2016/6/28(火) 午後 6:35
> 桃香☆彡さん
わざわざありがとうございます。
私も、そう思ってましたよ(笑)
どないやねん(笑)
そのへんに関しては、またやり取りしたいと思います。
色々と、心労をされてこられましたからね。
2016/6/28(火) 午後 7:57
> 桃香☆彡さん
御座樂の演奏者です 首里城での公演後にいちゃもん付けられた事が一度有ります 無視しましたけど^^。
2017/5/3(水) 午後 6:24 [ itu***** ]
itu*****様
桃香苺ミルクo(^-^)o
初めまして。
御座樂の演奏者ですか、復元には大変にご苦労があった事と思います。
沖縄の伝統的芸能は、日本本土のように単なる伝統保持、継承、鑑賞と言うものだけではなく、
今もなお発展し続けていますね。嬉しい時、楽しい時など。庶民の折々の生活の場面で三線を弾き、歌、踊りが出て来ます。
市民の生活に根付いて、一体となっています。これはヤマトでは既に廃れていることです。
この一点だけを見ても、沖縄の歌舞音曲、芸能文化は素晴らしいと思います。
その中核となって継承発展させているのは、御座楽。古典。民謡の演奏家であり、唄者、舞踊家であると私は尊敬しております。
ぜひ、私のブログにもご訪問してください。またいろいろとご教示ください。。。
コメントありがとうございました。<m(__)m>
2017/5/4(木) 午前 8:27