「私が何十年間も闘ってきた相手は何か。それは、『忘れる』ということに対してなのです。」
アメリカのロサンゼルスに、ユダヤ人迫害の記録をとどめるセンターがある。
サイモン・ウィーゼンタールセンターである。
このセンターの名前は、ナチスの強制収容所の生き残りである、サイモン・ウィーゼンタール博士の名前から取っている。
博士は、90歳をこえてもなお、オーストリアのウィーンで、ナチスの悪を追求する闘いを続けておられる。
悪人達からは『ナチハンター』と、恐れられてきた。
これまで、発見して法廷の裁きにかけたナチスの残党の数は1200人。
博士の闘いによって、ナチスを永遠に許さない、という国際世論は高まった。
逮捕されなかった人間も、恐れおののいて、枕を高くして眠ることは、永久にできなくなった。悪人がどこに隠れていようとも、草の根を分けてもの執念で、世界中の情報を集め、ありとあらゆる方法を考え出して、悪人を追いつめてきた。
しかも、博士は、いかなる公的機関の支援も受けていない。
民間人として、個人的な寄付に支えられて、活動を続けてきたのである。敵からたたかれ、妨害され、命を狙われ、悪評のデマを流されながら。博士は、世界各国から、栄誉や勲章、名誉博士号を受けたが、国内では批判にさらされてきた。
博士は言う。
「私が何十年間も闘ってきた相手は何か。それは、『忘れる』ということに対してなのです。」
戦後すぐの時期は、ナチスへの怒りに燃えていた人々も、時間とともに、「もういいじゃないか。」という雰囲気になってきた。
被害者であるユダヤの同朋にさえ、「もう嫌なことは忘れたい。」という空気があったという。
「もう時効にしよう。」という動きもあり、実際、時効が成立する寸前までいった。しかし、博士は叫んだ。
「道徳上の義務に時効はない。正義の実現に期限なんかない。」
博士等の運動によって、ドイツ・オーストリアは、殺人と、殺人幇助について時効を廃止した。徹底的に、悪は根絶やしにしなければ、将来また、悲劇は繰り返される。そんなことが許されようか。6百万人(一説には:六千万人)ものユダヤ人が殺された。
博士自身も、十数もの強制収容所を転々として、生き残ったのは、奇跡でしかなかった。だからこそ、生き残ったものの義務として、人々に、断じて忘れさせてはならない。と、闘い続けるのである。
博士は、訴える。「忘れたいなんて、安直すぎる。」と。
[私達が死んだら、みんな天国へ行くだろう。
天国では、ホロコーストの犠牲者達と一緒になる。彼等は、私達に先ず聞くに違いない。
『君たちは、運がよかったね。生き延びたんだから。君たちの余生は贈り物だ。その贈り物を君たちはどうしたのかね。』
ある人は言うだろう。「私は、実業家だった。」
また、ある人は言うだろう。「弁護士をやっていた。」
次の人は言うだろう。「教師をしてました。」
私(サイモン・ウィーゼンタール博士)は、こう答えるだろう。『君たちのことを忘れなかったよ。』(『ナチ犯罪人を追う』下村良和訳・時事通信社)]
今、日本も戦争の悲惨さを忘れさせよう、アジア侵略の歴史も忘れさせよう、という風潮が高くなっている。極めて危険な傾向である。
だから、私達が立ち上がる以外にない。博士の執念に対して、いつもこう言われた。「もういいじゃないか。そんなに神経を尖らせることはない。悪人とは言え、個人をそこまで追求するのは、やりすぎではないか。」非難ばかりであった。しかし、博士は、断固として追求をやめなかった。
「私は、個人的な復讐を求めているのではない。私は正義を求めているのだ。
悪事を犯した人間を、そのままのうのうとして、安楽に生きさせたとしたら、この世の正義はいったいどこにあるのか。
社会は、正義の土台が崩れてしまう。人間性への信頼を取り戻すためには、絶対に悪を放置してはならないのだ。」
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