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2011年3月11日のマグニチュード9.0の巨大地震のあとの巨大津波は
宮城県現石巻市、追波川(北上川)を遡上
河口から4km離れた場所に建つ(旧)大川小学校にも津波が到達し
生徒70名、教員10名が亡くなり、生徒4人が今も行方不明
戦後最悪の学校災害となりました。
小学校が建つ、釜谷集落も壊滅的な被害を受け、失われました。
東日本大震災の一事件のように考えられがちですが
本当に大変な事件だという認識を今一度問い直したいです。
地震発生から、津波の到達まで約50分の時間があり
裏山にすぐに逃げられる山道がありながら、なぜこれほどの大惨事になったのか
我が子を亡くされたご家族は、本当に苦渋の決断で訴訟を起こされました。
その悲しみ、苦しみ、悔しさというものを、少しでも考えていきたいと思っています。
その判決が10月26日にせまってきました。
ご家族の心情はいかばかりでしょうか。
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要談「大川小学校」
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自分もこの判決には注視しています。日本人は災害列島故に「自然災害だから仕方ない」とする空気がありますが、大川小学校の惨事は本来なら避けることができた「人災」だということを認識してほしいと思います。
震災で我が子を理不尽な理由で失い、その後の対応に翻弄され続けた遺族の方々の疑念が晴れることを願ってやみません。
2016/10/20(木) 午後 10:15 [ スタリオン ]
> スタさん
いわすもがなスタさんは、日和幼稚園、七十七銀行女川支店など
裁判に至った経緯のある事件にも常によりそっておられました。
スタさんの投稿で知ることも多くあります。
いわんや、大川小をや、です。
裏山では、今までシイタケ栽培の課外学習などの実績や
緩やかな山道があるのに
低学年は登れない、など、言い訳にならない言い訳を重ねたり
ただでさえ、悲しみの淵にたたされている家族の首をつかんで
叩くような言葉ばかり投げつけられてきました。
社会の関心の低さも嘆かわしいです。
2016/10/21(金) 午前 5:37
この前カフェに行き話になりました。自分の中で他人が話題にしているのを聞いているとどこか、遠くから聞いてる様な感じで実感がありません。
誰もが思う裏山、、、
あの当時を近所に住んでいて逃げて助かった人の言葉を聞くと危機迫る風ではなかったこと。
ラジオは確かに聞いて大津波警報が出たことを知ってるはずだったのに、何故行動に移せなかった背景。
地元民と学校とのやりとり。
生き残った先生が教員に戻れるはずなんてない!自分の人生をめちゃくちゃにした震災ならば、意を決してあの日を発言して欲しいのに、私が当日子供を迎えに行って助かった友人の話とか思い出すと先生達の判断しかねてる様子は、どこからくるものだったのか?
不在の校長とのやり取りが原因だったのは、普段からの教師中で何かがあったのではないかと思わずにはいられません。
2016/10/21(金) 午前 7:01 [ chi*12*c*n ]
> chi*さん
動画に出てくる、只野さん親子の奮闘も含め
この5年間、私たちでさえ、憤りを感じることが多くありました。
チーさんだから感じることは沢山あると思います。
それ以上も以下もありませんし、見守ることしかできませんが
静かに祈ることができる日が来ることを願うばかりです。
2016/10/21(金) 午後 4:09